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さあ、水道の蛇口を開け。

2026年1月のぼやき。

今年はぼやかないつもりでしたが、やっぱりぼやいてました。今年は治るでしょうか。

正月につぶやくことではないですね。「インターネットは真面目な話をするような場ではない」という主張はそれなりに支持されているような気がしますが、そういう考え方がメインになってしまわれると困ります。SNS以前、匿名掲示板だけがインターネットだった時代があったように語られがちですが、個人サイトやブログも存在していたわけで……棲み分けろよ、と。

 

リリース当時、自分には難しかったこともあって、父親のプレイを背中越しに眺めていたような記憶があります。父は家庭よりも仕事を大事にするタイプの人間だったので、これは数少ない父との思い出といえます。……いや、死んじゃったような口ぶりですが、まだ生きてます。

 

こういう話、それこそXでは何度も何度も目にしている気がするのですが、届いていないところにはとことん届いていないものですね。特にお笑い関連の話題では、かなり頻繁に目にしている意見だと思います。

 

ザ・イロモネア』の公式サイトが年末に放送された特番放送について「一般審査員の方々を誹謗中傷するようなインターネット上の書き込みはお控えください」という旨のコメントを発表した件を受けて。今にして思うに、このポスト自体は的外れ。そもそも『ザ・イロモネア』のなかなか笑わない一般審査員に対して視聴者が罵声のようなコメントを書き込むこと自体は、過去に何度も見受けられました。しかし、それはインターネットユーザーが限られていた時代だったからこそ成立した陰口であって、SNSの発展とともに、それらの罵声コメントが一般審査員の目に届くようになってしまったため、成立しなくなったわけです。とはいえ、その時代の変遷を認識しないまま、当時のノリのままに罵声コメントを書き込んでいるような人は、やっぱり“素人”じゃないかと思います。SNSやめろ。

 

関東ローカルでしか放送されていない『ザ・ノンフィクション』をすべての人が知っているという前提で話を進めていくような、無配慮な傲慢さを感じています。そっちのローカルルールがまかり通るのであれば、映画における原子力爆弾のあまりにも軽すぎる描写にブチ切れてもいいってことですよね? ナメやがって。

 

そういうものを温かい眼差しで見守るのがユーザーとしての有り様ということは分かっているつもりですが、それにしても放流されすぎている気がします。無料で見ているのに文句を言うな、という話ではありますが。

 

前段部分、正しくは「SNSで気に入らない投稿をしている人たちを片っ端からブロックしまくっていることが認知されて、うっすらバカにされている芸人」と書くべきところでした。なんだかんだファンって優しいですよね。甘ったるくて胃もたれしそう。

 

「いじめ撲滅!」みたいな何十年も前から言われ続けていることを今更ながら主張しているインフルエンサーが話題になっているのを見かけて、つぶやいたことです。逆にいえば、そういう主張をしている人たちが、如何に“いじめ”というものに対する解像度が低いか、ということでもあります。ていうか、この人たちは、いじめをどうのこうのする前に、ネット炎上をどうのこうのすることを考えた方がいいんじゃないか。そっちの方が身近だろ。

 

これぞまさに“いじめ”です。

 

科学の力によって死者を再現しようとするから傲慢に感じられるわけで(この思想、手塚治虫松本零士あたりからの影響が大きいような気がする)、敢えてスピリチュアルな側面を強調した方が受け入れられるんじゃないですかね。

 

ちょっと上手いことを言おうとしているところがダサいですね。でも実際に、そういうスタンスでクソリプを投げかけている人を見かける頻度が、ここ数ヶ月でやたら多くなりました。とにかく主体性を消して、無責任にクソリプを振り回したいのでしょう。匿名掲示板の夢をSNSで見ようとするんじゃない。

 

私はスッと受け入れることが出来たタイプの人間なので、VTuberに対して批判的な人たちを見るたびに不思議な気持ちにさせられます。顔や素性を明かさずに芸能人やインフルエンサーのような活動をすることが出来るのは、無責任でズルいと感じているのでしょうか。個人的には、匿名性の高いキャラクターのような状態であったとしても、そのキャラクターのまま仕事などで社会と繋がっていくにつれて、一定の責任が伴うことになると思っているので、まったくの無責任であるとは思いませんが。そんなにズルいと思うのなら、自分でもやってみればいいのにね。

 

自分の考えを軸に対象を捉えるからこそ批評は成立するわけで、社会の変化に応じて考え方を二転三転させるような態度を取るような人には、まったく批評は向いてません。無責任な大衆としての人生を平穏無事に全うしていただければと思います。

 

「アニメ『ポプテピピック』は雑なオマージュ映像にオタクがはしゃぐだけの、現代オタクのつまらなさを象徴する重要な作品」という旨の主張を見かけて、思ったこと。少し時間を置いた今となっては、主要人物を強引に組み替えた元ネタのある映像が連続で流れるギャグはナンセンスな笑いとも接続するので、それを面白いと感じることはそこまで悪いことでもないのではないか、とも思います。……ていうか、オマージュじゃなくてパロディじゃね?

 

監督の高畑勲氏が亡くなられたことで、作品に対する評価に色が付いたのかもしれません。……或いは、時代が逆行してしまって、「これでもいいや」ってなってしまったのかもしれません。

 

この件、ニコニコ動画以前のオタク史観を持っている老人が「ぐんぴぃはオタクじゃない」と主張しているのではないか、と睨んでいます。

 

とあるライトノベル作家が「高尚な文化になってしまった娯楽、かなり高確率で先細りする」という話題を受けて、「今一番危惧しているのは「お笑い」」「お笑いを見続けてる人に“だけ”分かる笑い」が横行しつつある」「芸人の方でもそれを悪いことと思っていない面がある」「テレビの前にいる視聴者は、小屋に足を運んで熱心に見続けて論じる「身内」とは違う」とポストされていたのを見かけて。流石に芸人に対する解像度が低すぎる気がします。

 

上の話題の流れで。コントに芸術性を加え、さも高尚な文化であるかのように演じることで、一定の観客を獲得することに成功したラーメンズについて、ちょっと思いを馳せてしまいました。

 

粗品が自身のYouTubeチャンネルで披露しているコンテンツ【一人賛否】を「コント」と称していることに対する違和感と向き合った結果として、生まれ落ちた結論。ちゃんと「ただぁ!!!」と言った後に「ですからぁ!!!」とも言ってほしいです。

 

「お笑いライブに通っている女友達が、そこでたくさん友達を作ったけど、いつの間にかみんな芸人に抱かれに行っていて、マジメにお笑いを見に行っていたのは私だけだったと話していた」というポストを見かけて。実際のライブ事情がどうなっているのかは知りませんが、お笑いライブ=テニサーのようにも書かれていて、ちょっと良くないんじゃないかと感じましたね(なんなら前提としてのテニサーに対する偏見もちょっと古い)。バズらせるなよ、こんなの。

 

それこそウエストランドが優勝したときにまったく同じような心配をしていましたが、まったくの杞憂だったので、ご心配なさらずとも大丈夫ですよとは言っておきたいという話です。人間が面白いんですから。

 

「芸人には出来なくて、VTuberには出来ることってなんだろう?」と考えて、ふと思いついた企画です。ただ、思い返してみると、ダチョウ倶楽部出川哲朗が『リアクションの殿堂』というDVDで「浣腸を注入してオムツを履いた状態で陸上競技に挑戦」という超偏向的なアダルトビデオみたいな企画を行っていたので、芸人でもやろうと思えば出来るかもしれません。やってみてほしい。ちなみに、イチジク浣腸を入れてゲーム実況をしているVTuberは実在します(しました)。

 

出初式での国歌斉唱に参加していなかった県議の話題を受けて、「あなたの主張も大切だけど祝いの席はあなたの主張を通す場ではないことは覚えておこう」とコメントされている方を見かけて。「ていうことは、歌わないことが「マナー違反」になってしまうから、何も考えずに国歌斉唱に参加しているということ?」という疑問も生まれています。

 

そういうアカウントが、漫画家やイラストレーター、はたまた動画作成者などのようなクリエイターに突っかかっていたりしていると、もう目もあてられません。クリエイターのことは常に尊敬しろとまではいいませんけれど。

 

ズートピア2』を観ました。ネット上であまり芳しくない評判を目にしていたので、ちょっと不安を感じながらの鑑賞となりましたが、まったくの杞憂でした。一番の見どころは、山盛りのアレを二人が食べるシーン。どこに技術を使ってるんだ。

 

黒澤明監督による遺作『まあだだよ』(1993年公開)がYouTube上で無料公開されていたので鑑賞。執筆活動に専念するため大学を講師を辞めてしまった内田百閒と門下生たちの日々が描かれており、これといった事件の起こらない、落ち着いた時間の流れる作品となっている。唯一、猫のノラが行方不明になってしまうとシーンに緊迫感が漂っているが、それも百閒氏の純朴さを表しているもので、そこまでシリアスにはなっていない。昨今、うっすら軽んじられている気がする、人間同士の繋がりを感じさせてくれて、なんだか目頭が熱くなってしまった。

 

弁護士芸人のこたけ正義感が一人で喋り続けるスタンダップコメディライブ『弁論』の第四回公演の模様がYouTube上で無料公開されていたので鑑賞。転売ヤー京都市宇治市、ケイドロなどに絡めた軽妙な法律トークから、貧乏だった自身の生い立ちを経て、生活保護基準の大幅な引き下げを法律違反として巻き起こった訴訟【いのちのとりで裁判】に絡めていく構成力に感心。ただ、取り上げた問題の切実さと日常との距離の近さのためか、笑いというよりも講演会としても趣きが強まってしまったようにも感じられた。そのバランス感がかえって問題の切実さを実感させてくれたともいえるのだが、芸人としては不本意だろう。次回の公演にも期待したい。

 

潜在的にヤンキーや陽キャへの憧れを抱え込んでいるネットユーザーって少なくないだろうって思っています。

 

SNSで公開されている漫画に多いイメージがあります。

 

結局、違法アップロードの問題について本格的に取り組まないまま、作り手側に寄り添ってくれるような視聴者の優しさにつけこんでいるだけだよな?と思ってしまいます。

 

Xのおすすめ欄に、ジャンプ+で連載されていた漫画を原作としたアニメに対する感想ポストが、大量に流れてきたのを目にして。原作を追っていた身としては、良くない感情なのでしょうけれども、「え?今頃そんなこと言ってんの?」という思ってしまいました。本当に良くないです。

 

VTuberのさくらみこ氏の過去の言動をまとめた『好きな総菜発表ドラゴン』のパロディ作品『みこのやらかし発表ドラゴン』を公開したアカウントに対し、『好きな総菜~』の作者であるンバヂ氏が「全然関係がない自分の作品が巻き込まれている」「作者として、このような使い方はとても悲しい」とコメントしたところ、言いがかりのような意見が寄せられたという話を目にして。

 

今のXの悪いところはここにすべて集約されているように思います。上坂あゆ美氏が自身のポッドキャストで話していた「自意識を守るために生きてるっていうのは、ある種かなり幼稚な振る舞いなんですよね。外に目を向けてない。外の人や物や仕事や趣味の尊さに気づけない。自分のことだけで必死な人がやる行為なんですよね、冷笑っていうのは」にも通ずるところがあるかと。

 

あの知名度と脚本演出に対する評価があれば、一定数の売り上げは見込めるのではないかと勝手に思っているのですが、意外と厳しいものなんでしょうか。興行の成功はグッズ販売に左右されるところが大きいと聞いているので、DVDリリースも決して悪い選択ではないだろうと思っているのですが。ていうか観たいから早よ出せ。

 

だから本当に面白い人は有名人の名前を使ったジョークをあんまり言わない、というイメージがあります。単なる偏見かもしれません。

 

このポストを宇野氏がRPして「最近はXでもあんまり嫌われてない」とつぶやいていて、「そういうところが好かれないのでは」と思ってしまいました。でも、そういうところが、人に好かれているのだろうなとも思いました。それはそれとしてポッドキャストで本当に興味深い話をされていたので、お笑い好きなら必聴だと思います。スタンダップコメディの視点で見る“明石家定食”とか。

 

1月21日放送の『水曜日のダウンタウン』において、過去に行われた【複数の芸人が参加する高飛び込み台関連の企画】で唯一飛ぶことが出来なかったきしたかの高野が、高飛び込み台から飛び込めるかどうかを見守る企画が生放送され、結局は飛ぶことが出来なかったのだが、来週も同様の企画を放送するという予告を見た後に思い浮かんだ今後の展開予想。

 

安住氏の思想は存じ上げませんし、過去の言動についても詳しくありませんが、少なくとも記事を読んだ印象としては、そこまで批判されるようなものではないだろうと思いました。おそらく大半の人は【「『高市さんでいいですよ』とみなさんが言っているんだと思う」安住紳一郎アナ、高市早苗首相の衆院解散表明に私見】という記事のタイトルしか読んでいないのではないでしょうか。ちなみに、このつぶやきの発端となったのは、映画評論家の町山智浩氏による「言ってるの?」とだけコメントしたつぶやきです。支持率が80%もあるんだったら言ってるってことなんじゃないですかね、知らんけど。どちらかというと、20%の側として80%の国民に対して「騙されてはいけない」と言った方が良いんじゃないですかね、知らんけど。

 

先の『みこのやらかし発表ドラゴン』の件について、ンバヂ氏が「動画を消してもらいたいけれど、消すと同様のアンチが再投稿する可能性があるため「消さない方がまだマシ」という暫定的な判断をしている」(大意)とつぶやいているのを目にし、ネット炎上が狂気じみていく傾向について考えてみた結果として思い浮かんできた仮説。

 

構造としては、繊細かつ過激になりがちな深夜アニメの枠において、純粋無垢なストーリーを構築したことで高い評価を獲得した『けものフレンズ』の後で、従来の深夜アニメのノリに立ち返ってしまった『けものフレンズ2』に近いものがあるように思います。どういう文脈で評価された作品か最低限理解していれば避けられたところに、これといった対策を打たずに突っ込んでいく愚行。

 

あと、「見たい」と思ったときに、気軽に見られる環境が整われていることの強みを、改めて感じさせられましたね。シティボーイズとか、イッセー尾形とか、やってくれればいいのに。難しいんだろうなあ。

 

このポストが想像以上に拡散されて、ビックリしました。

その拡散っぷりを受けて、思ったことです。

 

探偵ナイトスクープ』にて家事を手伝っている大家族の長男が取り上げられ、ヤングケアラーの観点から注目を集めていたのだが、やがてその批判の矛先が取り上げられた大家族の両親へと向けられるようになり、誹謗中傷などが巻き起こり始めた結果、番組が当該企画の見逃し配信を停止した件を受けて。後に『探偵ナイトスクープ』側が番組内容に演出を施していたことを発表、批判されることとなりましたが、このスタンスは基本的に変わりません。

 

「差別を受けていた人が抱え込んでいる差別意識」をテーマにするということは、ただ差別が一方的なモノではないという問題の本質を突くという意味でも良いと思うのですが、どうでしょうかね。

 

その点、肌寒い季節になると多くの人が思い出すだろう、西野カナの『会いたくて 会いたくて』は、当分代替となる楽曲が現れなさそうです。

 

これらの質問の受け手側の心情を描いた作品は少なくないですが、これらの質問の送り手側の心情を描いた作品は少ないところに、これらの質問がどうして加害的であるのかについて私たちはきちんと理解しないままにカテゴライズしてレッドカードを突きつけているだけなのかもしれないな、などと考えてしまいます。年齢を重ね、そういう“模範的な”人生を走らされるレースから下りたとき、私たちは若い人たちとどんな会話が出来るのでしょうか。結局、当時の自分が食らったような質問に似たようなことを、そのまま投げかけてしまうかもしれません。

 

とにもかくにも「老人に得をさせたくない」という視点が行動理念になってしまっている感じがどうしようもないように見えます。自分たちが老人になったときに湿布を買うのも厳しいような状況になる可能性とか考えないんですかね。

 

探偵ナイトスクープ』を批判するときに上岡龍太郎の名前を出している人をやたらと見かけたことを受けて。

 

この質問、リアルタイムでは真面目に対応しようと考え、上記のような回答をしたのですが、よくよく考えてみると「自分の得意ジャンルについて、特に詳しくないような人間から意見されているのを見るのは精神的に苦痛」と一方的に加害者と被害者の構造を作り上げて押し付けてきている主張で、大変にモラハラ的だということに気付いたので、スルーすることにしました。つまり君は、意見の合わない人間のことを一方的に切り捨てて、自分と意見の合う人間だけが視界に入ってくるような小さなコミュニティの平和が守られていればいいという考え方なんだな。XというかSNSが向いてなさすぎるぞ。

 

今月は以上。