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さあ、水道の蛇口を開け。

2025年12月のぼやき。

年の瀬も、ぼやいていました。

2025年の『新語・流行語大賞』年間大賞に、高市早苗首相の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」が選ばれたというニュースを目にして、思い出した海援隊母に捧げるバラード』の抜粋です。このくだり、現代の感覚で読んでみると、そのあまりの辛辣さに一周して笑いがこみ上げてくるので、日常でちょこちょこ引用しています。「明日、急な仕事が入ってきたわ。頑張って働かないと。働いて、働いて、働きぬいて……」というように使います。使うな。

 

SNSを眺めていると、完全にそっち側の立場を演じているとしか思えない人たちが発言されていて、驚かされることがあります。たまに自身の人生を「主人公のモブキャラ」と例える人がいますけれど(これもどうかと思います。撮影中の作品を失敗作みたいな扱いするバカ監督が何処にいるんだよ)、その感覚で発信されているのでしょうか。或いは、それはあくまで本編では描かれない特典映像のような側面でしかなくて、本編は本編としてSNSの外で撮影されているという感覚なのでしょうか。

 

私事ですが、20年ぶりに新しいギターを買いました。今の時点では、酒を飲むよりも、お笑いを見るよりも、ギターを弾いている時間が一番楽しいです。でも、趣味というものは、また一周するものだと思っているので、これも一時的なモノなのでしょう。

 

内容の是非に関わらず、ありとあらゆる他者に対する怒りには、過去に叱られてきた記憶が幾分か反映されているのではないか、という推察です。「だから他者を怒るべきではない」とかいう話ではないです。

 

私は中山功太が『R-1ぐらんぷり』で優勝したネタのえげつないほどの悪意に打ちのめされた人間なので、彼がどんなに傍若無人なことを言おうと批判することは出来ません。そもそも対話できるタイプの人間じゃないだろう、とすら思っています。よく簡単に触りに行けるよな。

 

本作で描写されているような人物による犯行だった京都アニメーション放火殺人事件から2年後に公開されたことが、当時は話題にあがっていました。「だから手放しに評価すべきではない」までは思いませんけれど、その辺りのネガティブな要素がバカデカ評価によって雲散霧消してしまいそうになっているのを見ると、安易に左右する大衆感情への恐怖感が膨らんできます。私もその一部ではあるのですが。

 

「なにかしらかのカテゴリーに属さないといけない」から「自分という存在を世間に売り出さないといけない」という考え方に移行した結果、個人が抱える負担がより大きくなったような。国民総個人事業主メンタル時代。

 

私が見ているVTuberが基本的に個人勢(ぽんぽことピーナッツくん、富士葵、おめがシスターズ、ヘアピンまみれ、おむらいす食堂などなど)なので、こういった批判の俎上にあげられがちな企業勢とは一線を画している感はあります。もっとも、だとしたらVTuber全体を批判するような言い回しは違うんじゃないか、という気もしますけれど。

 

素敵じゃないか・吉野の結婚に対してオズワルド伊藤がX上で送ったリプライの内容が炎上、当の吉野氏や周囲の芸人仲間がフォローするコメントを書き込んでも火が収まらない様子を目にして。その矛先が自分に向けられる可能性を想像できない人が多すぎますね。

 

SNSだと嘘でもなんでも書き込めるので。

 

M-1グランプリ2025』において、真空ジェシカが5年連続5回目の決勝進出を果たしたことを受けて。漫才に対するプライドが高い吉本興業が、この状況に対して何も思わないということはないだろうなあ、と思ったことをそのまま投稿しました。マジで「真空ジェシカ対策本部」みたいなのが立ち上げられていたら面白いですね。

 

やっぱり、あの頃の教室に青春を置き去りにした人たちの場所だよなあ、と再認識したつぶやきです。

 

落語家の春風亭一之輔が「CAさんが俺の荷物のせいでギックリ腰になって、となりの席で休んでる」(全文)とポストしたところ、「CAさんに手伝わせるなんて最低」「重たい荷物の持込みはやめてほしい」などのような本文で触れられていない点を一方的に妄想した非難の声が寄せられたことについて、自分の中で導き出された結論。一から十まで説明書きしてもらわないと、勝手に押しちゃいけないスイッチを押しちゃうような人が増えたという事なんでしょう。分からなければ、そもそも押すな。

 

自身が進行役を務めるワイドショー番組において高市首相の言動を擁護するスタンスを取り続けている山里亮太について、芸人仲間の10年以上前の発言を引っ張り出して「どうやら過去に海外で良くない遊びをしていたらしい」と言及する人たちが現れたのを目にして。そういう陰湿なことばっかりやっているから、ノンポリからも距離を置かれるような現状に至っているということを、もっと自覚された方がよろしいかと。

 

自身の服の写真を公開した岩井勇気のつぶやきに、「キモい服」「いかにも岩井らしいな」というリプを飛ばしてきたアカウントに対し、氏が「お前のことは絶対に特定することにした」「どんな手を使っても必ずに」とリアクションしたことを受けて。第三者からしてみればどうでもいいような言及に対して、ガチともネタとも捉えられるようなラインで反応するところに、ハライチ岩井という芸人の魅力が詰まっていると私は思っています。上手く言語化できませんが。

 

それこそ近年は、ユーザーの増加に伴い、もらい事故としか思えないようなレベルの炎上が巻き起こって一気にファンが減少するという事態も起こりやすくなっているので、そのリスクはどんどん上がっているのではないでしょうか。なので、一般的な仕事と安易に比較していいものではないはずなのですが、どうも自分たちの仕事と目に見える作業量で安直に比較しようとする人が一定数存在しているようです。「だったらお前がやってみろよ」という話なのですが。

 

VTuber絡みのポストが続きますね。個人的に、VTuberの中の人に言及するということは、着ぐるみの頭を外して「中に人が入ってんじゃん!」と言いながらゲラゲラ笑うのと同じようなことだという認識です。そんなことはみんな分かってるんですよ。分かったうえでエンタメとして楽しんでいるんですよ。それを「俺が虚構を暴いてやった」みたいにいわれましても……という話なんですよね。そんな下らない浅墓な快楽のために、ひとつのエンタメが死んでしまうかもしれないということについて、もうちょっと頭を使って考えた方が良いです。また、被災したファンに向けたポストに対して、それをやらかしているところが本当に最悪。現実で『はだかの王様ごっこすんな。

 

「20年前のアニメDVDのポスター」は『苺ましまろ』の件、「11年前に連載開始した漫画のキャラクター」は『僕のヒーローアカデミア』の爆豪勝己の件です。後者について盛り上がるムーブは落ち着いたようですが、前者の件は現時点(12月12日)でまだまだ盛り上がっているようです。20年も前のポスターのイラストが公共物として適切であるか不適切であるかの議論に何の意味があるのか、私にはまったく分かりません。当時と今とでは既にコンプラ意識も大きく変わっているでしょうし。その議論の果てに何の実りがあるのでしょうか。

 

M-1の予告動画を見た感想です。ちょっとインバウンド向けっぽい映像だったのが、またたまらなくダサかったですね。ただ、これが髙比良くるまの『漫才過剰考察』での「海外に日本の漫才を売り出す」という提案を受けてのものだったとしたら……まあ、まだ分からなくもないかもな、とは思います。

 

むしろ、フワが自力で復活の糸口を掴み取ったことで、今度はそっちの尻馬に乗ってやろうと画策する連中が現れたのかもしれません。私は一貫してフワギャルですし、やす子のことはなんとも思っていませんが、こういう大衆の無責任ムーブはめちゃめちゃ嫌です。そんなだからチョコプラ松尾に「素人は……」って言われるんだよ。

 

先の山里亮太氏に関するポストと同じ流れから。こういう本題とは無関係な話題で意見の合わない人のことを貶めるようなことをするから、政治について発信する芸能人が少ないんじゃないですかね。自分たちで自分たちの首を絞めてますよね。

 

思い返してみると、都市部って広告物の量が異常なんですよね。ことによると、日常的に電車を利用している都会暮らしの人たちですら、こうやって粒立てて取り上げられないと、この広告に気付けなかったんじゃないですかね。

 

これも『苺ましまろ』の広告についてのポストですね。別に読者でもなんでもないんですが、固執していますね。おそらく、東京五輪のときに、小林賢太郎が20年以上前のコントの台詞を取り上げられて、開会式の演出担当を下ろされた件に対して、未だにブチ切れていることが大きいのではないかと思われます。20年前の空気感に対する考察もせずに、現代の感覚だけで批判してこき下ろすような行為は、今の時代を生きているだけで偉くもなんともない無配慮なバカ野郎どもの傲慢な態度でしかありません。……話が逸れましたね。実際、『苺ましまろ』の広告批判において、作中のワンシーンをスクショして「こんな(パンチラ)シーンがある」と擁護派に反論している人を見かけたので、漫画広告と漫画作品の距離は近い(或いは近いと感じている)人は少なくないのではないでしょうか。なら、やっぱり、ちゃんと作品そのものを読んで評価すべきです。そもそも、その広告にしたって、作品と読者の間に培われてきた信頼関係(売上)の果てに出されたものでしょうから。

 

『THE W』決勝で演じられたネタに対し、審査員を務めた粗品の厳しい評価の尻馬に乗っかって出場者たちのネタを非難する流れの中で、今大会のファイナリストたちのM-1での戦績を引き合いに出して「『THE W』は『M-1』よりも低レベル」と話しているアカウントを見かけて、思ったことです。「『THE W』は『M-1』よりも低レベル」と評価するのは個人の勝手ですが、その根拠として『M-1』での彼女たちの結果を引っ張ってくるのは、『M-1』の審査を絶対的に正しいと思い込みすぎているのではないかと。ていうかネタの話をするときぐらい、ちゃんと自分の感想を喋ろよクソ野郎ども、ぐらいのことは思いましたね。粗品が今後の『THE W』の発展を見据えて、本腰を入れて審査員を務めたことも理解できない連中ばっかりだ。

 

粗品の審査員としての振る舞いに対する批判が寄せられている様子を眺めていて、思ったことです。粗品のことをやたらと恐れている先輩芸人たちの姿を思い浮かべながら、こんなことをポロッとこぼしてしまいました。

 

私のように性に対する好奇心が今でも止まらない人間には有り難い存在ではあるのですが、それでも内容の下品さにドン引きしてしまうこともあるので、そういうのがゾーニングされずに流れてくるのはどうなんだろうって気持ちはあります。エロスを求めてそういったサイトを見に行きたい気持ちは否定しませんけれど、それ以外のコンテンツも豊富なサービスにおいて、不意に投げ込まれる過剰なエロスはちょっとメリハリがなくなりそうで不穏です。

 

 

 

これも『THE W』における粗品に絡めたつぶやきです。

 

倫理観に欠けるマンガはサブカルチャー界隈では割とウケていた印象がありますが(それこそヴィレッジヴァンガードみたいなところで売られているイメージ)、そういう作品が色んな人の目に留まる場で公開され、割と拡散されているという状況はちょっとおっかないものを感じます。有名税みたいなものなのかもしれませんが、もはやYouTuberもそのカテゴリーに突っ込んでいいのだとしたら、そのうちアルファツイッタラー(懐かしい響き)とかも対象となりそうで、そうなるとボーダーラインはいよいよあやふやに……。

 

こういう人のうちの何人かは、こちらの文意を正しく理解していないままに当のつぶやきに対して批判的な態度を取ることがあり、「そうじゃないですよ」と対応したとしても、ご自身でも何に納得できていないのかまとまっていないのか、あんまり上手にコミュニケーションを取ることが出来ないことも少なくないので、そこそこ厄介です。まあ、きちんとコミュニケーションを取れる人は、そもそもタメ口で突っかかってくることはないでしょうが。

 

きっかけは存じ上げませんが、うっすらと「三宅氏のことは雑におちょくってもいい」という空気が醸成され始めている感覚を覚えました。ネットはちょっとでもその流れが加速すると、一気にヤバいところまで行き切ってしまうからおっかないですね。

 

この考え方が根っこにあるから、ネットユーザーは自身が起こした炎上案件に関しても、常に他責的なスタンスを取り続けてしまうのではないか、と思ったことです。

 

この件がややこしいのは、まる子の解像度がちょっとだけ高いところ。解像度が高いので「確かに、まる子ならそれぐらいのことは言いそう」という共感を得ることが出来るわけですが、それ故に「顔出ししていないAdoをブスと想像する」という当事者の気持ちに配慮していないイヤな悪口が見過ごされてしまうところがあって、実にややこしいというか、なんとも面倒臭いというか。

 

「同性愛や獣姦を性的に消費する日本は多様性社会だ」とでもいうような主張をしている漫画の一コマが持ち上げられているのを見かけて。それこそ“現実と虚構の区別がついていない”といえるのではないでしょうか。

 

M-1絡みのポストをしたところ、そういったニュアンスのリプやRPが送り付けられ、うんざりしていたところで吐き出されたぼやきです。恥も外聞もない。

 

毎年、一年分のバラエティ番組における個人的名言ランキングをまとめている『ヨイ☆ナガメ』の管理人であるK助氏のつぶやきに対して、ダルい反応が来ているらしいという話を見かけて。年を重ねるごとに、本来ならばインターネットでは嫌われ者になるはずの「相手に対する距離感の分かってないバカ」が増えているような気がします。

 

ざっくり調べたところ、せいやがツッコミを入れるときに「オラキオ」や「ですよ。」などの名前を出したことに対して、「誰のことを言っているのか分からない」と炎上しているらしい。『名探偵津田』がコンテンツとして独り歩きし始めているようで、なんだかとても興味深いですね。(ただ単にバラエティの文脈に追いつけない老人が愚痴っているだけのような気もしますが)

 

石破茂と小長啓一による特別対談の様子が撮影された画像に対して、ある能楽師が「本格的な檜舞台に土足で上がり、重い家具調の椅子に座るのは、能楽の伝統に対する冒涜」と指摘した件について。後に、対談の場として使われていたのは、岡山県の放送局「RSKテレビ」内にある「能楽堂ホールtenjin9」という多目的ホールだったことが明らかになりました。反射的にリプライすることの危うさがよく分かる一件でしたね。

 

吉田豪自身が発言していないことを「確かにあなたはそう言った。私はそれを聞いた」と追及している人が、最終的に「すいません。言ってませんでした」と謝罪しているところを目にして。厳密にいうと、言及された吉田豪が「そんなことは言ってないですよ」と突っ込んでいったカタチなので、ちょっと元ポストの感じだとニュアンスが違いますね。

 

紅白歌合戦』における松任谷由実のパフォーマンスを見ながら感じていたことです。「もうユーミンも声出てないじゃん」のような浅墓な悪口で処理することの出来ない、異様な熱を個人的には感じました。

 

2025年は以上です。2026年もぼやくかどうかは、ちょっと分かりません。