白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

Aマッソ『滑稽』(2023年2月25日)

滑稽という言葉について調べてみると、「面白いこと」「バカバカしくてくだらないこと」などの説明に突き当たる。だが、それはあくまで、今の時代における解釈である。かつて滑稽という言葉は、今とはまったく違った意味を持つ言葉だった。中国の歴史書史記』にある「滑稽列伝」のよれば、「言葉が滑らかで知恵がよく回ること」というニュアンスで滑稽という言葉が使われている。意味としてはまったく逆転しているように見えるが、どちらの意味にしても、芸人という稼業を表しているところが興味深い。今も昔も芸人は滑稽とともにあり続けているわけだ。

それはさておき、Aマッソ『滑稽』の話をする。

Aマッソはワタナベエンターテインメント所属のコンビである。大阪府出身の加納愛子村上愛によって2010年に結成された。当初は松竹芸能に所属していたが、2013年に退社。同年、現在の事務所へと移籍している。2015年にお笑いドキュメンタリー番組『笑けずり』へと出演、お笑いファンのからの注目を集めるきっかけとなる。2016年に『M-1グランプリ』にて初の準決勝進出。2020年に『THE W』で初の決勝進出。同年、自身初の冠ラジオ番組『Aマッソの両A面』のレギュラー放送を開始。2021年に『MBSヤングタウン』パーソナリティに起用(これに伴い『両A面』は終了)。次世代を担う女性コンビの一角といっても差し支えないだろう。

『滑稽』は、そんなAマッソが、BSテレ東で放送された『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』を手掛けたテレビ東京プロデューサー・大森時生と再びタッグを組んだライブイベントである。2023年2月25日・26日に草月ホール(東京)、3月13日・14日にIMPホール(大阪)にて開催された。2月25日の公演は3月14日までアーカイブ配信があり、3月15日から3月31日にかけて一部編集版が配信された。私は一部編集版のみを鑑賞したので、アーカイブ配信版との詳細な違いについては認識していない。

『滑稽』はいわゆる芸人の単独ライブの様相を呈している。舞台上ではAマッソによる漫才やコント、あるいはちょっとしたトーク企画などが披露され、それらの隙間を埋めるように幕間映像が流される。構成だけを見ると、ごくごくありふれたものである。ネタも上々の出来だ。加納の「鶏が先か?卵が先か?」という古典的な議題を村上が親子丼の作り方の話だと勘違いする漫才に始まり、接触事故によって乗っていたバイクがぐちゃぐちゃになってしまったのに慰謝料請求などの発想を持たない無知な女性のコント、受験に失敗した学生を捕まえて目標としていた学校に入学しなくて良かった理由を有料で教えるおっさんのコントなどのように、軽妙だが根底に泥のような悪意が感じられるネタが次々に演じられていく。

対して、これらのネタと並行して上映される幕間映像は、“Affirmation”という怪しい団体による日々の暮らしを描いたもので、これがとんでもなく不穏で落ち着かない。「笑顔」に重きを置いた彼らの暮らしぶりは、典型的なカルト教団そのものといった雰囲気で、まったく笑えるものではない。映像内では「市子」という名の女性にスポットが当てられ、教団内で心が壊れていく様子が描かれている。明朗なAマッソのネタと、陰鬱な“Affirmation”の幕間映像。まったく違ったパフォーマンスを入れ替わりに見せられる高低差で、なんだか車酔いになったような感覚に陥る。

しかし、よくよく見てみると、その一見するとまったく無関係に思われていた両者が、少しずつリンクしていることに気付かされる。その微かな繋がりは、とあるネタをきっかけに明確なものとなる。同時に、映像の方にも大きな動きが生じる。その時、映像と舞台は同じ世界線の中にあるもので、そこに観客(視聴者)である自らも飲み込まれていることが発覚するのである。そして訪れる、あまりにも救いのないエンディング……。

本編鑑賞後、私の中での『滑稽』の評価はあまり芳しいものではなかった。宗教や集団暴力をテーマにしたお笑いライブは過去に鳥居みゆきが行っていたし、披露されるネタに密かに仕掛けが施されているライブなんて数え上げればキリがない。団体の描写もベーシックな模倣表現の域を出ていないし、宗教と笑いの仕掛けも『20世紀少年』で見覚えがある。決してつまらないわけではないが、センセーショナル以上でも以下でもない芯のないパロディ……そんな感想を抱いていたのだ。

ところが、不思議なことに、鑑賞から日が経つごとに、『滑稽』のことを考える時間が増えていくのである。仕事中も、昼休みも、家で夕飯を作っているときも、気が付けば『滑稽』に思いを馳せている。いつしか私は、誘い込まれるように考察サイトをチェックして、「アレはああいうことだったのか」と感心するようになっていた。なんなんだこの吸引力。まるで、神聖かまってちゃんの『ロックンロールは鳴り止まないっ』におけるビートルズやセックスピストルズのように、『滑稽』は私の心を侵食していたのである。なんだこれは。

このような状態に陥ってしまった原因は、おそらく『滑稽』の意図が良くも悪くも分かりにくい内容だったところにある。無論、それは意識的に仕込まれたもので、だからこそ、意図そのものが理解できなくても、漠然と違和感を覚えるくだりがそこかしこに散りばめられている。その違和感を足掛かりにして、知りたい、理解したいという欲求を『滑稽』は的確に刺激する。そうして私を含めた観客は、まんまとその仕掛けに飲まれてしまうのだ。その姿、まったくもって滑稽としか言いようがないだろう。

配信終了後、本作がどのような扱いになるのかは明らかになっていない。願わくば映像ソフト化されてほしいところだが、今の時点ではまだそういった発表はない。DVDにならないものか。Blu-rayにもならないものか。どうせなら副音声コメンタリーもお願いしたい。それぐらい、のめり込んでしまった。うーん、お見事。