1月のぼやきをまとめたので、2月のぼやきもまとめてみます。
太田光を批判するときにビートたけしを、立川志らくを批判するときに立川談志を持ち出す人、思春期に誰かに憧れていたことを茶化されて深めに落ち込んだ経験を持ち合わせていそう
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月3日
そういうフォーマットの批判をする人、往々にして「〇〇に憧れているのが見て取れるけれど器じゃない」という文脈を使うけれど、その内容に具体性を感じることがあんまりない。師匠筋の名前をハンコを捺すように使っているだけにしか見えない。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月3日
そもそも、そういう批判をしている人は、比較対象とされているビートたけしや立川談志のスタイルをきちんと理解しているのだろうか、という違和感によるポスト。おそらくは「お前らのやっていることは、憧れている人のコピペだ」みたいなことを言いたいのだろうとは思いますけれど、それが的を射た批判だったとして、それが一定の支持を集めているという現実がある以上、それの何が悪いのかを説明しないと批判として足りないような気もします。
それが事実とは限らない疑惑の段階であったとしても、イジメの加害者と被害者の関係性を仕立て上げてしまえば、かつてイジメられていた経験を持つ一定数の支持者が無条件で被害者側について、加害者側を糾弾する傾向がある。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月3日
何かのニュースとそれに対する反応を目にして思ったことについて。事実も何も分からない状況なのに、被害者っぽい方の肩を持つのはインターネットの悪いところです。そういう被害者意識の強いタイプの人間が、インターネットを好んで利用する傾向が強いことの証明といえるのかもしれません。自分も含めて。
訴えたからといって、結果がどうなろうと「結果はどうあれ実際がどうだったかは分からない」と言い訳が立つし、その主張を支持する人も後を絶たないでしょうから、もう無敵ですよね
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月3日
彼らのことをフジテレビ側が訴えなかった場合、その背景にどのような理由があろうとも「訴えなかった=彼らの言うことは事実だと認めた」と幼稚に単純化した公式を吹聴してしまえるような人だったのは、ちょっと驚いた。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月3日
過去に大炎上するような発言をした元フジテレビアナウンサーの発言を受けて、とある音楽プロデューサーが「フジテレビは、この内容が虚偽だというなら、文春よりも何よりも先に長谷川豊さんと堀江貴文さんを訴えなきゃいけない。訴えるかな?」と反応していた件を受けて。その決定の裏でどのような話し合いが行われていたかなんて外部の人間には分かるはずもないのに、よくもまあ名のある立場から無責任なことを言えるよなあという驚きを含んでいます。
自分に対する悪口を言っている人をエゴサして見つけ出して突撃する人、それ自体は気持ちも分かるけれど、自分から突撃したくせに言いたいことを言い切った後で相手をブロックして反論させないようにしてしまう姿勢は褒められたものではない。どちらかというとみっともない。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月4日
また「エゴサして見つけた相手に突撃していること」「反論した後で相手をブロックしていること」がフォロワーには見えづらいようになっているので、仲間内からは氏の行為のみっともなさが伝わりにくい構造になっている。よく出来ている。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月4日
X(旧Twitter)での立ち回りがやたらと上手な人たちについて、「こんな卑劣な手段で立ち回っている人のことを、どうしてあの人やこの人はフォローしているのだろう?」という疑念を抱いたときに出た推論。たまに自分でエゴサして探し出しておきながら「向こうから名前を出して絡んできた」と主張されている方もいらっしゃいます。一般人のアカウントならまだしも、それなりに知名度のある方がそれを言っていると、「有名になって影響力を持ちたいけれど、その責任は背負いたくないだけなんじゃねえか?」という気持ちになります。
「てめぇブチ殺すぞ」という感情に飲み込まれそうになるたびに、千原ジュニアが提唱していた同義の言い回し「荼毘に伏されろ」を思い出す。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月5日
たまにネット上で私に対してナメたことを言ってくる人がいることを受けて。やっていることがぶつかりおじさんと同じレベル(自分の身が危険にさらされないという意味では、もっと悪い)だということを自覚した方が良いです。
長らくDVD化され続けてきた作品がBlu-rayでベスト盤をリリースする現象、もっと一般的になってくれれば良かったのにな。今や配信ばっかりだ。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月5日
『アメトーーク!』とか、『ゲームセンターCX』とか、その辺の番組がよくやってましたね。今は本当に配信ばかりで、そもそもソフト化される機会が激減したように思います。『テレビ千鳥』のDVDも集めていたのですが、六巻が出たところで止まってしまいました。でも、配信だと、出演者が問題を起こしたときに削除されてしまうことも少なくないので、やっぱりソフトが最強じゃないかと思うんですけどねえ。
Wikipediaの「キングオブコント」の記事から歴代準決勝進出者の項目を消してるヤツがいることに気付いて驚く。2008年から残されていただろうビッグデータだぞ
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月7日
このポストを受けて、データを差し戻した方がいらっしゃったのですが、不具合が生じている状態で復元されてしまったため、後にまた削除されてしまいました。あと、この件を受けて、私がこのブログで準決勝進出者のデータをまとめました。これでいつでも確認できます。面倒でも自分でやるのが一番。
文化とは、表現方法が進化を遂げるものではなく、表現方法の幅を拡張させていくものなのではあるまいか。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月7日
「アップデート」という大義名分の元に、古い表現が駆逐されていく現象に対する違和感について。結局、新しい表現方法が開拓されていったとしても、それで選択肢が増えることなく、むしろ表現の自由度が狭まっていくことは、それによって深化を遂げるという利点もあるにせよ、それは果たして良いことであると言えるのかという疑問があります。
「作り手への敬意を忘れてはならない」と話している人は、例えばコンビニ弁当を食べるときに、その惣菜や容器を作っている工場に思いを馳せているのだろうか
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月12日
「作り手」というのは何処から何処までのことをいうのだろう、という疑問。弁当の例えでいえば、素材を作っている農家や調理している料理人などがイメージされるけれど、それらを運送している人たちや使い捨てられる弁当箱のケースを作っている人たちのことはどうなのか、と。転じて、そういうのは結局のところ、自己満足の域を出ないのではないか、と。
Xで得られる同情は基本的にケツから根が生えている人たちによる共感の排泄と割り切らないと、いざ追い詰められているときに誰からも手を差し伸べられなかったときのダメージがえげつない
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月12日
これは自分に対して言ってます。深入りしてはいけないし、深入りさせてはいけない。
Xでバズるトーン、良いときも悪いときも古典的なインターネットオタク的な仕草が何パーセントか含まれている気がして、その内容の是非に関わらず共感性羞恥みたいなものを感じるようになってきた。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月12日
2chコピペブログが全盛を極めた時代にどっぷりインターネットに浸かっていた人生なので、それらの延長線上にあるようにしか思えないような缶ビール持ち逃げ界隈によるネタポストがタイムラインに流れてきて。あの頃の自分と同じ年齢層の人たちが盛り上がっているのでしょうけれど、こちらとしては「いつまでも同じようなことを言って笑いを取ってんなあ」と冷めた気持ちにもなります。
再生数の多さを評価軸にすると最終的に露悪的で下品なところに落ち着いてしまうのではなかろうか
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月12日
どうしてこんなポストを投下したのかは覚えていませんが、間違っていないと思います。だからこそ広告会社はきちんと精査してくれよ、とも思います。
オタクを批判するために漫画のコマを貼り付けている人、ちょっと意味が分からない。「お前と同じ目線に立って批判してやってんだから理解しろよ?」ということなのか、自身のオタク性に無自覚なのか
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月12日
漫画のコマを貼るという行為全般がオタク仕草だと思っているので。
X(旧Twitter)は他人から押し付けられるマナーを嫌悪するけれど、「どうして○○するんだろう」「○○する人の意味が分からない」というように独り言の形を取りながら透明化された状態のルールを他者に投げ掛けるのは好き。このポストも同様に。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月16日
テレビ番組でのマナー講師の発言が批判されている様子を目にして。単なる同族嫌悪なのではないか、という気がしています。ていうか、なんだかんだでテレビもやっぱり好きなんですよね、X(旧Twitter)の人たちって。どれだけ自分のことを省みていないのか。
炎上をきっかけに知る事案は、それが炎上している(炎上させられている)という事前情報によるバイアスが否が応でもかかってしまうので、批判するにせよ、擁護するにせよ、注意が必要です。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月17日
大元のポストではなく、そのポストに言及している引用リポストが拡散されているときは、特に注意が必要だと感じています。「これはこういうものです」という状態だけを見て判断するのではなく、「これ」そのものに目を向けることが大事だよなあ、と。
カップうどんのCMの件、性的であるとも性的ではないとも言い切れない半端な表現描写ラインにあるくせに、リトマス試験紙として過剰に持ち上げられつつある感じが気に入らない。これに白黒をつけることで表現の幅が狭められることが自分には正しいとはどうしても思い切れない。でも批判する自由もある。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月17日
カップ麺のCMについて、「性的に客体化された女性像がステレオタイプに描かれ続けてきた歴史的背景から反発を受けている」というポストを見かけ、納得すると同時に、ポーズや表情から性的なメタファーとして描かれることも批判の対象とされるという話については、割と対象となる表現の範囲が広そうで、
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月20日
それを受け入れることによって起こり得る弊害を想定した人たちの反抗も起こっているのではないかという気はしてる。あと、歴史的背景が根拠とする場合、性的に客体化された男性像についての批判は起こしにくくなるのかな、とも思った。それはそれでいいのか?
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月20日
母の日の後に父の日が生まれたように、そこのバランスはイーブンじゃないといかんのではないか?という気はした(単に元ポストへの理解が足りないだけかもしれない)
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月20日
Web限定で公開された「緑のたぬき」のアニメコマーシャルが話題になった件について、あれこれと思ったこと。「こんな女、いるわけないだろ!」という声も頻繁に目にした記憶があるのだけれど、このCMで描かれているようなタイプの自分ではない誰かの存在そのものを否定することの危うさに無自覚なのもどうなんだろう、と今となっては思います。
ある点においてはマジョリティ側であり、ある点においてはマイノリティ側であり、それらの点がマーブル模様のように入り組んで個々人は成り立っていて、常に絶対というものはない
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月20日
常に加害者であるという人も常に被害者であるという人も存在しない、という話。
お笑いに関する何かが非難を浴びているときに、かつて芸人が河原乞食と呼ばれていた時代の話を持ち出して、芸人の責任能力の無さを主張する人が現れることがあるけれど、漫画やアニメの表現に対する批判への反論としてオタクが迫害されていた時代を持ち出す人たちが現れる流れと似ている気がする。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月20日
思うに、どちらも社会的地位が低かった時代を乗り越えて大衆からの評価を獲得してきたジャンルであり、その肥大した影響力に対して、未だマジョリティとしての自覚が更新されていないために起こる認識の歪みという意味で共通している……のかもしれない。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月20日
「緑のたぬき」CMの件を受けて、ちょっと思ったこと。オタクがポップな扱いを受けるようになったのは、『電車男』のドラマ版が放送された2005年ごろからだと思っているので(いわゆる“秋葉系ブーム”の時代)、いつまで被害者だった時代を言い訳にするつもりなんだよ、と。そもそも当時、お前はそこにいたのか?と。
いじめの被害者が加害者に謝罪されたときに「絶対に許さない」って態度を取る……みたいな展開が定番化し過ぎている気がする。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月24日
いじめ加害者に「絶対に許さない」という立場を取るということは、相手に固執し続ける人生をこれからも送り続けるということでもあれば、自分がふとしたときに加害者側になってしまったときに被害者から「絶対に許さない」と言われてしまうことを受け入れなくてはならないことでもある、という旨のポスト。その枷に自覚した上で、そういう描写を採用しているのだろうか、と。……本文で触れることを忘れていますが、これはフィクションにおける話です。
SNSで「今まで知らなかった真実」について語る人、今まで知らなかったわりにはその真実の専門家であるかのように喋り倒していることが多くて、覚えたばかりの言葉を使いたがる大人を描いたさらば青春の光のコントみたいに見えるので、客観性だけは見失わないようにしてもらいたい
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月25日
SNSで真実に気付いてしまった人、割とこのパターンが多い気がします。
やす子氏、好感度が高いというより、愛玩動物として見られているフシがありゃせんか
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月26日
『あちこちオードリー』でやす子氏が自身の好感度の高さに苦しんでいる話をしていたらしい、と聞いて(番組は見ていない)。そのブレーキを踏むとしたら、フワとの一件が大炎上を巻き起こしたタイミングだったのではないか、と思わなくもないです。あれこそやす子の好感度の高さが良くない形で暴発した事例であって、だからこそ、あのタイミングで自身のスタンスを表明するような立ち回り方をしていれば、もうちょっと状況はマシになっていたのでは。
芸人をディスるときにしょうもないユーモアを付け足そうとする人のみっともなさ、芸人と同じ"笑い"の土壌に立とうとするスタンスから滲み出る憧れの感情に起因している気がする。
— 菅家 info (@Sugaya03) 2025年2月28日
「面白い芸人のことを、あえてつまらないことを言ってディスることで、精神的ダメージを負わせるぜ!」というスタンスを取っている可能性もあります。どちらにしても、真っ直ぐに相手をディスる根性がない時点で、どうしようもないのですが。
こちらからは以上です。