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さあ、水道の蛇口を開け。

2025年2月のぼやき。

1月のぼやきをまとめたので、2月のぼやきもまとめてみます。

そもそも、そういう批判をしている人は、比較対象とされているビートたけし立川談志のスタイルをきちんと理解しているのだろうか、という違和感によるポスト。おそらくは「お前らのやっていることは、憧れている人のコピペだ」みたいなことを言いたいのだろうとは思いますけれど、それが的を射た批判だったとして、それが一定の支持を集めているという現実がある以上、それの何が悪いのかを説明しないと批判として足りないような気もします。

 

何かのニュースとそれに対する反応を目にして思ったことについて。事実も何も分からない状況なのに、被害者っぽい方の肩を持つのはインターネットの悪いところです。そういう被害者意識の強いタイプの人間が、インターネットを好んで利用する傾向が強いことの証明といえるのかもしれません。自分も含めて。

 

過去に大炎上するような発言をした元フジテレビアナウンサーの発言を受けて、とある音楽プロデューサーが「フジテレビは、この内容が虚偽だというなら、文春よりも何よりも先に長谷川豊さんと堀江貴文さんを訴えなきゃいけない。訴えるかな?」と反応していた件を受けて。その決定の裏でどのような話し合いが行われていたかなんて外部の人間には分かるはずもないのに、よくもまあ名のある立場から無責任なことを言えるよなあという驚きを含んでいます。

 

X(旧Twitter)での立ち回りがやたらと上手な人たちについて、「こんな卑劣な手段で立ち回っている人のことを、どうしてあの人やこの人はフォローしているのだろう?」という疑念を抱いたときに出た推論。たまに自分でエゴサして探し出しておきながら「向こうから名前を出して絡んできた」と主張されている方もいらっしゃいます。一般人のアカウントならまだしも、それなりに知名度のある方がそれを言っていると、「有名になって影響力を持ちたいけれど、その責任は背負いたくないだけなんじゃねえか?」という気持ちになります。

 

たまにネット上で私に対してナメたことを言ってくる人がいることを受けて。やっていることがぶつかりおじさんと同じレベル(自分の身が危険にさらされないという意味では、もっと悪い)だということを自覚した方が良いです。

 

アメトーーク!』とか、『ゲームセンターCX』とか、その辺の番組がよくやってましたね。今は本当に配信ばかりで、そもそもソフト化される機会が激減したように思います。『テレビ千鳥』のDVDも集めていたのですが、六巻が出たところで止まってしまいました。でも、配信だと、出演者が問題を起こしたときに削除されてしまうことも少なくないので、やっぱりソフトが最強じゃないかと思うんですけどねえ。

 

このポストを受けて、データを差し戻した方がいらっしゃったのですが、不具合が生じている状態で復元されてしまったため、後にまた削除されてしまいました。あと、この件を受けて、私がこのブログで準決勝進出者のデータをまとめました。これでいつでも確認できます。面倒でも自分でやるのが一番。

 

「アップデート」という大義名分の元に、古い表現が駆逐されていく現象に対する違和感について。結局、新しい表現方法が開拓されていったとしても、それで選択肢が増えることなく、むしろ表現の自由度が狭まっていくことは、それによって深化を遂げるという利点もあるにせよ、それは果たして良いことであると言えるのかという疑問があります。

 

「作り手」というのは何処から何処までのことをいうのだろう、という疑問。弁当の例えでいえば、素材を作っている農家や調理している料理人などがイメージされるけれど、それらを運送している人たちや使い捨てられる弁当箱のケースを作っている人たちのことはどうなのか、と。転じて、そういうのは結局のところ、自己満足の域を出ないのではないか、と。

 

これは自分に対して言ってます。深入りしてはいけないし、深入りさせてはいけない。

 

2chコピペブログが全盛を極めた時代にどっぷりインターネットに浸かっていた人生なので、それらの延長線上にあるようにしか思えないような缶ビール持ち逃げ界隈によるネタポストがタイムラインに流れてきて。あの頃の自分と同じ年齢層の人たちが盛り上がっているのでしょうけれど、こちらとしては「いつまでも同じようなことを言って笑いを取ってんなあ」と冷めた気持ちにもなります。

 

どうしてこんなポストを投下したのかは覚えていませんが、間違っていないと思います。だからこそ広告会社はきちんと精査してくれよ、とも思います。

 

漫画のコマを貼るという行為全般がオタク仕草だと思っているので。

 

テレビ番組でのマナー講師の発言が批判されている様子を目にして。単なる同族嫌悪なのではないか、という気がしています。ていうか、なんだかんだでテレビもやっぱり好きなんですよね、X(旧Twitter)の人たちって。どれだけ自分のことを省みていないのか。

 

大元のポストではなく、そのポストに言及している引用リポストが拡散されているときは、特に注意が必要だと感じています。「これはこういうものです」という状態だけを見て判断するのではなく、「これ」そのものに目を向けることが大事だよなあ、と。

 

Web限定で公開された「緑のたぬき」のアニメコマーシャルが話題になった件について、あれこれと思ったこと。「こんな女、いるわけないだろ!」という声も頻繁に目にした記憶があるのだけれど、このCMで描かれているようなタイプの自分ではない誰かの存在そのものを否定することの危うさに無自覚なのもどうなんだろう、と今となっては思います。

 

常に加害者であるという人も常に被害者であるという人も存在しない、という話。

 

緑のたぬき」CMの件を受けて、ちょっと思ったこと。オタクがポップな扱いを受けるようになったのは、『電車男』のドラマ版が放送された2005年ごろからだと思っているので(いわゆる“秋葉系ブーム”の時代)、いつまで被害者だった時代を言い訳にするつもりなんだよ、と。そもそも当時、お前はそこにいたのか?と。

 

いじめ加害者に「絶対に許さない」という立場を取るということは、相手に固執し続ける人生をこれからも送り続けるということでもあれば、自分がふとしたときに加害者側になってしまったときに被害者から「絶対に許さない」と言われてしまうことを受け入れなくてはならないことでもある、という旨のポスト。その枷に自覚した上で、そういう描写を採用しているのだろうか、と。……本文で触れることを忘れていますが、これはフィクションにおける話です。

 

SNSで真実に気付いてしまった人、割とこのパターンが多い気がします。

 

『あちこちオードリー』でやす子氏が自身の好感度の高さに苦しんでいる話をしていたらしい、と聞いて(番組は見ていない)。そのブレーキを踏むとしたら、フワとの一件が大炎上を巻き起こしたタイミングだったのではないか、と思わなくもないです。あれこそやす子の好感度の高さが良くない形で暴発した事例であって、だからこそ、あのタイミングで自身のスタンスを表明するような立ち回り方をしていれば、もうちょっと状況はマシになっていたのでは。

 

「面白い芸人のことを、あえてつまらないことを言ってディスることで、精神的ダメージを負わせるぜ!」というスタンスを取っている可能性もあります。どちらにしても、真っ直ぐに相手をディスる根性がない時点で、どうしようもないのですが。

 

こちらからは以上です。