白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

「永野DVD『Ω』」(2016年5月18日)

永野DVD『Ω』

永野DVD『Ω』

 

何も考えず、ぼんやりと日々を過ごしているうちに、気が付くと永野が売れっ子になっている世界にやってきてしまった。別段、悪いことではないのだが、ついつい「どうしてこんなことになってしまったのだろう」と考えてしまう。芸人が売れるということは、そこに至るまでに何かしらかのプロセスを踏んでいたに違いない(よく、ちょっと世に出てきた芸人に対して、「あんな面白くない芸人、事務所のゴリ押しに決まっている」と決めつけて批判している人を目にするけれど、何も結果を残していない芸人がひょっこり出演できるほどテレビは簡単なものではない)わけだが、彼が売れるまでの流れを私はまったく知らないので、本当にパラレルワールドに迷い込んだような気分になっている。

私が初めて永野という芸人のことをきちんと認識したのは2009年のことだ。当時、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の新年会恒例企画“山-1グランプリ”に、数々の若手芸人たちに混じって、永野が出演していたのである。披露したネタは『スパイダーマン』。映画の『スパイダーマン』を一回も観たことがない永野が、想像だけで『スパイダーマン』をやってみせようとするパフォーマンスである。元ネタに対する敬愛の念をまったく感じさせないその姿を見ながら、私は大笑いした。この数か月後、永野は自身初の単独DVD『目立ちたがり屋が東京でライブ』をリリース。当然、発売日に購入した。ロフトプラスワンのステージで披露される意味を持たないパフォーマンスの数々に、これまた捧腹絶倒したものだ。だが、それほどまでに面白かったにも関わらず、永野は売れなかった。彼の想像力を刺激するパフォーマンスが、万人ウケするものではなかったのだろう。確かに、冷静になって考えてみると、『トシちゃんとタイガー・ウッズの喧嘩を止める浜崎あゆみ』なんてコントをやっている芸人が、売れるとは到底思えない。

……ところが、いつの間にか、永野は世間に認知され始めたのである。

どうにもこうにも背景がつかめなかったので、過去の永野のインタビュー記事でその流れを確認することにした。まず、2011年にGLAYの楽曲『everKrack』のプロモーションビデオに出演。PVの演出を担当している映像作家の清水康彦氏が、永野のライブ映像を目にしてファンになったことがきっかけだという。それから二年後の2013年、MBSテレビによる賞レース『歌ネタ王決定戦』に出場するために作られたネタ「五木ひろしさんに捧げる曲」で、『日10☆演芸パレード』への出演を果たし、注目を集め始める。そして2014年、『アメトーーク!』の名物企画“ザキヤマフジモンがパクりたい-1グランプリ”への出演を果たし、その名が一気に世間へと知られることになる……と。なるほど、こうして見ると、自分の観測外のところで、しっかりと実績を積んでいたことが伺える。

先日、そんな永野が、『目立ちたがり屋が東京でライブ』以来のDVDをリリースした。発売前には、「事前予約が1,000枚を超えないと制作・発売できない」という制約が掲げられていた本作だが、いざ蓋を開けてみると、発売日当日にオリコンのデイリーチャートで四位という好記録を残している(DVD総合)。『目立ちたがり屋~』が「高校生のバンドのデモテープかってくらい売れなくて」(永野・談)……という状況だったことを思うと、なかなかにとんでもない事態である。

肝心の内容だが、一言で表すなら「永野がネタでやっているような妄想をハイクオリティに映像化」。実際のライブ映像と清水康彦監督が手掛ける映像が絡み合った、なんとも不思議な作品に仕上がっている。個人的には、関根勤の妄想を完全映像化したシリーズ『関根勤の妄想力 東へ』を思い出した。ただ、関根のバカバカしさを伴う妄想に対し、永野の妄想はとことんアグレッシブ。そのため、笑えるか笑えないかの観点でいえば、ややビミョーな内容になってしまっているような気がしないでもない。ただ、あえて笑いに特化したつくりにしなかったことで、永野という芸人が、バラエティ番組で時折見せる得体の知れない雰囲気、単なるキャラクターの向こうに見える不穏な空気、不気味な存在感を一つの側面から切り取ることに成功しているようにも思う。【バーレスク東京】という特殊な会場で撮影されたライブ映像も、これまた独特の味わいになっている。

……などと書くと、コアなファンしか楽しめない内容になっているのではないかと思われてしまうかもしれないが、ちゃんと『ゴッホピカソに捧げる曲』『お猿の呼吸』『富士山の頂上から二千匹の猫を放つ人』『人類史上初!車になった人』などのお馴染みのパフォーマンスも収録されているので、初心者でも安心(?)だ。個人的には、『目立ちたがり屋が東京でライブ』にも収録されていた『浜辺で九州を一人で守る人』が演じられたことに感動した。まさか今の永野がこのネタをやるとは。ちなみに、私が一番好きだったのは、『祖母の遺品の中から、家族に隠れて全楽器を自分で演奏して、自宅で録音したというテープを見つけた孫』。冒頭、ボソリと「マクセル……!」とつぶやくところから、オチに至るまで、とっても好きだった。

ゼロ年代のお笑いブームが過ぎ去って、ありとあらゆるお笑いの表現が大衆によって消化されてしまった今、混沌の底から這い上がってきた永野は、いわばお笑いの荒野に召喚された禁断の魔獣だ。シンプルかつポップな芸風でテレビに出演しているが、油断してはならない。その爪は未だに鋭く尖っている。うっかりしていれば、その闇に引きずり込まれるぞ。ただ、その闇の中からは、既に新たなる魔獣の姿が……。 

■本編【91分】