白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

「UWASAのネタ」(2017年6月21日)

ナイツ「早くマイクに辿り着きたい」

南海キャンディーズ「シェアハウス」

サンシャイン池崎「記憶喪失」

中川家次長課長井上「韓国でありそうな番組」

NON STYLE「刑事の取り調べ」

友近ハリセンボン春菜「路上販売」

サンドウィッチマン「ゴルフのキャディ」

カミナリ茨城県のアピールポイント」

U字工事「栃木に比べて茨城は」

レイザーラモンRG細川たかし「『北酒場』で細川たかしのあるある」

クールポコ。&三遊亭好楽「モテようとして……」

トレンディエンジェル斎藤(&タッキー)「ジャニーズメドレー」

ヒロシ(&水卜麻美)「ヒロシです

オードリー若林「野球教室」

平成ノブシコブシ「火事の現場」

AMEMIYA(&DAIGO)「うぃっしゅポーズはじめました」

テレビではあまりお目に掛かれないネタを「UWASAのネタ」として披露するバラエティ番組。番組を見始めた段階では、無闇に大きい観覧客のゲラ声や意味のないチーム対抗戦システムに少なからず違和感を覚えたが、細川たかし三遊亭好楽が芸人とネタでコラボしたり、水卜アナやDAIGOがネタを披露したり、トレンディエンジェル斎藤がジャニーズの替え歌をタッキーと歌ったり、そもそもネタ番組として見ることが間違っているのだと気付かされた。こういうのは酒でも引っ掛けながら気楽に見るべきなのだろう。とはいえ、その一方で、南海キャンディーズの新ネタやオードリー若林のピンネタをオンエアするという、妙にシブい一面も。浅さと深さを両立させようとした結果、このような番組に仕上がったのかもしれない。ちなみに、企画・演出は、「落下女」「ぜんぶウソ」「潜在異色」「たりないふたり」などの番組を手掛けた安島隆。

一番笑ったのは、友近ハリセンボン春菜のコント。正直、中川家友近が繰り広げる類いのアドリブコントにはもう飽き飽きしていたのだが、路上で雑多とした商品を売っているヤバい二人が取り留めのない話を延々と繰り広げる……という設定がもうたまらなかった。よくテレビで放送できたな。中年男を演じた春菜の演技力の高さにも驚いた。あんなにリアルに中年男性を演じられるとは。ビジュアルだけの問題ではないだろう。お見それしました。

2017年7月の入荷予定

26「アンガールズ単独ライブ「俺、、、ギリギリ正常人間。」

26「裸の王様」(アキラ100%

26「M-1グランプリ2016 伝説の死闘! 〜魂の最終決戦〜

アンガールズは二年連続でのリリース。今年も「キングオブコント」に出場するのかな。田中ばかりがバラエティに出演している現状、こうしてコンビでのネタにも力を入れてくれるのは大変に喜ばしい。ご存知「R-1ぐらんぷり2017」王者・アキラ100%はこれが初の単独作品。彼自身の芸風は単純だが、現時点でSMA芸人による作品はほぼハズレなし(バイきんぐ、マツモトクラブ、オテンキ、ハリウッドザコシショウ、だーりんず等)なので、けっこう期待している。「M-1グランプリ」のDVDは王者・銀シャリの一本目のネタが版権の関係で収録できないという緊急事態。その代わり、彼らによるネタ解説が収録されるということなので、そちらの方でなんとかリカバリーしていてもらいたいところ。その他、敗者復活戦、M-1リターンズ、ドキュメンタリーオブ銀シャリなどの映像を収録しているらしい。楽しみだね。

「髭男爵 単独舞踏会「ボンジュール~お姉さんのロンドン留学の話がなくなってもいいのかい!?~」」(2008年12月24日)

髭男爵 単独舞踏会「ボンジュール~お姉さんのロンドン留学の話がなくなってもいいのかい!?~」 [DVD]

髭男爵 単独舞踏会「ボンジュール~お姉さんのロンドン留学の話がなくなってもいいのかい!?~」 [DVD]

 

2008年7月に新宿明治安田生命ホールで開催された単独舞踏会を収録。

爆笑レッドカーペット」を中心としたショートネタブームの最中、数々のキャラ芸人たちとともに注目を集めたお笑いコンビ、髭男爵の貴重な単独作品である。ただ、この時点で髭男爵は、M-1グランプリの準決勝戦に進出するほどには実力が認められていたので、他のキャラ芸人たちと十把一絡げにまとめてしまうのは、少し違うのかもしれない。事実、ツッコミを入れるたびに、お互いが手にしているワイングラスをぶつけ合う“貴族のお漫才”スタイルは、漫才の演出としてもリズムとしても魅力的で、非常によく出来ていた。

本編でも“貴族のお漫才”が披露されている。オープニングを飾っている『バケーション』というネタがそれだ。最近、プライベートで色んなことがあって疲れているというひぐち君に、男爵様が一緒にバケーションに出かけないかと話を持ち掛ける。オープニングトークからの流れで披露されているため、やや違和感の残る始まり方をしてしまっているが、肝心の内容は十年近く経過した今でも十二分に面白い。“貴族のお漫才”がヒットしてからというもの、髭男爵は新たなフォーマットを模索するようになっていったのだが、このフォーマットだけでも十二分に戦えたのではないかと今となっては思わずにいられない。

その模索の中で生まれた漫才が『本』である。蔵の中から沢山の本を見つけてきたひぐち君が、男爵様の未来が書かれているという予言書を読み上げていく。読み物漫才にシフトチェンジするという発想は悪くなかったように思うが、男爵様が本の内容にツッコミを入れると同時にページを破り捨てるというスタイルは宜しくない。例えば、普段から本に慣れ親しんでいる読書家の人ならば、それが演出だと分かっていたとしても、本の頁を破り捨てるという行為に少なからず不快感を覚えるだろう。……あと、舞台が汚れるし。それはそれとして、こちらもネタの内容は面白かった。途中から、男爵様の本当のプロフィールが読み上げられていくのだが、その詳細がいちいち強烈で、もっと詳細が知りたくなった。近年、男爵様が世にお出しになられたエッセイ本『ヒキコモリ漂流記』には、きっと細かい情報が書かれているのだろう。まだ読んでないから分からないけれど。

これ以降の漫才は、いずれも単独公演ならではの遊び心に満ちたネタとなっている。例えば、覆面を装着して剣を手にした男爵様が剣で壁に刻んだ文字でひぐち君のボケにツッコミを入れる『怪傑ゾロ漫才』、ひぐち君が考えてきたショートコントに男爵様が強引に巻き込まれる『セクシーオリンピック』、男爵様のボケに身分の差から対等にツッコミを入れることが出来ないひぐち君が民衆(=観客)の協力を得てツッコミを入れようと試みる『民衆の声漫才』……正直、文章だけで説明して、これらの漫才の概要がきちんと読者の方々に伝わっているのか不安になるが、とにかくそういうようなネタなのである。

正直、芸人のネタとして見ると、完成度はさほど高くはない。ただ、貴族と召使のコンビが観客を楽しませることに重点を置いたライブとしては、とても面白かった。ひぐち君が天狗になっていることをVTRで徹底的に糾弾したり、髭男爵サンミュージックの社長とダンディ坂野モノボケに興じたり、幕間で謎の外国人俳優が茶番を披露したり……他所ではなかなか見られない楽しさに満ち溢れていた。もしも私がナマでこのライブを観ていたとしたら、きっと良い思い出として記憶に残ったに違いない。

ちなみに、どうしてこの作品を今のタイミングでレビューしているのかというと、「ワイドナショー」に出演された山田ルイ五十三世のコメントがTwitterで話題になっていたからだ。……このようなことを書くと、なにやら話題に便乗しようとしているように見られるかもしれないが、こちらの気持ちはむしろ逆だ。コメンテーターとしての山田ルイ五十三世が注目を集めることは別に構わないのだが、それに伴い、芸人としての髭男爵の確かな面白さを忘れ去られてしまうことに不安を感じたのである。十年前、髭男爵は確かに面白いコンビだったし、その“貴族のお漫才”は唯一無二のスタイルだった。それだけはしっかりと覚えておいてもらいたい。今も漫才が面白いのかどうかは知らんが。きっと面白いんじゃないかなあ。

■本編【84分】

「バケーション」「ショートコメディ「ロバーツとキャロライン」」「本」「怪傑ゾロ漫才」「ショートコメディ「パン泥棒」」「セクシーオリンピック」「VTR:天狗なひぐちくん」「ひぐちくんオーディション」「ショートコメディ「借金」」「キツネ狩り」「民衆の声漫才」

■音声特典

髭男爵大関隆之(マネージャー)・堀由史(構成作家)・山本しろうエルシャラカーニ)によるコメンタリー

ネットカフェに行ったというだけの話。

このところ、ブログの更新が格段に滞っているのは、お笑いに対する興味が失われてしまったわけではなく、お笑い芸人のDVDをレビューすることに対するモチベーションが行方不明になってしまっただけなので、そういったものを欲求なさっている読者の皆様方は是非とも心配なさって頂きたいところ。なにより私自身が心配している。困ったものだ。それでも文章を書きたいという執筆欲と文章を読まれたいという承認欲は中学生の性欲レベルにまで高まっているので、先日久しぶりにネットカフェへと出かけた話を書き残してみようと思う。私の旅行記は一部に人気があるらしいので、こういうのもそれなりに楽しいだろう。

2017年6月17日、ネットカフェに行く。私は田舎での生活を余儀なくされている似非サブカル野郎なので、定期的にネットカフェのような地方の泥臭さから隔絶された空間に身を置かないと、憤死してしまうのである。この日、私が訪れたのは、香川県宇多津市にある「快活CLUB 宇多津店」。より自宅に近い場所に他のネットカフェチェーン店も幾つか存在しているのだが、それらの店舗はダーツやビリヤードに興じるようなリアル充実エンターテインメント人生を送っているような人たちを優先した構造になっているので、私のような心も身体も性欲も陰惨を極めている身としては、憂鬱と嫉妬にまみれて自害してしまいかねない。その点において、快活CLUBは安心だ。アジア的なインド的な何かをモチーフとした怪しげな空間作りが実にたまらないし、店内を徘徊している同胞たちの人生を上手く生きることが出来ていないことが全身から滲み出ているのも嬉しい。ああ、私はこの世で独りぼっちじゃない!

自宅から車を走らせて約一時間後、「快活CLUB 宇多津店」に到着したのが午後1時半を迎えたころ。国道十一号線からスムーズに駐車場へと飛び込む。この店の駐車場の収容台数は微妙に少ないので、ひょっとしたら駐車できないのではないかという不安もあったのだが、かろうじて一台分だけ空いていたので、そこに停める。その直後、財布の中身が心許なかったことを思い出す。否、気のせいではないかと思い、きちんと長財布を開いて確認してみると、千円札が一枚しか入っていない。気のせいではなかった。ううむ。無論、千円だけでも、ネットカフェを楽しむことはそれなりに可能だ。とはいえ、心から楽しむには、やはり多少の余裕をもって臨みたいというのが人の心というものである。そこで車内に小銭は残っていないかと調査してみたところ、ダッシュボードで五百円玉を発見する。勝機は我にあり! 千円と千五百円とではまったく事情が変わってくる……という話を文章で説明するのは非常に業務的な面倒臭さを伴うので、各自で快活CLUBの利用料金をチェックしていただけると有り難い。

そんなこんなで店内へ。ここでは「オープンシート」「リクライニングシート」「フルフラットシート」「マッサージシート」などの席を選ぶことが出来る。「ソファシート」「ペアフラットシート」などの二人用の席もあるらしいが、そんなものは知ったことではない。帰れ。普段の私は「フルフラットシート」(お座敷タイプのブース席)を選んでいるのだが、この日は私と同様に堕落を貪りたい人間のボーダーライン上に居る方々が他にも多数来店していたらしく、満席だったため「リクライニングシート」(リクライニングチェアタイプのブース席)を選んだ。余談だが、もしも宿泊を目的にネットカフェを利用するならば、絶対に「フルフラットシート」を選ぶべきである。それ以外の席だと、翌朝になって首がちぎれかけているからだ(寝方が良くないのかもしれない)。

受付を済ませたら、まずは席へと移動する。持参した荷物を置くためである。ドリンクバーと書棚の間にある通路を通り抜け、ブース席が並んでいるフロアへ。ブース席の中からはまったく人の気配がしない。だが、確実に、そこには何者が存在する。ことによると、そこにいるのは人間ではないのかもしれない。私の席はブース席の中でも端っこの席だった。端っこの席は後ろを通過する人間が少なくなるので、防犯面においては安心だ。ただ、反対側の席が「ソファシート」で、時たま男女のヒソヒソ声が聞こえてきたのでとてもワイセツだった。私がセコンドならタオルを投げて追い出すところである。投げるな。荷物を置いたら、飲み物を取得するためドリンクバーへと戻る。人間の身体の約60%は水分で出来ているという。水が無ければ人は生きていけない。それはネットカフェであっても同様だ。下劣で無様な漫画を読みふけることよりも、インターネットでアダルト動画を入手することよりも、まずはライフラインたる飲み物である。この日は客としての権限を大いに振るい、多量のジンジャーエールを搾取、甘い汁を注ぎ込んだコップを持って席へと戻った。

あとは漫画である。以前から気になっていた漫画を書棚から回収し、ただひたすらに読み進める。以下、読んだ漫画。

ナナメにナナミちゃん(1) (ヤングマガジンコミックス)

ナナメにナナミちゃん(1) (ヤングマガジンコミックス)

 
ぽちゃこい 1

ぽちゃこい 1

 

ネットカフェに来ると、いつもクール教信者ばかり読んでいる気がする。ネットカフェという場所の雰囲気と氏のネットユーザー特有の出鱈目に埋没していく思考が不思議と合致しているのかもしれない。『ナナメにナナミちゃん』は一部内容がネット上に流出して、ちょっとだけ炎上しそうな雰囲気になっていた作品。事実、amazonレビューはほんのり荒れているのだが、根本的な読み方が誤っている気がしてならない。ムラタコウジはエロとアホが混在した作品を得意とする漫画家だが、『ぽちゃこい』はエロを抜いてアホだけで成立させている。独特のテンションが面白い。オジロマコトは傑作『富士山さんは思春期』の作者。『富士山さん~』がそうであったように、『猫のお寺の知恩さん』も青春の瑞々しさとちょっとエッチな描写が上手く噛み合っていて、面白かった。三巻の終盤の不穏な空気も気になるところなので、これは単行本を買うかもしれない。『ポプテピピック』は初読。噂通りにヒドかった。

午後3時50分ごろ、店を出る。ネットカフェに長居してしまうと、本当に一日があっという間に過ぎてしまうので、三時間ほどの滞在が丁度良いのである。ネットカフェに長居していいのは、そこに宿泊する覚悟が整っている場合だけだ。

行きも帰りも車内には私立恵比寿中学の最新アルバム『エビクラシー』が流れていた。

エビクラシー(期間生産限定盤)

エビクラシー(期間生産限定盤)

 

毎度、明るく楽しい音楽に包み込まれているエビ中のアルバムだが、本作は全体を通して切なさが滲んでいるような印象を受けた。否、その原因はなんとなく分かっているのだが、だからこそ、それは単なる思い過ごしでしかないような気もしている。このアルバムを聴いている私の中に残っている記憶が、このアルバムを切なくさせているだけなのかもしれないからだ。でも、それでも、『感情電車』の「感情電車は特快で今 もう もう どこにも止まれないよ」という歌詞に、『紅の詩』の「油断して知らない歌で泣きそーうだ」という歌詞に、『フォーエバー中坊』の「永遠に 永遠に 永遠に 中坊」という歌詞に、“今”に連れてくることの出来なかったメンバーを重ねてしまう。

なんだか感傷的になりながら、家路をゆらゆら向かったのであった。

夜を漂う『エイリアンズ』

ああ、キリンジいいなあ、と思うわけですよ。

LINE mobileのCMをご覧になられましたか。いいですよねえ。のん(能年玲奈)が出演しているってだけでも話題性は十二分ですが、楽曲にキリンジの『エイリアンズ』を使っているというのが大変に宜しいです。現世とはかけ離れた世界にいるかのようなのんの非現実感と真夜中の街の情景を繊細に切り取った『エイリアンズ』の歌詞が素晴らしい融合を見せております。

まるで僕らはエイリアンズ
禁断の実 ほおばっては
月の裏を夢みて

それはなんだか、のんという女優の不可思議な境遇を物語っているようにも見えて、もしかしたら送り手の意図以上の深みを感じさせられてしまうのでありました。

……と、こうして記事にするのはタイミング的に遅すぎるのではないかと思われるかもしれない。はい。つい先ほど、このLINE mobileのスペシャルCMが流れているのを見かけて、同CMの通常版を目にしたとき以上に感動してしまったので、思わずこのような文章を書き上げてしまったのでした。いやー、いいシリーズだ。

映画を観に行った話。

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス オーサム・ミックス・VOL.2(オリジナル・サウンドトラック)

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス オーサム・ミックス・VOL.2(オリジナル・サウンドトラック)

 

週末。「SHOW COM」用の原稿でモチベーションを使い切ってしまったことに加えて、仕事中に上司からまあまあ理不尽にブチギレられたので(若い頃は、あんな風にキレられるような人生を送ることになるとは思わなかったな)、あらゆる感情が絞りカスのようになってしまっていたのだが、適当に時間を作って『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』を観に行ったおかげで、いくらか気持ちが晴れた。いやー、いい映画だった。事前に前作『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を観て、キャラクターたちの関係性を再確認しておいたことが非常に良かった。

否、そもそもの話をすると、私は前作を映画館で観賞したとき、それほど感動できなかったのである。勝手にコメディ調のSF映画なのだろうと決めつけて、最初から最後までそういう視点から鑑賞してしまったからだ。確かにコミカルなシーンは多い映画なのだが、それでもコメディではない。今回、この意識を完全に切り替えて、前作と本作を洋画版「カウボーイ・ビバップ」を観るような感覚で観賞したところ、実に良かった。まぁー、良かった。前作からのキャラクターたちが次々に登場するのだが、そこから更に全員の心の深いところにまでしっかりと触れていて、でもキャラクターを崩壊させるようなことはしてなくて、後半はとにかく胸が熱くなるばかり。終盤10分くらいは、文字通り号泣が止まらなかった。これでもかと流れる名曲の数々も素晴らしく、帰りに何故かボブ・マーリィのライブアルバムを買ってしまった。なんでだよ。サントラ買えよ。

Live

Live

 

でも、アルバム自体は良かった。これはあくまで自論なのだが、お互いをディスりあうフリースタイルの流行が終わったら、次は平和的で優しいレゲエが流行るのではないかと思う(湘南乃風とかみたいな感じではなく、もっと身近で日常に根付いた感じの)。今年の夏はレゲエだ。

何が言いたいかというと、気分が腐っているときは映画がいいぞ、という話でした。

「学天即「マンザイ・オン・デマンド」」(2015年8月5日)

2015年4月29日にルミネtheよしもとで開催された収録用ライブの模様を収録。

学天即は同じ中学校の同級生である四条和也奥田修二によって2005年に結成された。コンビ名の由来は1928年に昭和天皇即位を記念して催された大札記念京都博覧会に出品された東洋初のロボット“學天則”から。「M-1グランプリ2005」への出場を目的にコンビを結成、アマチュアながらも準決勝戦への進出を果たしている。その後、オーディションを経て、2007年に現在の事務所であるよしもとクリエイティブ・エージェンシーへと所属。本作は、そんな彼らが過去に出場してきた賞レースで披露した、漫才・コントを再演しているベスト盤だ。

学天即の芸風は、いわゆる“しゃべくり漫才”である。うっかりすると聞き逃してしまいかねない程にしれっと繰り出される四条のボケを、奥田がたくさんの言葉を用いてツッコミを入れて笑いへと昇華するスタイルを取っている。本編では、映画を見た本数や寝ていない時間などといった下らないことを自慢げに話す四条に対して奥田が鋭いツッコミを入れる『しょうもない自慢するやつ』、旅行に行きたいという四条が目的地を選んだ理由を説明するたびに奥田からツッコミを受ける『旅行』、アトランダムにどうでもいいことを言い続ける四条に奥田は困惑を隠せない『どうでもいいこと言うてくるやつ』、語られるエピソードがどれもこれも四条の老人化を物語っている『じじい』、奥田がクイズ番組に出場したとしても緊張しないように予習として四条がクイズを出題する『クイズ』など、12本のしゃべくり漫才が演じられている。

いずれのネタも非常に面白いのだが、何度か物足りなさを感じる瞬間も。恐らく、学天即の漫才における、四条のボケと奥田のツッコミのバランスに問題があるのだろう。四条のボケは一瞬では理解し辛いものも多く、奥田がツッコミを入れることでようやくボケの意味を理解できるようになることも少なくない。それ故に、四条よりも奥田の方が目立ってしまい、どうにもパワーバランスの悪さを感じてしまうのである。彼らと同様、ツッコミの方が目立ち過ぎている印象の強かった銀シャリが、この点を上手く解決して「M-1グランプリ2016」で優勝を果たしたことを思うと(一本目の『ドレミの歌』のバランスは完璧の一言)、学天即もこの問題点と向き合う必要があるだろう。まあ、現状のままでも、さしたる問題も無いほどには面白いのだが。

これらの本編に加えて、特典映像として過去の単独ライブで流された幕間映像を収録した「ブリッジVTR傑作選」、奥田が某ミノさんの野球好プレーと某トバリさんの海外ゴルフトーナメントそれぞれのナレーションをモノマネで再現する「奥田のナレーションモノマネ」を収録。いずれも安定して面白いが、とりわけ四条が語る父親のエピソードが信じられないという奥田が二人で何故か岡山に住んでいる四条の父親の元を訪れる「四条の父」の衝撃たるや。妙にオシャレな恰好で、沢山の犬を飼いならし、キャバ嬢が吸うような種類の煙草を愛用している元プロボクサーの父……ド田舎の濃密な暮らしをしているオヤジをそのまま具現化したような映像は、なかなかにたまらなかった。私も老後はああいう暮らしをしたい気がしないでもない。……そうでもないか。

■本編【67分】

「しょうもない自慢するやつ」「ついてない一日」「桃太郎」「オリジナルヒーロー」「弁当」「旅行」「どうでもいいこと言うてくるやつ」「モテ方」「結婚」「じじい」「クイズ」「ポジティブな奴」「コント「お葬式」」

■特典映像【67分】

「ブリッジVTR傑作選」(奥田修二探検隊/学天即、母校に帰る/四条の父)

「奥田のナレーションモノマネ」(プロ野球・好プレーの雰囲気/海外のゴルフトーナメントの雰囲気)

ブログを続けるということ。

ブロガーにとっての最終地点は何処だろう。
そんなようなことを考えるようになったのは、きっと自分がブログから少しずつ心が離れ始めているからなのだろう。
私がブログを始めた頃は、文章で何かを表現したい人たちは誰も彼もブログを運営していた。当時、TwitterFacebookはまだ一般的ではなかったので(ひょっとしたらまだ存在もしていなかったのかもしれない)、自分でホームページを開設するか、ブログを始めるしかなかったのである。
あれから幾年月が過ぎ。当時、ブログを通じて知り合った人とは今でも繋がりがあるけれど、未だにブログを更新している人は、なんだか少なくなってしまった。もっと手軽に自己表現できる媒体が増えたことも大きいのだろうが、なにより、それぞれの事情が変わってしまったのだろう。気軽に意見を述べられるTwitterとは違い、ブログは文章の構成から何から考えなくてはならない。はっきり言ってしまえば、面倒だ。そのような面倒なことを、特に目的も持たずに続けるなんて、そうそう出来ることではない。……なんだか自慢話のようになってしまった。何の自慢にもならないけれど。
何が言いたいのかというと、いずれ自分にも、そういう日が来るであろうことを考えてしまった、という話である。今の私はもはや意地でブログを続けているようなところがある。せっかく続けてきたのだから、ここで止めてなるものかと思っている。でも、何事にも、最期の時は訪れる。それがいつになるのか。
そんなに遠くないような気がする。