白昼夢の視聴覚室

犬も食わない

生と死とシソンヌ

どうも、すが家しのぶです。皆さんは大事な人の最期を看取る覚悟がありますか?

妹を事故で亡くしてから今年で九年が経ちました。あの日のことは今でも昨日のことのように思い出せます。週末の夜、いつものように自室で過ごしていると、家族の慌てふためく声が聞こえてきたので、どうかしたことかと部屋を出てみると、血相を変えた姉が「妹が息をしていないから救急車を呼んだ」と一言。自分も慌てて父母の元へと向かうと、青ざめた表情で横たわっている妹の姿が。それからしばらくして救急車がやってきて、意識の無い妹と父母はともに病院へ。姉と私は自宅で待機することに。一時間ほど経過したところで母から電話があり、「とにかく来てくれ」といわれ、私だけが自分の車で病院へと向かいました。そこで妹の死を告げられたのです。

元々、妹には持病があり、何の前触れもなく意識を失ってしまうことが、過去に何度かありました。それで病院に運ばれたことも一度や二度ではありませんでした。だから、その日も私は「またいつものやつかな」と、割と冷静に状況を受け止めていました。しかし妹の意識が戻ることはありませんでした。ほんの一時間前に下らない会話を交わしていた妹は、本当に何の予兆も見せることなく、あっという間にこの世を去ったのでありました。その後のことはあまり記憶に残っていません。妹の遺体が運ばれてきて、通夜があって、葬式があって……心身ともに疲労困憊の状態で迎えた月曜日がとても辛かったことを覚えています。

それからしばらく妹の残像のようなものを目にするようになりました。当時は、自分の中で妹の死を受け入れられていないのか、と不安を覚えましたが、今になって考えてみるに、この時間には妹はいつもここにいて、この時間には妹はこんなことをしていて……そんな微細な記憶が、実際の景色を上塗りしていただけに過ぎないのでしょう。そのうち、妹の残像を目にすることはなくなりました。しかし、そうなると今度は、妹のことを忘れてしまうのではないのかという不安に襲われるようになり始めました。今後、現実では絶対に上書きされることのない妹の生前の姿を、これからもずっと正確に覚えていることは出来るのだろうか、と。

シソンヌのコントに『息子の目覚まし時計』というネタがあります。「キングオブコント2014」で優勝を果たした彼らが、その翌年に敢行した単独ライブ『シソンヌライブ[trois]』の中で披露されました。

朝のリビング。ソファに腰掛けながら、部屋の隅にあるチェストをじっと眺めている女性(じろう)の姿があります。チェストの上にはサッカーボールや野球のグローブ、ミニカーなどのような、いかにも男の子が遊ぶためのような道具が置かれています。そこへ女性の夫(長谷川)がやってきて、「おはよう」と声を掛け、そのまま女性の隣に座ります。「たける、何処にいるんだろうな」「意外と近くにいるかもしれないわよ」「そうかもな」……二人の会話は、それらの道具を使っていた男の子……つまり息子が、行方不明になっていることを表します。

やがて夫は切り出します。「もう……良くないか?」「何が?」「たけるの部屋だよ」。二年前に二人の前から姿を消した息子の部屋は、当時のまま残されていました。でも、もう、そのままにしなくてもいいのではないか、と夫は言うのです。それでも、ひょっとしたら戻ってくるかもしれない。だから部屋をそのままにしておきたい……。そんな妻の意志が語られるよりも先に、二人の会話を止めるかのように目覚まし時計の激しいアラーム音が鳴り響き始めます。本当の夫の目的は、息子がいなくなる前にセットして、そのまま放置されていた目覚まし時計を止めることだったのです。

私はこのコントを初めて目にしたとき、そのあまりにも理不尽な設定に号泣してしまいました。行方不明になった息子の部屋の全てをそのままにしておきたい妻、息子の目覚まし時計の音が周辺の住民にまで被害を及ぼしていることに我慢ならなくなってしまった夫、どちらの気持ちも分かります。でも、何もかもをそのままにして、生きていくことは出来ません。「行方不明」と「事故死」の差はあれど、そのコントのテーマはまさに、依然として妹のことを引きずっていた私の心にあまりにもストレートに突き刺さってしまったのです。

あれから九年。もはや実家に妹の部屋はありません。ただ、妹の私物の多くは、今でも物置で眠っています。とはいえ、それもいつか処分しなくてはならない日が来るのでしょう。あの日、心配していた妹の記憶は、予想していた通りに薄れ始めています。もっと写真や動画を残しておくべきだったと後悔しています。でも、これはもう、どうしようもありません。諦めることにしました。いつまでも引きずっていても仕方ありませんからね。

ただ、シソンヌの『息子の目覚まし時計』を見るたびに、妹の記憶が失われてしまうことへの不安でいっぱいになっていた、あの辛くて苦しい時期のことを思い出します。そして私の心の中にも、あの目覚まし時計の音が鳴り響くのでした。

皆さんの心にもいつか鳴り響く日が来ますからね。ご覚悟を。