ゴールデンウィークもぼやいていました。
渡部さんが未だに嫌われてるの、問題の行為そのものより、問題発覚前に雲隠れするような態度を取ったことが大きいんじゃないかっていつも思ってるんだけど、そこについて言及している人をあんま見ないな。
— 菅家(開店休業) (@Sugaya03) 2025年5月2日
なんか「単に不倫した」で片付けてしまっていいアレじゃないって認識があるから、あんまりテレビに呼ばれてない状況があるんじゃないですかねえ。
— 菅家(開店休業) (@Sugaya03) 2025年5月2日
時の流れを噛み締めているつぶやきです。五年の歳月が流れて、渡部さんの行為について詳細に語られなくなってしまった結果、単なる「不倫」として処理され始めているような気がしています。それが悪いこととは思いませんけれど(人の噂というのは、そういう風になってしまうものでしょうし)、未だに渡部さんがテレビ業界から距離を置かれている理由は「不倫」ではないところにあると思いますよ。
身近な人を推しとする行為への違和感について、以前は「自分に近い人間を推す前に自分の人生を生きろよ」って感覚が強かったんだけど、今は「普通に生きている人を一方的に理想の存在として消費する行為を誇るな」って感覚が強い https://t.co/J5G5iHj6R3
— 菅家(開店休業) (@Sugaya03) 2025年5月2日
ピン芸人・九月さんが炎上している様子を眺めていて、ふと思い出した「推し」の違和感についてのつぶやきです。かつて感じていたのは「自分と同じ身近な環境にある人間を「推し」という自分とは違う特別な存在に置き換えてしまう姿勢は、自らの人生のための努力や反省をおざなりにさせてしまう考え方なのではないか?」という疑念によるものだったのですが、今はどちらかというと「普通に生活している人を「推し」と呼ぶことでエンターテインメント的に消費する態度は、おおっぴらにやらない分には良いけれど、褒められたものではない」という気持ちにシフトチェンジした、という話です。
説教がゴミなんじゃなくて、説教は相手と信頼関係を築き上げていることが前提の行為(だから相手もちゃんと話を聞こうとしてくれる)なので、誰にでも説教する人がそもそも説教の効能を分かっていないのに濫用するダメな人ってだけの話では
— 菅家(開店休業) (@Sugaya03) 2025年5月3日
大人が子どもに説教する行為が無条件に成立するのは、子どもがまだ社会も倫理も理解していなくて、大人の言うことを疑う余地を持たないことが多いからで、それと同じことをそこそこ社会常識を弁えている赤の他人の大人にやったら、そりゃあ気持ちも引かれるってもんです
— 菅家(開店休業) (@Sugaya03) 2025年5月3日
「説教は基本ゴミ」とつぶやかれている方を見かけて。何故か世の中には自分が相手に説教をしても良い側の人間であると過信している人が多いような気がします。自分が相手からどのような人間として見られているのか、という視点を持ち合わせていないからこそ、そういった軽率な行動を取ることが出来るのかもしれません。たまに愚行の典型例として「プレイの後で風俗嬢を説教するおっさん」が挙げられることがありますが、ネットで見知らぬ相手に説教を食らわせる人はこれ以下だという自覚を持った方が良いです(風俗嬢と客は金銭での関係性を築き上げていると言えなくもないので)。
先祖や血筋なんて持ち出してくるような人間は、今の自分の地位は上の世代が頑張ってくれたおかげで下駄履かせてもろてますねんって言うてるようなもんやけんね。ホンマやったら恥ずかしくて言われへんよ、こんなん。
— 菅家(開店休業) (@Sugaya03) 2025年5月3日
SNSでの発言に批判が集まっている人が、自らの出自や血筋を持ち出して「俺が誰なのか分かって言ってんのか?」という態度を取っているところを目にして。先の万博でのコスプレイヤーの一件もそうでしたけど、本題とは無関係な要素で相手を打ち負かそうとする態度を取ることは、それ自体が議論における敗北を表明しているようなものだと思います。もっとも議論は勝ち負けを決めるためのものではありませんけれど。そもそもインターネットなんて、自分の出自をいくらでも偽ることが出来る場所ではあるので(ネット上で女性のように振る舞う“ネカマ”なんて言葉があるぐらいですし)、自分の生まれの良さをどれだけ主張されましても、こちらとしては「本当か?嘘じゃないのか?」という目で見てしまいますよね。
以前、不倫・浮気の類いは当事者間の問題だから、やたら盛り上げる必要はないって結論が出てませんでしたっけ?
— 菅家(開店休業) (@Sugaya03) 2025年5月7日
あと過去のスキャンダルとビジュアルの良さとコミカルなリアクションのせいで受け流されそうになりますけれど、40歳男性と25歳女性の不倫って考えたら、普通に男性側の方がタチ悪いですよね? https://t.co/ueY3tirOuz
— 菅家(開店休業) (@Sugaya03) 2025年5月7日
本件をベッキーと川谷絵音のケースと重ねている人が見受けられますけれど、また当時と同じように女性側だけを切り捨てて男性側は当たり前のように芸能活動を続けていくようなことにはなりませんよね?
— 菅家(開店休業) (@Sugaya03) 2025年5月7日
田中圭と永野芽郁の不倫騒動を受けて。それこそ川谷絵音とベッキーの一件のときに、そういう話が持ち上がっていた記憶があるんですけれども。個人的に、ゴシップは適度に楽しくやんややんやと盛り上がる程度が良くて、どちらかを本気で糾弾するような事態に発展するのは芳しくないように感じています。
宇多田ヒカルが夫婦別姓を訴えることぐらい、長渕剛の日の丸ぐらいのニュアンスで受け流せばいいのに
— 菅家(再起動中) (@Sugaya03) 2025年5月8日
宇多田ヒカルの新曲『Mine or Yours』の歌詞における「令和何年になったらこの国で夫婦別姓OKされるんだろう」という箇所が賛否両論を巻き起こした件について、賛成側にも否定側にも距離を置きたくなるようなことを言いたくなってしまいました。なんとなくこういう活動を支持されている方々って、(思想云々ではなく)長渕剛的なパフォーマンスを嫌悪していそうなイメージがあります。あと、J-POPを聴いていたら、いきなり社会問題について具体的に言及する歌詞が出てきて、ギョッとしてしまう感覚も理解できます。
芸能人の整形疑惑に固執する人、芸能人が整形であることを認めてもらって、自分の主張が正しかったことが明らかになるまでがゴールだと思うんだけど、それにしたって固執するのがそこかよって気持ちになる。この世の中のどうでもいいことランキングのかなり上位じゃないですか?
— 菅家(再起動中) (@Sugaya03) 2025年5月8日
躍起になって永野芽郁の整形疑惑を追及している人を見かけて。こういう活動をされている方って、いつも写真を根拠に主張されている印象がありますけれど、写真ってアングルや光の当て方で印象がまったく変わってしまいますよね。そんな曖昧なモノによく固執できるなあ、といつも不思議な気持ちで見てしまいます。
結局、やっぱり、どうしても、『地獄でなぜ悪い』ではダメだったんですか?ということは今でもちょっと思う
— 菅家(再起動中) (@Sugaya03) 2025年5月8日
紅白歌合戦の一件について。なんとなく東京オリンピックにおける小山田圭吾や小林賢太郎のように、紅白歌合戦という大規模なイベントそのものを批判するための粗探しに巻き込まれたのではないか、という感覚が自分の中に残っています。……ということを、このポストを投稿した時点では思っていたのですが、下旬に行われた園子温の記者会見の模様を伝え聞いて、「これは『地獄でなぜ悪い』を歌わせなかったことは正解だったのかもしれない」と考えを改めました。この人間と今の星野源を僅かにも接近させるようなことは避けた方が良さそうだな、という感じがとてつもなかったです。
近年の悪目立ちしている一般人の個人情報を積極的に掘り出して晒していくムーブ、インスタやティックトックのような自己主張としての場としてのインターネットに対する、「ネットに個人情報を出すべきではない」という思想が根強い老害ユーザーの反抗心によるところも強いような気がしてきた。暗い情熱 https://t.co/Ix1aV5NK4x
— 菅家(再起動中) (@Sugaya03) 2025年5月12日
自分は晒されるような情報を出していないから同じような目に合わない、あいつらがこういう目に合うのは自分から個人情報を発信しているからだ、俺たちが悪いんじゃない、あいつらが悪いんだ、という思考なんじゃないか
— 菅家(再起動中) (@Sugaya03) 2025年5月12日
「晒されるようなことをしているから悪い+晒されて困るような情報を公開しているから悪い=つまり全部アイツが悪い」という考え方が、話題の一般人の個人情報をゴシップ誌的に拡散するという自らの下品な行為を正当化させているのではないか。村八分かよ。インターネット因習村かよ。
— 菅家(再起動中) (@Sugaya03) 2025年5月12日
考えてみると、個人情報を特定して発掘して晒しあげれば相手にダメージを与えられるって思考回路、完全にインターネット中年世代の発想だよな。いい年こいて…。
— 菅家(再起動中) (@Sugaya03) 2025年5月14日
アイドルグループのお見送りイベントにおいて、ファンの剥がしを担当していた女性に対して批判が集まり、個人情報が特定され始めた件を受けて。最近、ちょっと忘れられそうになっていた悪性のインターネットとしての側面が、じわじわと復活している感じがあって、落ち着きませんね。その道はかつて先人が通ってきた道ですし、だからこそ法も整備されちゃってますけど……と言ってあげたいですね。
過去に炎上や誹謗中傷の被害にあった人たちと秘密裏に連絡を取り合って、開示請求で得た情報を拝借し、それぞれを照らし合わせて、「このときの炎上に関わった人は、このときの誹謗中傷にも関わっています」みたいなデータをまとめてみたい
— 菅家(再起動中) (@Sugaya03) 2025年5月14日
ネット炎上が頻発している昨今について考えたときに、ふと思い浮かんだサービス。芸人のinfoに攻撃的なDMを送っているアカウントのデータも共有したいですね。結局、同じようなアカウントが暗躍していただけ、みたいなことになりそうな気がします。
ネットには相手の神経を逆撫ですることに特化した人が少なくないけれど、今までの人生をかけて磨き上げてきた技術がソレだって思うと、ちょっとたまらないものがないですか。
— 菅家(再起動中) (@Sugaya03) 2025年5月14日
強めの皮肉。紆余曲折の人生を経て、辿り着いた場所がそこなのかいってことも思います。長い人生、もっと他にやっておいた方が良いことがあるような気がします。
エンターテインメントがソフト化されずに配信ばっかりになってしまうと、エンタメが「個人で所有して楽しむもの」から「特定の(サブスクに登録している)個人のみが企業から施されて分け与えられていくもの」になりそうでちょっとおっかない
— 菅家(再起動中) (@Sugaya03) 2025年5月14日
音楽に関しては、割とどのサブスクでも配信されているから、どれかひとつでも登録していたら聴けるような環境が整っているイメージがあるけれど、映像に関してはちょっと各種サブスクで独自性を競い合っている感があって、本当にそういう溝が生まれ始めている気がする。
— 菅家(再起動中) (@Sugaya03) 2025年5月14日
巡り巡って、エンタメの価値が下がり始めている気がするんですよね。「作品の一時的貸し出し」から「サブスク契約」へと鑑賞するためのハードルが上がってしまっているわけですから。「手間がかかるなら、別に見れなくてもいいや」という感覚を植え付けるきっかけになっているのではないかしらん、と。
最近、アニメ作品に込められた作者のメッセージについて考察しているつぶやきに対して、「創作と現実を切り分けて考えられていない」みたいな指摘をするリプを頻繁に見かけるようになった気がする。ことによると、創作物は天から舞い降りてくると思っているんじゃないかしらんとか思う。
— 菅家(再起動中) (@Sugaya03) 2025年5月15日
これらのポストに対するリアクションを見ていると、オタクがやたら声高に主張していた「原作者は神」ってなんだったんだって気持ちにさせられるな。批評家よりよっぽど不遜な態度だろ。
— 菅家(再起動中) (@Sugaya03) 2025年5月15日
明らかに作者が思想を絡めて作り上げた作品の批評に対して「創作と現実を切り分けて考えられていない」とヤジを飛ばす姿勢は、現実から逃げるための効能がエンタメには含まれているとはいえ、あまりにも潔癖過ぎて驚かされます。本当に最近のネットユーザーは「それはそれ。これはこれ」が出来なくなっているのかしらと心配になりますね。余計なお世話でしょうが。
たまに「○○(有名作家)がSNSで××(あんま良くないアカウント)をフォローしててショック」みたいな報告を目にするけれど、それの行き着くところって「××を支持している○○みたいな人間の作品なんか見る価値無し!」だと思うので、そういう意図がないならあんまり言わない方が良いような
— 菅家(再起動中) (@Sugaya03) 2025年5月16日
「どういう意図でフォローしてるのか分からない」「支持していたとして作品に反映されないなら読者には関係無い」みたいに捉える余地はあるけど、真偽無関係に真っ直ぐに「○○は××のことを支持しているのか!酷い!」みたいな人を生み出しかねない(そしてそういう人は少くない)ので
— 菅家(再起動中) (@Sugaya03) 2025年5月16日
そもそも、いくら公開されているとはいえ、他人のフォローしているアカウントの品質をチェックするような行為は、なんとなく他人の家のゴミを漁る行為と繋がっているような気がして、あんまりよろしくないような気がします。
地元のスーパーマーケットで20年以上も起用され続けてきたマスコットキャラクターが、ネットで発掘された途端に余所から「スーパーマーケットに相応しくない」と批判されているのを見かける。カリフォルニアから来た娘の亜種みたいですな。
— 菅家(月に負け狸) (@Sugaya03) 2025年5月19日
決してコンプライアンス的にアウトとはいえない地方のスーパーマーケットに根付いているキャラクターを先進的な視点から否定する行為は、地方の文化を殲滅するきっかけになりかねないから気を付けた方がええです
— 菅家(月に負け狸) (@Sugaya03) 2025年5月19日
地方ならではの特色を自称・先進的な視点で潰そうとする行為は断固否定します。そもそも地方ならではの特色を最も消費したがるのは都会の人間でしょうに。
「映画ファンってややっこしい人が多いから、ちょっと神経を逆撫でするようなことしたら勝手に燃え広がって宣伝してくれまっせ」という考えから『サブスタンス』の広告が作られたのではないか、という気がしないでもない。
— 菅家(月に負け狸) (@Sugaya03) 2025年5月20日
この直後、五月女ケイ子によるイラストが炎上して、「本当にややっこしい人ばっかりだな」と再認識させられました。
星野源って一部の支持者からうっすら信用されていない気がする。紅白のときもそうだし、最近の「伝えたいことはない」発言に対する反応もそう。なんか「源は何も分かってないな」と思われている。はっきり言うとナメられてる。なんでなんですかね。
— 菅家(月に負け狸) (@Sugaya03) 2025年5月20日
この「何も分かってない」と思われてしまう感じ、太田光と重なるところがある。でも「太田は何も分かってない」って言ってるのは、太田という芸人のファンではない。「源は何も分かってない」って言ってるのって、どっちかっていうとファン寄りの人が多い気がする。不思議やね。
— 菅家(月に負け狸) (@Sugaya03) 2025年5月21日
星野源のナメられ感は異常ではないか、という印象の話です。私のように熱心なファンではないような人間でも、彼がしっかりと様々な事象に対して考慮した上で活動しているタイプのアーティストであることはなんとなく分かるのに、何故か私よりも彼のことを熱心に追いかけているような人たちの方が、サクッと「そんなことも分からなくなってしまったの?」と手のひらを反すような態度に出るのが不思議でなりません。ことによると、星野源というアーティストのアイデンティティに対し、自身を過剰に投影されているのかもしれませんね。
— 菅家(月に負け狸) (@Sugaya03) 2025年5月21日
五月女ケイ子が『サブスタンス』の主演であるデミ・ムーアの役者人生をざっくりと描いたイラストが炎上した件を受けて。社会に対して訴えかける力がある傑作映画が公開されると、そのメッセージに感銘を受けて過剰に持ち上げ始める人たちがぞろぞろと現れて、ちょっとでも茶化すようなことが起こると過激な反応をするというパターンが定着化しているように思います。結局、批判を受けて、五月女ケイ子のイラストは取り下げられてしまったようです。……なんか、これはこれで「『サブスタンス』はそういうような人たちが支持する映画」みたいなイメージが広がりそうですね。
「ガキ使」での山崎邦正の発言が物議を醸しているっぽい。笑いながら話を聞いていたココリコ田中・千原ジュニアに対して批判の声があがってるっぽいけど、その理不尽なパフォーマンスが受け入れられてきたことを思うと、そんなサクッと手のひらを反すような態度を取っていいのか?とは思う
— 菅家(月に負け狸) (@Sugaya03) 2025年5月22日
これまで大型コンテンツとして受け入れられていたことを知っている筈の人間が急に同情する側に鞍替えする方が危ういんじゃないですか。反省は反省としてするとして。
— 菅家(月に負け狸) (@Sugaya03) 2025年5月22日
『ガキ使』にて、月亭方正が「やっぱビンタされるのなんか嫌や」「蝶野さんに松本さんとか浜田さんがビンタされてるんやったら、俺は喜んでやる。でもさ、俺ばっかりやん」と語ったくだりが炎上していた件について。その様子をエンターテインメントとして消費していた社会だったことを棚に上げて、方正の話を笑いながら聞いていたココリコ田中・千原ジュニアを批判するのは、なんかちょっと違うのではないか……という違和感を覚えました。彼らを批判する目線で自分たちの過去を見ることは出来ているのでしょうか。
— 菅家(月に負け狸) (@Sugaya03) 2025年5月22日
オールスター感謝祭における永野芽郁と江頭2:50をめぐる炎上に巻き込まれていた広瀬アリス氏ですが、批判に対して何も反応することなく、それ以前と同じノリでSNSを運営されているところを目にして。結局のところ、批判を無視するのが最善の手段ということになってしまっていますが、そのことについて当時批判していた人たちはどう思っているのでしょうか。
エロ表現に対して疑問を呈することはないけれど、マンガで「胸が小さいことがコンプレックスな私!」とか、「美人で性格も良いのにアラサーで未婚な私!」とか、「お酒大好き!デフォで酔っ払ってます私!」みたいな描写を見ると「オタクのこの感じ、ウゼー」とか思うようになりました。
— 菅家(月に負け狸) (@Sugaya03) 2025年5月23日
たまに炎上する露出度の高いキャラクターの看板やポスターよりも、こういう判で押したようなキャラクター設定の方に違和感を覚えるようになってしまいました。どんな話題にも定番のコピペで盛り上っているネットのオタク感を覚えるといいますか。酒カスキャラに関しては、本当に登場頻度が高いですよね。そういうキャラクターにするのなら、それ相応の体型にしてほしいですけどね。……この傾向、近年ではVTuber方面にも起きているようです。
星野源広告の件、批判されていることも分からなくもないけれど、電車内やタクシー内やバカデカトラックで町中にひっきりなしに広告が垂れ流されている環境にある都市部の方から、今更そんなこと言い出すのか…という気持ちもあるぞ
— 菅家(月に負け狸) (@Sugaya03) 2025年5月23日
「大資本によるローカルの浸食」という言い回し、うっすらと「都会にはスタバしかない、純喫茶がある地方がうらやましい」みたいな感情が乗ってそうだなーって気持ちもちょっとある
— 菅家(月に負け狸) (@Sugaya03) 2025年5月23日
そもそも面倒臭いタイプの人間から好かれる面倒臭い人間だったのに、その名が知られるにつれて面倒臭い人間から脱却してスターを志すことを決意した結果、かつて支持していた面倒臭い人間から面倒臭い絡まれ方をされているのではないか、という推論が自分の中で立った https://t.co/T6cewwVoI8
— 菅家(月に負け狸) (@Sugaya03) 2025年5月23日
バーグハンバーグバーグが打ち出した星野源の広告に対する批判を見かけて。公共掲示板へポスターを貼り出したことに対する批判が主のようですが、むしろそういった掲示板に対する神聖化が批判者からは感じられて、地方在住の身としては違和感を覚えます。そもそもポスターの貼り出し期間も一週間以内と限定されているので、そんな手間のかかるものに資本によるハックもへってくれもありませんよね。「書を捨てよ、町へ出よう」とはよく言ったものです。
あの頃の笑いは良くなかった、と反省するのはいいけれど、あの頃の笑いは間違っていた、というのは現在を生きる人間の後出しジャンケンでしかないということをちゃんと自覚しておかないと
— 菅家(月に負け狸) (@Sugaya03) 2025年5月24日
先の『ガキ使』の件も含めて、改めて思ったこと。現在の視点から見れば間違っていたと感じられることでも、当時はそれが正しいと思っていたから行われていたわけで、その当時の感覚を否定するのは、当時から今に至るまでの変遷を軽んじる行為なのではないかと思うのです。あと、その理屈がまかり通ると、今現在も未来で否定される側になることを受け入れなくてはならないので……。その時に「当時があってこその今があるわけじゃん!」って言い訳を出来ないようにしたくないです。
歌丸師匠について考えるときに、いつも「アキラ100%の芸風に苦言を呈していた」ことがノイズとして思い出されてしまうので、あんなこと言わなくても良かったよなーって今となっては思う
— 菅家(天地無用) (@Sugaya03) 2025年5月26日
「晩節を汚す」という表現はあんまり好きじゃないので使わないのですが、この時の歌丸師匠はまさにそういうことをやってしまったのではないかと個人的には感じております。苦言を呈されるような芸風であることは理解できますけれど、別にそれを歌丸師匠がやることはなかったよな、と。
そもそも他者の冠婚葬祭の風習を批判する行為が非常識だという自覚がないのよね。ツッコミ文化に心を侵食されすぎているRP
— 菅家(天地無用) (@Sugaya03) 2025年5月27日
これ確かに難しいところで、向こうには向こうで「SNSで生活を公開するのが悪い」って言い分があるんだよな。でも、その言い分が成立していたのってもっとずっと昔のことで、今やSNSで生活を公開するのって常態化してしまっているから、その主張はあんまり意味を持たないんだよな
— 菅家(天地無用) (@Sugaya03) 2025年5月27日
「おじいちゃんのお墓参りに行ってきた」という女性が線香立てに火のついたタバコを供えている動画が批判を浴びた件について登校したのが一つ目のポスト。それに対して「SNSに生活が侵食されてるな」という反応を頂戴したので、反応として二つ目のポスト。SNSに生活を投稿する方が良くないのか、その(自分の生活圏における)非常識な行為を批判する方が良くないのか。……そもそもSNSにおける批判行為ってどれほどの効果があるのでしょうか。大抵の場合、炎上化して当事者が傷つけられて終わってしまって、反省もへったくれもない状態になってしまうようなイメージなのですが。
ネットで目にする言論って「起きた事象が社会に対して与える影響を憂う」みたいなのが多い気がするのだけれど、個人的には「起きた事象から社会のうねりを捉えることで今の時代を感じ取る」スタンスなので、その辺はちょっと相容れない
— 菅家(天地無用) (@Sugaya03) 2025年5月27日
「私たちの社会の中に投げ込まれた不純物」として排除しようとしているように見えます。転じて、それは「私たちの社会は絶対的に正しい」とでもいうような信仰じみたものを思わせます。でも、当然のことながら、それが社会の中で在る以上、社会の流れの中で生まれたものと考えるのが自然でしょう。ネットユーザーは自分のコミュニティ外に生じたものの経緯について調べることをサボりがち。
「内容なんかどうでもいい、この人が言っていることは信用できない」という態度って、中年がタイパを重視した結果生まれたモノなのかもしれない
— 菅家(天地無用) (@Sugaya03) 2025年5月27日
SNSでよく見かける「明らかにポストの内容は正しいのに、何故か批判されている人」について。あとタイパの行きつく先ってそういうことになるんじゃないか、という不安も少々。不快なアカウントをブロックする行為にも同じことがいえるのかもしれません。
「信頼を取り戻すためにがむしゃらに頑張る主人公」は「そんな主人公の姿を見て、心を動かされる年長者」とセットなので、がむしゃらに頑張る主人公の到来を期待するなら、そういう態度を取れる年長者にならなくちゃならんということを忘れてしまいがち
— 菅家(天地無用) (@Sugaya03) 2025年5月28日
それを受け止められる器になれるのか、という自分への問い掛けを怠らないように。
ツーショット写真が拡散されて「〇〇は××党を支持!」みたいに言われているのを見かける。これで後から〇〇が××党を支持していなかったことが分かっても、そのイメージが浸透して常態化するんでしょう。いつものインターネッツ過ぎる。
— 菅家(天地無用) (@Sugaya03) 2025年5月28日
所ジョージと参政党員のツーショット写真が拡散されているところを見かけて。実際に党を支持していたとしても、それはもう個人の思想の話になるので、こちらからは何も言えることはありません。どうでもいいですけど、政治家とのツーショット写真ぐらいで盛り上がる人たちを見ていると、そりゃ芸能人は政治の話なんて出来ないよな、という気持ちにさせられます。
毎度言っていることだけれど、本当にアップデートが求められるべきは、ドラマやバラエティじゃなくて報道なんだよなあ。広い年齢層にチェックされるから、創作物よりもよっぽど影響力がバカデカだろうし。
— 菅家(天地無用) (@Sugaya03) 2025年5月28日
新聞のラテ欄に書かれた「小泉米」というワードを目にして。まさか、かつての小泉純一郎フィーバーを夢見ているとかじゃないですよね?
こちらからは以上です。