白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

「お笑い評論家ほどお笑いから遠い人いないですからね」

「お笑い評論家ほどお笑いから遠い人いないですからね」

某月某日。Twitterのタイムラインを眺めていたら、こんなことをテレビで千原ジュニアが言っていたというツイートが流れてきた。お笑い評論家を名乗っているわけではない(※2017年当時)が、お笑いについてあーだこーだと宣うブログを運営している身としては、些か引っ掛かる物言いである。

とはいえ、このような退屈な戯言を、かの天才・千原ジュニアがそう簡単に口にするわけがない。余程のつまらぬお笑い評論家に神経を逆撫でされるようなことを言われたのだろう……と、思っていたのだが、そのお笑い評論家が西条昇だと知って、頭を抱えてしまった。まったく冗談じゃない。

一般にはあまり知られていないが、西条昇氏は賞レースが開催されるたびに水たまりか何処かから孵化して大量発生するようなそんじょそこらの自称・お笑い評論家などと野次られるような輩とは比較することも愚かしい、正真正銘のガチのお笑い評論家である。構成作家・舞台演出家として現場を経験し、現在は大学でお笑い学の講師を務めている。氏が2003年に上梓した『ニッポンの爆笑王100―エノケンから爆笑問題までニッポンを笑いころがした面々』はお笑い芸人解説のマスターピースだ。是非ご購読を。

無論、「西条氏の言うことは絶対だ!」などと、信者みたいなことを申し上げるつもりはない。ただ、この本意気のお笑い評論家を捕まえて、先述のようなことを言ってのけたのだとすれば、それはまったくもって愚かであるとしか言いようがない。安易におっとり刀で切り捨てていい人ではないのだ。あの立川談志から西条昇は藝に惚れた。芸能に惚れたのである。その芸能の内に入る演芸に惚れた。軽演劇に惚れたのである。その惚れ様が家元に酷似する。価値観が共有するのである」と評された人物である。余程の理由もないのに、「お笑いから遠い人」などと言ってしまっていい相手ではない。

というわけで、実際のところはどうだったのか、番組の再放送を確認してみることにした。

2017年10月12日放送ハートネットTV

番組のテーマは「“マイノリティ”と笑い」。先日、放送された「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念スペシャル」において、石橋貴明が「とんねるずのみなさんのおかげです」時代の人気キャラクター・保毛尾田保毛男として登場したことがネットで物議を醸した件を受けて、番組内では様々な意見が飛び交っていた。

ゲイの弁護士・南和行氏は「批判的な気持ちでまず見たっていうのもあるんですけど、やっぱりなくてもいいのになとか、あと、誰かが「これはちょっと……」って言わなかったのかなっていうのはありました」とコメント。一方で、ゲイの女装ライター・ブルボンヌ氏は、個人的には好意的に捉えていたと話しながらも「どこを見てたかとか、その子の周りにどんな環境があったかで、全然意見が違っちゃったんだろうな、とは思います」と慎重に発言されていた。

この他にも、議論の俎上に上げられるようになっただけ時代は変わった、メディアが表現と向き合うきっかけとしての抗議の大切さ、「ホモ」という言葉の持つ意味の変容など、メディアとマイノリティの有り様について様々な意見が交わされていた。

その流れの中で、「そもそもどうして人は笑うのか、お笑い論の専門家に話を聞いてみた」として、西条昇氏がVTR出演を果たしていた。

以下、西条氏のコメント。

「もともと、お笑いっていうのは、どこか差別的な部分っていうかな。そういうことをネタにすることが多くて、狂言なんかにも身体の不自由な方なんかが登場して、それを真似するネタとかね……そういうのもあったりして」

「“人の不幸は蜜の味”っていうような言葉もありますけど、それと通じる部分とかもあるのかもしれませんね」

「その、どっか常識・良識をふっと忘れたときに見たら、現象として面白いなって思っちゃったり、笑ってしまう部分は、人間はどこかあるんじゃないですかね」

「だから、芸人の本能としては、そういう逆に扱いにくいところでも、出来れば上手く扱ってみたい、みたいな……そういう欲もあると思うんですよね」

「そういう問題を扱っているんだけども、誰も傷つかないようにするとか。やっぱり、そこが逆にいえば、芸人の腕の見せどころのような気もしますけどね」

このVTRを受けて、ジュニアは以下のように発言していた。

「お笑い評論家ほどお笑いから遠い人いないですからね」

「まったく芸人は誰も傷つけたくないですし、ただ面白いことを提供したいということだけで、傷つけてしまったことには「申し訳ないな」と思いますけれれども、そんな気さらさらないです」

「誰かを差別して笑いを取ろう、誰かを嫌な気持ちにさせて笑いを取ろう、うーん、どんなネタを作ろうって考えている人、一人もいませんから、芸人で」

このジュニアの発言に、スタジオの人たちは共感するかのように頷いていたのだが、西条氏のコメントとジュニアの発言がまるで噛み合っていないことに誰も気付かなかったのだろうかと、少し頭が痛くなった。

西条氏の発言を要約すると「大衆は差別的な笑いを求めるところがある。だから芸人は本能として、そういった本来は扱いにくいテーマを扱ってみようという欲があるのではないか。そういったテーマを扱っているのに、誰も傷つかないようにするところが芸人の腕の見せどころ」ということにある。芸人が差別的な笑いを意欲的に作ろうとしているという話ではなく、大衆がそれを求めているからこそ、芸人はあえてそういった笑いに本能的に切り込もうという欲があるという話なのである。だから、ここでジュニアが芸人を代表するかのように、「私たちは差別的な笑いを作ろうと思っていない!」とでもいうような宣言をするのは、むしろ自身の笑いが差別性を孕んでいることについて認識できていないことの表れになってしまっていて、なんとも宜しくない。それ単なる自爆やぞ。

ただ、この件に関しては、ジュニアばかりを責められない。

そもそも「“マイノリティ”と笑い」などというテーマを掲げていながら、笑いの持つ差別性についての解説を短く編集されたVTRだけで処理しようとした番組の姿勢が良くないのである。もし、本当に真剣に語り合うのであれば、せめて生放送なんて土壇場でやらずに、きちんと細かい説明なども交えた上で議論すべきだった……とはいえ、こんな安易な言葉で切り捨てることはないと思うが。せめてその懐に忍ばせているジャックナイフは抜いてほしかったぜ。