白昼夢の視聴覚室

犬も食わない

泉谷しげる『春夏秋冬』は生活する人たちに時代を超えて声を掛け続ける

ミュージシャンとしての泉谷しげるの存在を知ったのは、20世紀末だったように記憶している。所ジョージ坂崎幸之助篠原ともえの三人による音楽番組『ミュージック・ハンマー』にゲストとして出演していた福山雅治が、泉谷しげるの代表曲『春夏秋冬』をカバーして弾き語っている姿を目にして、「なんだこのメロディは!」と衝撃を受けたのである。当時、私はフォークソングに対して強い興味を抱いていて、その頃リリースされたばかりの井上陽水吉田拓郎のベスト盤をいつも聴いていたのだが、『春夏秋冬』のコード進行とメロディは、彼らの楽曲とはまったく違っていた。なんだか惹きつけられるものがあったのだ。

その後、何がきっかけだったのかは覚えていないのだが、改めて『春夏秋冬』が何を歌っている曲なのか、きちんと向き合ってみようと思い、歌詞を読み込んでいて、改めて衝撃を受けた。『春夏秋冬』で歌われていたのは、進展のない日々の空しさ、努力しても報われない哀しさ、他人に合わせないと生きられない不器用さ、他人と上手く付き合えない辛さ……そんな、日常に希望を見出すことが出来ずにいるような人たちに向けて【今日ですべてが始まるさ】と声をかける、いわば人生の応援歌だったのである。あの、あの泉谷しげるが、こんな繊細なメッセージを歌詞に込められるのか。「がんばれ」だの「負けるな」だのというような分かりやすい言葉による後押しではなく、その日常を否定することなく、そっと寄り添って将来に希望を持たせるような言葉をさらっと掛けるような、そんなメッセージを。以来、私は泉谷しげるのことを、一目置いている。ネット上では批判の俎上にあげられることもあるが、一定の信頼を寄せている。信仰はしてないけれども。

そんな『春夏秋冬』は、現在『THE SECOND~漫才トーナメント~』の最終決戦の結果発表までの時間に使われている。良い選曲だと思う。なかなか売れる機会を見出せない日々を過ごしてきたファイナリストたち(優勝者だけに、では終わらないだろうところがこの大会の良いところだ)に向けられる曲としては、あまりにも最適である。