白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

男と女とプーチンとマーチン。


ラーメンズのコントに『プーチンとマーチン』というネタがある。パペット人形のプーチンとマーチンが延々と無軌道な会話を繰り広げるナンセンスコントである。ほぼほぼ会話だけで構成されているネタなので、一見すると、わざわざパペット人形を持ち出さなくても成立するように思えなくもないのだが、会話の随所に【人ならざるものが人のことを無責任に語る】要素を含んでいるので、それが人ではないことを表現するために敢えて人形を使っているのだろう。この『プーチンとマーチン』の中に、こんなやり取りがある。

マーチン「問題!男と女の違いを述べよ」
プーチン「なぐっていいのが男、なぶっていいのが女」
マーチン「かーわいー!」
プーチン「かーわいー!」

これまで、なんとなく聞き流していた、このやり取り。てっきり、ただただ語呂の良い言い回しを並べているだけだと思い込んでいたのだが、本日未明、「このくだりって、社会から男が押しつけられている“男性性”と女が押しつけられている“女性性”を、とてつもなく端的に表しているのではないか?」という考えが自分の中に浮かんできた。ざっくりと説明すると、「なぐっていい」男とは乱暴で投げやりな行為を受けても気にしない男らしい男のこと、「なぶっていい」女とは面白半分に弄ばれても抵抗しない女らしい女のこと、を表しているのではないか?と思ったのである。

無論、だからといって、このコントを演じている二人に対し、また、このコントで笑っている観客に対し、「諸君らは男女差別について何も考えていないからこのようなコントを演じ、このようなコントで笑えるのだ!」などと糾弾するつもりはない。私はむしろ、ここまでシンプルに、しかし如実に、男と女にそれぞれ押しつけられている性のイメージを表現していることが、ただただ単純にスゴいと思う。そして、それを人ならざるものが無責任に無作法に言い放ち、そこに少なからぬ共感の気持ちを抱いている観客たちの心の中にある常識という名の重たい扉をこじ開けているからこそ、このくだりは笑いへと昇華されているのだろう。

要するに、上手いよなあ……。

「上田慎一郎・ふくだみゆきレトロスペクティブ」(2019年2月11日)

二月九日から十一日にかけて行われた【さぬき映画祭】より、十一日にかがわ国際会議場で行われた同イベントに参加してきた。今や『カメラを止めるな!』の監督として知られている上田慎一郎氏と、その妻であるふくだみゆき氏の過去作品の上映会である。一般的には上田作品に対して注目が集まっていたのだろうが、変わり種のアニメーション映画が好きな私は、ふくだ監督によるショートアニメ映画『こんぷれっくす×コンプレックス』の方に興味を惹かれていた。否、もっと言ってしまうと、私は『カメラを止めるな!』のことを世間で評価されているほどに好ましいとは思っていなかったので、上田作品に対する期待は皆無に等しかった。

開場時刻は午後一時半だったが、三十分前には会場前のロビーに到着(あまり訪れることのない場所だったので、早めに家を出たためである)。すると、そこには、あのお馴染みの帽子を被っている上田慎一郎監督が、一般の人とコミュニケーションを取っている。サインを書いたり、写メを撮ったりしている。クリエイターとは思えない、実にフランクな対応である。瞬間、その輪に加わりたい衝動に駆られたが、先述した通り、私は上田監督の作品をさほど評価していないので、そんな自分がサインを求めるのは失礼だろうと思い、一歩引いたところから様子を伺う。そうこうしているうちに開場時刻となったので、チケット(チケットぴあを使って2,000円で購入。)をもぎってもらって中へ。自由席なので中央のあたりの席を陣取る。

午後二時開演。ラインナップは以下の通り。

【Part.1】「上田慎一郎ショートムービーコレクション」
「彼女の告白ランキング」(上田監督/2014年/21分)
ナポリタン」(上田監督/2016年/19分)
「テイク8」(上田監督/2015年/19分)
「Last Wedding Dress」(上田監督/2014年/24分)

【Part.2】「恋愛オムニバス」+「映画 4/猫」からの一本
「こんぷれっくす×コンプレックス」(ふくだ監督/2015年/24分)
「恋する小説家」(上田監督/2011年/40分)
猫まんま」(上田監督/2015年/24分)

【Part.3】「沖縄国際映画祭」出品作品
「耳かきランデブー」(ふくだ監督/2017年/33分)
「たまえのスーパーはらわた」(上田監督/2018年/45分)

結論から言うと、上田慎一郎作品がどれもこれも素晴らしかった。正直、驚いた。『カメラを止めるな!』におけるどんでん返しのロジックを除外した途端に、こんなにもストレートにクリエイターの衝動を肯定する作品になろうとは思わなかった。結婚式場を舞台とした撮影中に女優の父親が押し掛けてくる『テイク8』、ミステリー作家志望の青年の元へ没原稿の主人公がやってくる『恋する小説家』、男女コンビが抱えている苦悩と不安を色濃く浮かび出した『猫まんま』、そしてスプラッター映画好きな女子高生監督の苦悩と成長を描いた『たまえのスーパーはらわた』……どの作品も、クリエイターたちの葛藤と歓喜を見事に表現している。否、恐らく、これらの作品には、上田監督自身の思いが恥ずかしげもなく真っ直ぐに込められているのだろう。だからこそ刺さる。心が揺さぶられる。創作することに疲れた人こそ観るべき作品である。

対して、ふくだみゆき作品は、徹底してフェティッシュ固執していた。男子の腋毛に対して興味津々な女子高生を描いた『こんぷれっくす×コンプレックス』、耳掃除に情熱を燃やしている女性が耳掃除の苦手な男性と出会ってしまう『耳かきランデブー』、どちらも男性の身体の一部に対して、熱い視線を送っている。その姿は笑いに昇華されているけれど、一方で、男性が女性に対してそういう視線を送っているように、女性も男性に対してそういう視線を送ってもいいんだよ、と投げかけているようにも見える。そのような意図があるのかどうかは知れないが、だとすれば、これからの作品の展開に更なる期待を寄せずにはいられない。

なお、各パートの最後に、上田監督・ふくだ監督による軽めのトークイベントが催されたのだが、どのような話をしていたのかはまったく覚えていない。私の記憶力の至らなさにも困ったものである。それと、トークの後の休憩時間には、必ずロビーに上田監督が出て来ていた。どんだけフランクなんだよ!

午後七時十五分ごろ、終演。外に出ると、上田監督とふくだ監督が見送りにロビーへと出て来ていた。さっきまでトークをやっていた人とは思えないフットワークの軽さである。先程までとは打って変わって、上田作品に大いに感動していた私は、ここで最初で最後の固い握手を監督と交わす……つもりだったのだが、生来の恥ずかしがり屋が災いして、ただただ深い会釈を交わすだけで別れることに。情けなや。次こそは、きっと監督と握手しようと固く誓いながら、帰路につく私であった。ああ情けなや。

……それにしても、今回上映された作品、いつかソフト化される日は来るのだろうか。かなり良かったと思うので、手元に置いておきたいのだが。されるといいなあ。

「タスイチ+1」(2018年12月30日)

◎チョコレートプラネット+濱津隆之「ゾンビ」
トレンディエンジェル+DJ KOO「ハゲラッチョ」
ゆりやんレトリィバァ+宮崎謙介「苦労えもん」
ハナコ丸山桂里奈「犬」
バイきんぐ西村+ナイツ「ヤホーで調べました+雑学クイズ」
バイきんぐ小峠+コウメ太夫「即席タスイチ」
さらば青春の光高田延彦「予備校」
和牛+佐戸井けん太「ドライブデート」

司会進行役に和牛と丸山桂里奈。ナレーションに村田秀亮とろサーモン)。

芸人側が「ネタに加入させればもっと面白くなるであろう助っ人」をリクエストして、実際にユニットネタを披露する企画バラエティ。無論、所詮は即席ユニットによるパフォーマンスなので、基本的に元ネタの方が面白かったわけだが、犬を増やすことでシチュエーションに広がりが見えたハナコ丸山桂里奈の『犬』、父親役を増やすことでボケの自由度が上がった和牛と佐戸井けん太の『ドライブデート』に関しては、元ネタに負けず劣らないクオリティを見せていた。思うに、助っ人をネタに上手く溶け込ませられるかどうかが重要なのだろう。その意味では、助っ人をネタそのものに加えるのではなく、漫才を観ているヤバい客としてネタに参加させていた、バイきんぐ西村とナイツの漫才は上手かった(西村のヤバさをもうちょっと引き出してほしかったが……)。

ちなみに、番組の最後に丸山桂里奈が独断と偏見で選んだという“NO.1タスイチ芸人”は、チョコレートプラネット。個人的な印象としては、観客ないし視聴者が『カメラを止めるな!』を観ていることを前提とした内容だったし、なにより濱津の存在意義があんまり感じられない構成だったので、さほど面白いとも思わなかったのだが……まあ、ねえ。

「バナナマンの爆笑ドラゴン 正月場所」(2019年1月4日)

【1stゴング】
ハナコ「空手体験教室」(×)
ダンビラムーチョ「怖いもの」(○)

【2ndゴング】
阿佐ヶ谷姉妹「スーパーマーケット」(○)
チョップリン「張り込み」(×)

【竜の隠し玉 第1対戦】
LOVE「うるさいやつ」(×)
天才ピアニスト「上沼恵美子」(○)

【竜の隠し玉 第2対戦】
メンバー「俺の顔を見ろ」(○)
ダニエルズ「捜査本部」(×)

【Lastゴング】
品川庄司「ドラマ「殉職」」(×)
アンガールズ「事故物件」(○)

司会進行はバナナマンと雨宮萌果(NHKアナウンサー)。複数のお笑い芸人が、漫才チームとコントチームに分かれてネタで競い合う。今回は、漫才チームを品川庄司が、コントチームをアンガールズが、それぞれキャプテンとなってメンバーを選考している。キングオブコント王者のハナコ、THE W優勝者の阿佐ヶ谷姉妹、歌ネタ王のメンバーなど、なかなかに豪華な面々が名を連ねているが、注目どころはやっぱりチョップリン。その独創的な発想から生み出される不可思議なコントは他の追随を許さない。今回はアンガールズが十年前に見て衝撃を受けたというコント『張り込み』を披露していた。

個人的に面白かったのはダンビラムーチョとダニエルズ。ダンビラムーチョは、M-1の予選でも披露していた、正義感の強いおじさんが色々な怖いものに立ち向かう漫才。あの声質、目つき、言い回し、どの要素を切り取ってもザ・おじさんといった風情で、もはやネタよりもあのおじさんが見たい!という気持ちにさせられる。このまま彼ら自身が年を取って、あのキャラクターが素の状態に近づいて来たら、なんだか最強の漫才に仕上がりそうである。一方のダニエルズもキャラクター濃度の強いコント。捜査本部を取り仕切る女性リーダーの堅固な態度に対して、部下の男性刑事が思わず大声をあげて意見したところ、意見そのものではなく、大声をあげたことについて追及され続ける。男性側にも女性側にも適度に言い分があり、また適度に過ちがある、この絶妙なバランス感がたまらなかった。

……ところで、品川庄司はいつまで『殉職』をやり続けるの?

さらば青春の光 単独ライブ『真っ二つ』(2018年9月5日)

2018年4月から9月にかけて、東京・大阪・愛知でのツアーが組まれた単独ライブより、4月15日にCBGKシブゲキ!!で行われた千秋楽公演の模様を収録。構成に渡辺佑欣と廣川祐樹、演出に家城啓之

単独ライブの中止、事務所からの独立、人妻との不倫騒動……さらば青春の光について考えようとするたびに、それらのスキャンダラスなエピソードがリフレインの様に蘇る。致し方のないことだ。どれほど優れた作品を世に送り出した人間であったとしても、大衆は過去の醜聞を忘れはしない。何故ならば、そこに人間を感じるからだ。作り上げられた虚構の向こうに垣間見える、人間としての本質を捉えられるからだ。だが、人の噂も七十五日という言葉の通り、それらは過去の出来事として記憶の彼方へと流れていく。東京03のコントについて語るときに、いつまでもオールスター感謝祭での惨事を持ち出している場合ではないのである。全ては過去の経験となって、生き様へと色濃く反映される。さらば青春の光も、もう間もなく、その段階に突入しようとしている。『真っ二つ』は、そう予感させるに足る傑作だった。

本作は、オープニングコントを含めた八本のコントと、一本の漫才で構成されている。いずれも珠玉の出来である。何度も食い逃げされているラーメン屋の責任が逆に追及される『犯罪の温床』、ガラス戸越しに見える伝統工芸の後継者を志願してやってきた人物が明らかに……『後継者』、火事の現場で活躍している青年の真意とは?『ヒーロー』など、何処を切り取っても捨てるところが見当たらない。余談だが、『ヒーロー』は「キングオブコント2018」の最終決戦に進出した際、披露される予定だったコントだそうだ。丁寧に段階を踏んでいく手法のコントを、如何にして制限時間内に収めようとしていたのか……なんとも気になるところである。

興味深いのは、これらのコントの中に現代的な視点がさりげなく組み込まれている点である。例えば、授業中に呼び出しを受けた生徒に対してお調子者のクラスメートが「万引きバレたんちゃうん!?」と根拠のない無責任な決めつけを言いふらす『ちゃうん!?』は、事件が起きるたびに訳知り顔で根拠のない情報をSNSに垂れ流すことで注目を集めようとしているオピニオンリーダー気取りを彷彿とさせるし、美しい絵画に心を奪われている客に某大手家電量販店の店員のような商人然とした立ち振る舞いで接する『画廊にて』は、当初は2chの書き込みを読み物として大衆向けの娯楽に昇華していた筈がアフィリエイトを目的にアクセス数を稼ぐための煽り記事しか書かなくなってしまったコピペブログのようである。クレーム対策として、とんでもない状態になっているカフェを描いた『カフェリベルタ』のオチなども、自分を棚に上げて他人を追求するネットユーザーの姿そのものに見える。……いや、それは単純に、それぞれがまったく違った行程を経て、人間のみっともなさを突き詰めていったカタチなのかもしれない。

そして、オーラスのコント『十年定食』。これが実に素晴らしかった。その内容は、バラエティ番組を睨み付けるように見つめながら「絶対に売れてやる……!」と息巻いている若手芸人の青年(東ブクロ)と「売れるまではタダで食わせてやる」と約束した定食屋の親父(森田)が、それから十年後のある日、彼に思わぬ話を切り出す……というもの。ありがちな設定、ありがちな展開、ありがちな状況だが、これがまったく思いもよらなかった展開を巻き起こす。これがまた最高に笑えるのだが、一方で、昨今の貧困問題に対してメスを入れているというようにも受け取れる……というのは、流石に深読みが過ぎるというものか。人の気持ちを軽やかに弄ぶ東ブクロのノーデリカシーぶりと、そんな東ブクロに翻弄される哀しみすらも笑いに変える森田のコメディアンぶりが存分に発揮された名作である。是非ともご覧いただきたい。

なお、さらば青春の光は2019年3月から4月にかけて、東京・愛知・大阪の三か所で単独ライブ『大三元』を開催する予定である。『真っ二つ』のおよそ二倍のキャパで臨んでいるとのことで、今後の更なる進展に期待せずにはいられない。

◆本編【105分】

「オープニングコント」「犯罪の温床」「後継者」「ちゃうん!?」「カフェリベルタ」「画廊にて」「漫才(怪談)」「ヒーロー」「十年定食」「エンディングトーク

2019年2月の入荷予定

02「bananaman live one-half rhapsody

13「JARU JARU TOWER 2018 ジャルジャルのたじゃら

20「エレ片 新コントの人

20「小林賢太郎コント公演 カジャラ #3 『働けど働けど』

27「しぼりたて」(ハナコ

どうも菅家です。未だに正月気分が抜けておりません。どうしたもんでしょうか。どうするつもりもないですが。そんな正月気分なところに、お年玉のような……いや、あくまでも、もう二月なんですけども……コント好きにはたまらないラインナップじゃないでしょうか。現役最強のテレビタレントぶりを振り撒くバナナマンに始まり、今もって最新鋭のコントを創り続けるジャルジャル、天下一品のバカコントクリエイター・エレ片、良くも悪くも唯一無二の小林賢太郎、そして『キングオブコント2018』王者であるハナコ。ああ素晴らしきコントの血脈。あ、あと、バナナマン小林賢太郎もBlu-rayなのが嬉しいね。舞台映像にはBlu-rayが有難い。

無題。

ちょっとムカッときたので記録。

2014年に、どぶろっくのネタについて、

「どぶろっくがこんなに老若男女に大人気なのは、痴漢などの性犯罪に関する知識が日本の世の中に浸透していないことの表れ」

「どぶろっくを笑う世界」には、痴漢などの性暴力は存在しないことが前提になっている。同じ世の中にそういった被害は実際にあるのに、その被害とどぶろっくは別々のものと認識されていて、観ている人たちの中で、まったくつながっていない。

「社会全体が「女性に対しての侮辱」に対して徹底的に鈍感なことが、どぶろっく流行を力強く支えている」

と書いていた漫画家の田房永子氏が、今年になって、

「どぶろっくは痴漢の『膜』の中のストーリーを分かりやすくユーモラスに歌い上げている。すごいな、と思った」

と表現を柔らかくした上で、この2014年のテキストに対して向けられた批判について、

「私は、どぶろっくのネタは観客が“ヤバい男の妄想”を聞いて「んなわけねーだろ笑」「バカじゃないの笑」という呆れ笑いがこみ上げる芸だと思っていたけど、どぶろっくが歌っているのは「あるあるネタ」だとドメンズは言う。だから、そのあるあるネタを痴漢の心理だと言うことは、「一般男性はみんな痴漢と同じ」と言っていることになるというのである」

と振り返っていて、この人は信用できないなと再認識させられた。アクセス数に貢献したくないのでリンクは貼らないので、気になる方はテキトーに調べてみてください。

当時、田房氏のテキストが批判されていたのは、どぶろっくの『もしかしてだけど』の歌詞の世界と痴漢をする人間が作り出している自分の世界が似通っていると比較するだけでなく、前者が「空想」*1で後者が「妄想」*2であるにも関わらず、単なる空想の域を出ていないどぶろっくのネタが評価される世間そのものを批判したためだ。

それ故に、他者に害を与える可能性のある「妄想」ではなく、あくまでも頭の中だけで色々なことを想像する「空想」を是とする人たちに批判されていたのに、そのことを全く理解しようとしない。だから「一般男性(俺)を痴漢と一緒にするな!」と言われているのに、「どぶろっくが歌っているのは「あるあるネタ」だとドメンズは言う」を認識を歪めている。この“怒男(ドメンズ)”という揶揄もみっともない。率直に言って不誠実ではないか。

ちなみに、どぶろっくのネタ(※『もしかしてだけど』のこと)は、日常の風景における女性たちの姿を描写(フリ)して、観客が思いもよらない理由を提示して自分に対して思いを寄せているのではないか?と歌い上げる(オチ)ことによって生じる、意外性の笑いである。系統としては、まったく別々の言葉の予想外な接点を提示する掛け言葉、堺すすむの『なんでかフラメンコ』、オリエンタルラジオの『武勇伝』に近い。ヤバい男の妄想ネタという意味では、むしろ天津木村の『エロ詩吟』の方を例に挙げるべきだろう。

あと、芸人が想像した意外性のある行動を実際に取っている人間がいて、それについて「想像が足りない」「現実を分かっていない」という批判があったとすれば、それは逆だからな。意外性のある行動を実際に取っている人間の方がヤバいんだからな。なんでヤバいやつに合わせて芸人側が表現を控えなくちゃならないんだ。むしろ、芸人がそういうヤツを演じて、観客が笑っている時点で、そいつの方がアウトローだって世間が認めてるってことなんだからな。よろしく頼むよ。

以上、終わり!

*1:現実にはあり得ないような事柄を想像すること(デジタル大辞泉

*2:根拠のないありえない内容であるにもかかわらず確信をもち、事実や論理によって訂正することができない主観的な信念(デジタル大辞泉

「上方漫才トラディショナル」(2018年12月31日)

かまいたち「割り込まれても注意しない」
見取り図「オシャレにコーディネート」
さや香「好きな女性の結婚式のスピーチ」
矢野・兵動「色んなおっさん」
シャンプーハット「男の色気」
ティーアップ「ヒップホップ」
アキナ「山登りのガイド」
テンダラー「感動の再会」
藤崎マーケット「ナンバーワンホストを目指して」
笑い飯「タトゥー」
ハイヒール「二人の見た目、五十肩、自撮り」
大木こだまひびき「孫」
学天即「美容のために」
宮川大助・花子「夫婦漫才」
メンバー「俺の顔を見ろ」
なすなかにしスマホ音声認識機能」
アルミカン「男とご飯を食べに行く」
酒井くにお・とおる「ペットを飼う、動物の鳴き声」
オール阪神・巨人「酔っ払いにインタビュー」
ミキ「猫を預かって!」
銀シャリ「子どもの頃の遊び、橋本にオススメの娘」
霜降り明星「お寿司」
ジャルジャル「鎖骨を骨折した話」
NON STYLE「井上の家」
とろサーモン「万引きGメン」
海原やすよ ともこ「USJの人気イベント、大阪と東京のお母さんの違い」
メッセンジャー「昔のお母さん、怖い話」
中田カウス・ボタン「オリンピック、年賀状」

ナレーションは月亭八方。タイトル通り、正統派の上方漫才をお届けする……という名目の演芸番組。それはつまり、この番組に出演している漫才師は、いずれも上方漫才を代表するに値する漫才師ということを意味している。見取り図も、メンバーも、ジャルジャルも正統派。なんとも喜ばしいことである。しかし、平成最後の大晦日に催された、上方漫才の一大番組にも関わらず、中川家ますだおかだアメリカザリガニフットボールアワーに千鳥、チュートリアルといった歴代のM-1戦士……は我慢するにしても、スーパーマラドーナや和牛の不在は誠に残念である。居て然るべきだろう。

とはいえ、シャンプーハットメッセンジャーは面白かった。おぎやはぎよりも過剰にコンビ仲を強調したシャンプーハット、純然たる上方漫才の家風を引き継いでいるメッセンジャー。それぞれ、全国区への展開を意識した芸風とはまた一風違った、関西ガラパゴスの中で丁寧に育まれた濃密な笑いが映し出されている。どちらも以前に何度かネタを拝見したことはあるが、その濃度はより高くなっていたように思う。

ところで……来年は新年号最初の……が放送されるのだろうか。謎だ。