白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

「脳みそ夫単独公演「こんちわ~すクラブ」」(2017年10月18日)

脳みそ夫単独公演「こんちわ~すクラブ」 [DVD]

脳みそ夫単独公演「こんちわ~すクラブ」 [DVD]

 

2017年6月29日・30日に新宿ハーモニックホールで開催された単独ライブの模様をDVD用に再演した映像を収録。“OL聖徳太子”“ちびっこ石油王”“アラサー武士”など、様々なキャラクターに扮した脳みそ夫のパフォーマンスを楽しめる一枚となっている。

◆本編【56分】

モーツァルトの給食当番」

 VTR「オープニング」

「ちびっこ石油王」

「ちびっこジョンレノン」

 VTR「脳みそ夫の歴史」

「アラサー武士」

「アラサー縄文人

 VTR「どんなシチュエーションでも脳みそ夫コンボ」

「名とん偵ブタ美」

 VTR「脳みそ夫グッズCM」

「くだもの子」

「ムチムチニワトリ」

「フライドチキ子」

「パリピ☆一休」

 VTR「パリピ☆一休の裏話」

「OL聖徳太子

「OL聖徳太子・リズムVer」

脳みそ夫はタイタン所属のピン芸人である。かつては脳みそだけになってしまった相方と漫才を披露する「脳みそ漫才」というネタを演じていたが、数年の時を経て頓挫。「武士」「石油王」「聖徳太子」などをモチーフとしたキャラクターを演じる一人コントへとシフトチェンジ、その妙に愛くるしい存在感と浮足立った佇まいで人気を博している。ちなみに、本作のタイトルにもなっている「こんちわ~す」は、脳みそ夫が登場時に使用するギャグである。何故かネタの笑いどころで観客のウケが弱いときにも使用されるため、その滲み出る不安が笑いへ昇華されることも少なくない。……それでいいのか、と思わないでもないが、面白いのだから仕方ない。

脳みそ夫のコントの魅力は、そのシンプル過ぎる笑いの取り方にある。先述しているコントのタイトルを見ても分かるように、脳みそ夫が演じているキャラクターたちは、基本的には「モチーフとなっている題材×設定」という構図の元に作られている。例えば、『モーツァルトの給食当番』は「モーツァルト×給食当番」、『ちびっこ石油王』は「石油王×ちびっこ」というように。その結果、彼のコントにはまったく無関係のもの同士を掛け合わせることによって生じる、揺るぎない違和感が生まれる。しかし、そんな違和感に満ちたコントの中で、題材が上手く組み込まれる瞬間がある。それぞれにズレている筈の要素同士がピタッと噛み合うことで、笑いが生み出される。その笑いの取り方は、まったく無関係な言葉同士の共通点を思わぬ角度から見出す“掛け言葉”に似ている。或いはダンディ坂野ジョーク集か(ダンディ坂野のネタを知らない人は『爆笑オンエアバトル Light ダンディ坂野』を見よう!)。

正直、ネタのクオリティに関しては、そこそこの波がある。思わぬ切り込み方に驚きと感動を覚えることもあれば、あまりにもベタでありがちなボケに苦笑いが止まらなくなってしまうこともある。ただ、その笑いは一貫してシンプルで、まったく深みが感じられない。そこへ更に、あのビジュアルがある。脳みそ夫がコントを演じるときの恰好は、そのネタの浅さに対して、無闇にクオリティが高い。一見して、そういうキャラクターに扮しているということが伝わってくるほどに、しっかりと画としての強さを保っている。だからこそ、脳みそ夫のコントは見ている側の負担となる部分が少なく、疲れない。それこそが脳みそ夫の強みであり、心地良さであるように思う。

そんな脳みそ夫のコントが詰め込まれている本作は、何処を切っても彼特有の魅力で溢れている。大金持ちなやんちゃボーイ『ちびっこ石油王』が気ままに中小企業を潰したかと思えば、彼の友達の『ちびっこジョンレノン』がヨーコとの関係性を勝手にイマジンされることに腹を立てる。戦をサボッて女子会を繰り広げる『アラサー武士』たちが居たかと思えば、『アラサー縄文人』が土器と土偶にまみれた日々に愚痴をこぼす。……単独ライブならではの巧みに練り上げた構成がなんともいえない。個人的には、謎のニワトリ集団が己のムチムチぶりを見せつける『ムチムチニワトリ』からの、あの白い髭がトレードマークのキャラクターの娘・カーネルド―タースが秘密の恋人ドナルドとの日々をつづる『フライドチキ子』への流れがたまらなくアホで好きだ。内容もさることながら、タイトルの字面から漂うアホさがとても良い。

生き馬の目を抜くお笑い界における清涼剤のような笑い。否、それを良いと感じてしまうのは、この荒涼とした世の中もまた生き辛く、息が詰まるような空気が蔓延しているためだろう。そして、それこそが芸人の本質、お笑いの本来の形であるといえなくもない……こんちわ~す。あー、下らねェ。

Aマッソ「ネタやらかし」(2017年6月21日)

ネタやらかし [DVD]

ネタやらかし [DVD]

 

2017年3月17日・18日に東京・ユーロライブで開催された第四回単独ライブ「買ったらお縄!ホンチャン・ヤルデ株」の内容をDVD用に再現、漫才やコントに加えて、実際のライブでは披露されていない映像ネタなどを収録。

◆本編【74分】

「富松」

 VTR「オープニング」

「ナインセカンド

 VTR「運動会」

「マサ」

 VTR「日曜の昼下がり」

「漫才1「戯言シリーズ」」

 VTR「避暑地へGO」

「制裁」

 VTR「初産」

「進路相談」

 VTR「お見舞い」

「漫才2「最高の一日」」

Aマッソは村上愛加納愛子によって2010年に結成された。二人は幼馴染み同士で、出会った頃からお笑いに対して興味を抱いていたという。大学時代に出演していたインディーズライブをきっかけにスカウトされ、松竹芸能タレントスクール大阪校へ特待生として入学。そのまま松竹芸能へと所属するも、事務所の方針と合わず2013年に退社。同年、現在の事務所であるワタナベエンターテインメントに所属する。2015年に「爆笑ファクトリーハウス 笑けずり」(NHK BSプレミアム)へ出演、その独創的な漫才で注目を集め、今も一部のコアなお笑いファンからカルト的人気を博している。

Aマッソの魅力を突き詰めると「村上の演技力」と「加納のワードセンス」の二点が挙げられる。

まずは「村上の演技力」について。一見、いかにも平凡な見た目の村上だが、漫才やコントなどで役に入った途端、その見た目からは想像もつかないほどのウザさを発揮する。それが思想的に正しい考え方の人間であろうと、何を考えているのか分からない怪しい人物であろうと、村上が演じた途端にウザくなる。それも、例えば柳原可奈子横澤夏子が演じているような、巷に溢れるウザい人たちを再現しているというものではなく、純粋に村上愛という人間の奥底から溢れ出ているようなウザさなのである。キャラクターでは収まらない、生理的なウザさとでもいうのだろうか……その意味では唯一無二の存在だ。

そんな村上のウザさに対して、「加納のワードセンス」が発揮される。それが正しかろうと、間違っていようと、加納の脳味噌から繰り出される言葉は常にシャープに村上の無神経なウザさをバッサリと切り捨てていく。その様が実に清々しい。加納のツッコミは、単純に村上の言動を否定するのではなく、その本質を突いている。ある種、愚鈍な村上の言動を、加納が言葉巧みに批評しているといえるのかもしれない。

本作ではそんな二人の魅力が余すことなく発揮されている。

「笑けずり」では漫才を披露していたこともあって、Aマッソといえば漫才師としてのイメージが根強いのだが、本編では主にコントが披露されている。これがなかなかに興味深い。漫才師によるコントには出来不出来の差はあれども多少の“余芸”感が漂ってしまうものだが、Aマッソの場合は、むしろ漫才以上に彼女たちのディープな側面が上手く表れている。小説家と使用人のやりとりが謎のミュージカル合戦へと展開していくオープニングコント『富松』を始めとして、バスの停留所に現れるという尻の摩擦でベンチに火を点ける“尻摩擦のマサ”に遭遇してしまった女子小学生の恐怖体験を描いた『マサ』、祖母の遺言に従ってある過ちを犯した会社の同僚に制裁を加える『制裁』など、トリッキーな設定のコントを異常に研ぎ澄まされたワードセンスで乗りこなしている。とりわけ、ろくに仕事の出来ないライブスタッフが用意した僅かばかりの水を賭けて、単独ライブ中のAマッソがオリジナルゲーム“ナインセカンド”で勝負する『ナインセカンド』は、彼女たちのセンスと表現力が端的に表された良作だ。「軍事司令官」の一幕は感動的ですらあった。

一方の漫才は、村上が加納にしょーもないクイズを出題し続ける『漫才①』と、かつて仲の良かったグループと遊びに行ったエピソードを喜々として話している村上に加納が詰め寄る『漫才②』を収録。村上のねっとりとしたウザさがこの上なく発揮されている『漫才①』も面白いが、「M-1グランプリ2016」の予選でも披露されていた『漫才②』には敵わない。無邪気な顔で楽しい思い出を語る村上から漂う違和感を、冷酷に的確に指摘していく加納のシャープなツッコミがたまらない。なにせ第一声が「思い出アップデートし過ぎちゃう?」である。あの状態の村上に対して、ここまで違和感をストレートに貫いている言葉は他に有り得ないのではないだろうか。

特典映像はなし。ただし幕間映像が充実している。特にオススメなのは「初産」。産婦人科を訪れた女性と看護士のやり取りを描いたクレイメーション(と呼べるほどの出来なのかどうか)なのだが、矢継ぎ早に繰り出される不可思議なニュアンスだけの言葉の数々がとても心地良い。ひょっとしたら、本編に収録されている映像の中で、個人的に一番好きかもしれない。ああいうなんだかよく分からない会話だけを延々と聞き続けながら午睡に浸りたいものである。なにかしらかの悪夢だろうが。

「ラストベストロッチ3」(2017年10月4日)

ラストベストロッチ3 [DVD]

ラストベストロッチ3 [DVD]

 

過去の単独ライブDVDに収録されていなかったコントの中から、二人のお気に入りのネタを11本ピックアップして再演した映像を収録。ロッチの単独作品がリリースされるのは『ロッチ単独ライブ「ハート」』以来四年ぶり、“ラストベストロッチ”を銘打った作品のリリースは七年ぶりとなる。

◆本編【57分】

「変なノリ長いヤツ」

「表参道の美容室」

「オヤジ狩りされてるのにされてないことにしようとするオッサン」

「試着室」

「20歳の告白」

Wi-Fi

「フラダンス」

「透視」

「before」

「除霊」

「ネパールのチェーン」

◆特典映像【16分】

「中岡ツアーズ in沖縄」

◆音声特典

「ロッチによる全編コメンタリー」

かつてのロッチといえば、キャラクターが醸し出す哀愁めいた空気感を一つの笑いのアクセントとしていたイメージがある。釣りの初心者に先輩風を吹かしながら語った釣り指南がことごとく裏目に出てしまう釣り好きなおっさんの居たたまれなさがたまらない『釣りのおっさん』や、どのような状況であってもギャグで笑いを生み出さなくてはならない芸人の辛さをコミカルに描いた『こんにちは根岸』などは、そんな彼らの当時の芸風を表した名作といえるだろう。

しかし、本作で演じられているコントは、とてもシンプルかつドライに作られている。思うに、タレントとして一定の評価を獲得した中岡創一に対する世間の印象が、当時に比べて大きく変化したためだろう。その傾向の変化が色濃く表れているのが、「キングオブコント2015」で披露され、本作にも収録されている『試着室』だろう。延々とズボンを履こうとしない客の不条理な振る舞いが、それでも不気味さを一切漂わせることなく、徹底してコミカルさを失わないのは、タレントとして積み上げてきた中岡創一の画の強さがあるからこそ成立させられる。その意味では、ロッチは着実にバナナマンと同じ道を歩んでいるといえるのかもしれない。

ただ、コント職人としての筋肉は、当時に比べて少し落ちてしまっている感は否めない。友人の結婚式で変なノリを長々と繰り広げてしまう悪いクセが止め処無く発動してしまう男を描いた『変なノリ長いヤツ』、「泥酔」を「どろよい」と読むものだと勘違いしていたことを指摘されたにも関わらずリアクションを取らずにこっそり修正しながら話を続けようとする中岡の姑息さがたまらない『Wi-Fi』、透視能力を身につけた男が会社を辞めて超能力者として生きていくことを決意するのだが能力の発動方法があまりにも泥臭い『透視』など、一定のクオリティはキープしているのだが、『試着室』ほどの衝撃を覚えない。良くも悪くも安定期に入っているということなのだろう。

そんな中にあって、他のネタに比べてちょっとだけ魅力を感じたのが『表参道の美容室』というコント。文字通り、舞台は表参道の美容室。中岡演じる中年女性が、コカド演じる美容師に髪をカットしてもらいにやってくる。彼女には「ただのデブのおばさんが……」と、どんな状況においても自虐的に謙遜してしまうクセがある。美容師がどんな提案をしても「ただのデブのおばさんが……」「ただのデブのおばさんが……」と、いちいち自分には勿体無いからと突っぱねてしまう。ところが、ふとした流れで、彼女の夫の話になった途端に……ここから先の展開は実際に見てもらいたい。急転直下のオチには些かの予定調和を感じもしたのだが、中盤以降の展開には深く感心させられた。それが自虐であっても、謙遜だったとしても、その意図が通用するのはあくまでも会話の相手に限られるのである。ロッチだからこそ表現できる、ちょっとブラックな苦味を強めたコント。面白かった。

これらの本編に加えて、特典映像として「中岡ツアーズ in沖縄」を収録。ロッチの二人と本作に関わった三人の構成作家我人祥太がいる!)と中岡の謎の同居人が沖縄旅行に繰り出す様子が撮影されている。数日に渡る旅行の映像を16分にまとめるのは少し無理があるのではないかと危惧していたのだが、絶妙なバランス感による編集のおかげで、短いながらも満足感の残る映像になっている。良い仕事だ。ただ沖縄旅行を楽しんでいるだけの映像でしかないのだが、とても楽しかった。沖縄行きたいなあ(お笑いDVDレビューのオチがそれでいいのか?)

「M-1グランプリ2017」準決勝進出者決定!

こんな感じになりました(カッコ内は昨年の結果)。

和牛(決勝2位)
スーパーマラドーナ(決勝3位)
さらば青春の光(決勝4位)
ハライチ(決勝6位)
カミナリ(決勝7位)
相席スタート(決勝9位)

ニューヨーク(準決勝10位)
マヂカルラブリー(準決勝13位)
ミキ(準決勝16位)
かまいたち(準決勝17位)
南海キャンディーズ(準決勝18位)
ジャルジャル(準決勝19位)
三四郎(準決勝20位)
とろサーモン(準決勝22位)
Aマッソ(準決勝24位)
大自然(準決勝25位)
ゆにばーす(準決勝26位)
霜降り明星(準決勝28位)
アインシュタイン(準決勝29位)

アイロンヘッド(準々決勝敗退)
囲碁将棋(準々決勝敗退)
からし蓮根(準々決勝敗退)
笑撃戦隊(準々決勝敗退)
セルライトスパ(準々決勝敗退)
天竺鼠(準々決勝敗退)
見取り図(準々決勝敗退)
ランジャタイ(準々決勝敗退)

さや香(三回戦敗退)

東京ホテイソン(二回戦敗退)

ウエストランドギャロップ、金属バットの敗退が残念でならない。特にウエストランドはかなりウケていたと聞いているので、もしもそれが事実であるとすれば、もはや審査員との相性の問題なのだろう。いっそ出ないというのも手なのかもしれない。とはいえ、この御時世において、漫才師が売れるための一番の突破口がM-1グランプリなのだから、その判断を下すのは難しいだろう。まあ、その辺りのことをあーだこーだと言ったところで、何がどうなるものではない。とりあえず、昨年大会から気になっているからし蓮根と、唯一無二の危うい世界観の漫才で我が道を突き進むランジャタイに期待を寄せるばかりである。……敗者復活もあるけれどな!

2017年11月の入荷予定

01「エレキコミック結成20周年記念! ?3公演まとめてお得パック?『等等』『東京』『金星! ! 』

03「ジョビジョバライブ『Keep On Monkeys』

15「和牛 漫才ライブ2017~全国ツアーの密着ドキュメントを添えて~

22「バカリズムライブ「ぎ」

22「うしろシティ単独ライブ「とはいえ外はサンダー」

29「2丁拳銃百式2011・2012・2015・2016」」

十月は何かと忙しい月になった。地元のお祭りに参加したり、キングオブコントの感想文を書いたり、「タイタンシネマライブ」を映画館で観賞したり、ヨーロッパ企画やナイツの公演を観に行ったり……実に有意義な時間を過ごさせてもらった。ただ、それと同時に、随分と体力を消耗させられた。十一月はもう少しゆったりとした時間を過ごしたいと思う……のだが、こういう宣言をしていると、どうも逆の状況に陥ってしまう“有言不実行”なところが私にはあるので、果たして。そんな十一月の目玉は、やはりジョビジョバの復活ライブだろう。前回はマギーと福田雄一によるコントユニット“U-1グランプリ”の一環として復活を遂げたジョビジョバだが、今回はまごうことなき単独公演となったようだ。一度、解散してしまったユニットが、こうして完全に復活することが出来たという事例、なかなかに夢があって良い。あと、やっぱり無視できないのは、昨年のM-1グランプリで優勝まであと一歩というところに迫っていた和牛の漫才ライブ。今年の大本命による珠玉の漫才を楽しめることだろう。

追記。2丁拳銃が急に「百式」のソフト化を再開し始めた。……何故に今。2丁拳銃名義のDVDが出るのも「百式2010」がリリースされた2011年以来、およそ六年ぶり。何故に今。

「ナイツ独演会「味のない氷だった」」(2017年10月22日・丸亀)

台風が近付いている。

大きな雨粒が重力に乗っかって大地に打ちつけられていく。その軌道を狂わせんばかりに、激しい風が吹き荒れている。ふと、テレビを点けてみると、お馴染みのバラエティ番組を映し出している画面の中で、悪天候を伝える真っ赤な警報表示がさりげなく注意を呼び掛けている。このような天候の日は、何処へも出かけずに自宅でじっとしているに限る……のだが、そんな最中に私は愛車で国道11号線を走っていた。丸亀市で開催されるナイツの独演会を鑑賞するためである。

東京の演芸場を中心に活動している漫才師、ナイツ。ゼロ年代末に「爆笑レッドカーペット」を中心に巻き起こったショートネタブームにおいて、ボケ役の塙がおかしな検索サイトで調べてきた間違った情報を一方的に話し続け、それに対してツッコミ役の土屋がボケを止めずに淡々と訂正し続ける“ヤホー漫才”スタイルで人気を博し、以後、漫才師として高く評価され続けているコンビである。ややゴシップネタ・下ネタに走る傾向が見られるものの、そのシンプルな言い間違い・勘違いに軸を置いた芸風は老若男女を問わず理解されやすい。

そんな彼らが、遂に2016年から独演会による全国ツアーをスタート。それまで国立演芸場横浜にぎわい座などの特定の会場でしか楽しめなかった、多種多様なスタイルの漫才とゲストの実力派芸人たちによるパフォーマンスで彩られるステージを全国各地で体感できるわけだ。今年、その開催地の一つとして、何故か丸亀が選ばれた。他の開催地を見ると、それなりに有名な場所ばかりが選ばれているのに、どうして四国は丸亀が選ばれたのか……理由は分からない、西讃地区に生活圏を持っている私にとって、実に有難い話である。

そして迎えた当日。ナイツと一緒に台風も来たのである。困ったものだ。

自宅から丸亀市までは車で30分程度。開場時刻が午後2時30分だったので、一時間前に出発すれば十二分に間に合う距離ではあったのだが、会場となる「丸亀市生涯学習センター」に駐車場があるのかどうかが定かではなかったため、正午過ぎには自宅を出た。途中、コンビニに立ち寄り、総菜パンと折り畳み傘を購入。運転しながら食べるためのパンに焼きそばパンをチョイスすべきではなかったと、些か後悔した。以後、これといった大きな事件・事故に遭遇することなく、午後1時過ぎに会場へと到着。きちんと施設利用者向けの駐車場があったので、そこに車を停車した。それから、まるでやることがなかったので、とりあえず丸亀城にでも向かってみようか……と、先程購入したばかりの折り畳み傘を片手に外へと飛び出すも、あまりにも激しい雨と周辺の人通りの無さに怖気づき、そそくさと後戻り。結局、センター内をあっちこっちウロウロして、時間を潰した。

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午後2時30分開場。チケットをもぎってもらい、物販コーナーへ。ライブグッズとして千社札・手ぬぐい・日めくりカレンダー、そして過去にリリースされたCD・DVDなどが売られていた。しばらく眺めてみるも、あまり心を揺さぶられず。公演の後に改めてチェックしようと思い、その場を離れて会場へ。席番は“あ-4”。最前列の左から四番目の席に座っていたら、「そこ、私たちの席なんですが」と言われ、慌てて立ち上がった。よくよく確認してみると、端っこの席が“あ-3”という中途半端な番号だったのである。なんともややこしい。席は窮屈でやや粗雑。座るときに思いっきり身体を委ねてみたら、少しだけ席が後方にズレた。大丈夫かいな。

午後3時開演。

ナイツ「漫才」

中津川弦「漫談」

ナイツ「漫才」

ナイツ「漫才」

ナイツ「漫才」

だーりんず「コント:面接」

企画「祝!ヤホー漫才10周年」

銀シャリ「漫才:子どもの頃の遊び・ピアノを習う」

ナイツ「漫才」

ナイツ「日替わり漫才「脳の神秘」」(作:ジグザグジギー池田勝

ナイツ「漫才」

ナイツ「お楽しみ」

会場でスタッフや演目を確認できる冊子を貰ったので、ネタのタイトルを書くことも出来るのだが、今後のツアーやDVD化などの事情を考慮して、ゲストのネタと企画と日替わり漫才だけ書き残しておくことにした。ただ、一点だけネタバレかもしれない程度のことを書き記しておくと……歌ネタが新たな展開を見せていた。あの手法にまだまだ可能性があるとは思ってもいなかったので驚いた。今後が楽しみだ。そんなナイツのネタは当然のことながら面白かったのだが、中津川弦の引き潮のような漫談、だーりんずのしっかりとした安定感のコント、銀シャリM-1王者としての威厳すら感じさせる迫力ある漫才も実に素晴らしかった。

ちなみに、今回の公演のタイトルは、内海桂子師匠の以下のツイートから。

午後4時半に終演。冊子によれば二時間ほどの公演を予定していたようなのだが、台風の影響を考慮して、かなり早めに切り上げたらしい。本来はもっとアドリブが盛り込んでいく予定だったのだろうか。見たかったな。終演後、Twitterでフォローしているおカヨ坊さんと遭遇、中津川弦氏とツーショット写真を撮らせていただく。特にファンというわけではないのだが(←言わなくてもいい)、なんだか激しくコーフンしてしまった。今日の彼のパフォーマンスがとても面白かったからだろう。おかげで、なんだかよく分からないことを口走ってしまったような気がする。忘れよう。

その後、車に乗り込み、とっとと帰路へつく。物販でナイツのCDを購入したので、これを車内で聴きながら帰った。最新のネタを堪能した直後なので、昔のネタに物足りなさを覚えるのではないかと思ったのだが、想像していたよりもずっと面白くて、素直に笑ってしまった。これがオーソドックスの底力か……と感心させられた。

ナイツ爆笑漫才スーパーベスト

ナイツ爆笑漫才スーパーベスト

 

午後6時帰宅。お疲れさまでした。

「お笑い評論家ほどお笑いから遠い人いないですからね」

「お笑い評論家ほどお笑いから遠い人いないですからね」

某月某日。Twitterのタイムラインを眺めていたら、こんなことをテレビで千原ジュニアが言っていたというツイートが流れてきた。お笑い評論家を名乗っているわけではない(※2017年当時)が、お笑いについてあーだこーだと宣うブログを運営している身としては、些か引っ掛かる物言いである。

とはいえ、このような退屈な戯言を、かの天才・千原ジュニアがそう簡単に口にするわけがない。余程のつまらぬお笑い評論家に神経を逆撫でされるようなことを言われたのだろう……と、思っていたのだが、そのお笑い評論家が西条昇だと知って、頭を抱えてしまった。まったく冗談じゃない。

一般にはあまり知られていないが、西条昇氏は賞レースが開催されるたびに水たまりか何処かから孵化して大量発生するようなそんじょそこらの自称・お笑い評論家などと野次られるような輩とは比較することも愚かしい、正真正銘のガチのお笑い評論家である。構成作家・舞台演出家として現場を経験し、現在は大学でお笑い学の講師を務めている。氏が2003年に上梓した『ニッポンの爆笑王100―エノケンから爆笑問題までニッポンを笑いころがした面々』はお笑い芸人解説のマスターピースだ。是非ご購読を。

無論、「西条氏の言うことは絶対だ!」などと、信者みたいなことを申し上げるつもりはない。ただ、この本意気のお笑い評論家を捕まえて、先述のようなことを言ってのけたのだとすれば、それはまったくもって愚かであるとしか言いようがない。安易におっとり刀で切り捨てていい人ではないのだ。あの立川談志から西条昇は藝に惚れた。芸能に惚れたのである。その芸能の内に入る演芸に惚れた。軽演劇に惚れたのである。その惚れ様が家元に酷似する。価値観が共有するのである」と評された人物である。余程の理由もないのに、「お笑いから遠い人」などと言ってしまっていい相手ではない。

というわけで、実際のところはどうだったのか、番組の再放送を確認してみることにした。

2017年10月12日放送ハートネットTV

番組のテーマは「“マイノリティ”と笑い」。先日、放送された「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念スペシャル」において、石橋貴明が「とんねるずのみなさんのおかげです」時代の人気キャラクター・保毛尾田保毛男として登場したことがネットで物議を醸した件を受けて、番組内では様々な意見が飛び交っていた。

ゲイの弁護士・南和行氏は「批判的な気持ちでまず見たっていうのもあるんですけど、やっぱりなくてもいいのになとか、あと、誰かが「これはちょっと……」って言わなかったのかなっていうのはありました」とコメント。一方で、ゲイの女装ライター・ブルボンヌ氏は、個人的には好意的に捉えていたと話しながらも「どこを見てたかとか、その子の周りにどんな環境があったかで、全然意見が違っちゃったんだろうな、とは思います」と慎重に発言されていた。

この他にも、議論の俎上に上げられるようになっただけ時代は変わった、メディアが表現と向き合うきっかけとしての抗議の大切さ、「ホモ」という言葉の持つ意味の変容など、メディアとマイノリティの有り様について様々な意見が交わされていた。

その流れの中で、「そもそもどうして人は笑うのか、お笑い論の専門家に話を聞いてみた」として、西条昇氏がVTR出演を果たしていた。

以下、西条氏のコメント。

「もともと、お笑いっていうのは、どこか差別的な部分っていうかな。そういうことをネタにすることが多くて、狂言なんかにも身体の不自由な方なんかが登場して、それを真似するネタとかね……そういうのもあったりして」

「“人の不幸は蜜の味”っていうような言葉もありますけど、それと通じる部分とかもあるのかもしれませんね」

「その、どっか常識・良識をふっと忘れたときに見たら、現象として面白いなって思っちゃったり、笑ってしまう部分は、人間はどこかあるんじゃないですかね」

「だから、芸人の本能としては、そういう逆に扱いにくいところでも、出来れば上手く扱ってみたい、みたいな……そういう欲もあると思うんですよね」

「そういう問題を扱っているんだけども、誰も傷つかないようにするとか。やっぱり、そこが逆にいえば、芸人の腕の見せどころのような気もしますけどね」

このVTRを受けて、ジュニアは以下のように発言していた。

「お笑い評論家ほどお笑いから遠い人いないですからね」

「まったく芸人は誰も傷つけたくないですし、ただ面白いことを提供したいということだけで、傷つけてしまったことには「申し訳ないな」と思いますけれれども、そんな気さらさらないです」

「誰かを差別して笑いを取ろう、誰かを嫌な気持ちにさせて笑いを取ろう、うーん、どんなネタを作ろうって考えている人、一人もいませんから、芸人で」

このジュニアの発言に、スタジオの人たちは共感するかのように頷いていたのだが、西条氏のコメントとジュニアの発言がまるで噛み合っていないことに誰も気付かなかったのだろうかと、少し頭が痛くなった。

西条氏の発言を要約すると「大衆は差別的な笑いを求めるところがある。だから芸人は本能として、そういった本来は扱いにくいテーマを扱ってみようという欲があるのではないか。そういったテーマを扱っているのに、誰も傷つかないようにするところが芸人の腕の見せどころ」ということにある。芸人が差別的な笑いを意欲的に作ろうとしているという話ではなく、大衆がそれを求めているからこそ、芸人はあえてそういった笑いに本能的に切り込もうという欲があるという話なのである。だから、ここでジュニアが芸人を代表するかのように、「私たちは差別的な笑いを作ろうと思っていない!」とでもいうような宣言をするのは、むしろ自身の笑いが差別性を孕んでいることについて認識できていないことの表れになってしまっていて、なんとも宜しくない。それ単なる自爆やぞ。

ただ、この件に関しては、ジュニアばかりを責められない。

そもそも「“マイノリティ”と笑い」などというテーマを掲げていながら、笑いの持つ差別性についての解説を短く編集されたVTRだけで処理しようとした番組の姿勢が良くないのである。もし、本当に真剣に語り合うのであれば、せめて生放送なんて土壇場でやらずに、きちんと細かい説明なども交えた上で議論すべきだった……とはいえ、こんな安易な言葉で切り捨てることはないと思うが。せめてその懐に忍ばせているジャックナイフは抜いてほしかったぜ。