白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

藤岡拓太郎が『街で』で見せたギャグ漫画家としての挑戦。

『大丈夫マン』が面白い。

大丈夫マン 藤岡拓太郎作品集

大丈夫マン 藤岡拓太郎作品集

  • 作者:藤岡 拓太郎
  • 発売日: 2021/01/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 『大丈夫マン』は気鋭のギャグ漫画家、藤岡拓太郎による作品集だ。2017年から2020年にかけてTwitterInstagramなどで公開されてきた作品に加え、22ページの描き下ろし短編『街で』が収録されている。第一作『藤岡拓太郎作品集 夏がとまらない』は単行本サイズだったが、本書はいわゆる大判サイズ。ボリュームは薄くなっているが、より身近で手に取りやすい仕様となっている。個性豊かなキャラクターたちの奥で、緻密に描き込まれた背景をしっかりと楽しめるのも嬉しいところ。

藤岡拓太郎の魅力は、なんといっても現実性(リアリティ)にある。この世界の何処にも存在していないだろう人々の、それでも現実に日常に生活の中に暮らしていそうな雰囲気の絶妙さ。興味深いのは、現実に存在し得る人々も、現実には存在し得ない人々も、平等に現実性を帯びているところにある。

例えば、教科書の朗読中に掃除用具のロッカーに入ってしまう先生、インスタグラムは売り切れましたと断言できる店員、大喜利のお題と回答で文通するお笑い好きの男女、などは現実にも存在していそうだ。しかし、「おいしい」を「うれしい」というおっさん、40年ぶりに帰って来た宇宙うんてい、不安や心配事を受け止めてくれる大丈夫マン、などはおそらく現実に存在しない。それでも、迂闊に「おそらく」と書いてしまう程度に、彼らは確かに現実世界に存在していそうなのである。

そのように感じさせられる理由は恐らく、彼らがギャグ漫画のキャラクターであるにもかかわらず、それを笑わせるためのものとして見せていないからだろう。彼らにとって、それはあくまでも普遍的な日常(或いは日常の延長線上に起きた非日常)の一ページに過ぎず、そこで描かれていることは笑いごとではないのである。この感覚は、シティボーイズのコントに近いように思う。常識と非常識を併せ持った人々のやり取りが奇妙な笑いを生み出すシティボーイズのコントも、ボケとツッコミの関係性が不明瞭で、現実味に溢れている。そして、コントが終わった後でも、彼らの日々に思いを馳せてしまいそうになる。これに似たような後味が、藤岡拓太郎の漫画にはある。

そんな中、本書のために描き下ろされた短編『街で』は、明らかに異質な存在感を放っている。『街で』は、あまりにも非日常的な言動を取り続けている男が、縦横無尽に街を行く姿を描いた作品だ。そこには現実味が皆無に等しい。他の藤岡拓太郎の漫画に見られるような、「この広い世界にはこういう人もいるのかもしれない」などとは微塵も思わせない。それはあまりにもストレートにギャグ漫画的だ。しかし、男がとある場所に赴き、受付の人間とやり取りをする場面から、一気に状況が引っ繰り返ってしまう。これには驚かされた。読書中、比喩ではなく、本当に「うわっ!えっ!?」と声をあげてしまった。

思うに『街で』は、終盤のアレを基軸にして、そこから日常を切り開いていった作品なのだろう。その真意はなんなのか。アレに対する敬意。アレに対する畏怖。いや、おそらくは、アレに対する挑戦だ。ギャグ漫画でアレに勝てるのか。結果ははっきり言って完敗である。完敗と言わざるを得ない。なにせアレは強すぎる。だが、なんとか対抗してやろうという藤岡の気迫には、ちょっと打ちのめされてしまった。

そして今、私は『街で』ばかりを読み返している。これは凄い。藤岡と同様に、アレにリアルタイムで触れた人間ならば、この凄さがきっと分かるのではないだろうか。そして最後のページの、あのモノローグ……。笑いを愛し、笑いについて苦心する全ての人が、読むべき作品である。きっとなにかしらかを感じ取ることだろう。