白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

「R-1ぐらんぷり2020」Bブロック感想(2020年3月8日)

ルシファー吉岡

「缶コーヒー」。休憩室の机の上に置いていた飲みかけの缶コーヒーが、同僚の若い女性が飲んでいた缶コーヒーと見分けがつかなくなってしまい、どうしたものだろうかと考え込んでいると、同僚の方から「どっちでもいい」と言われ、困惑するおじさんのコント。基本的には、間接キスを過剰に意識しているおじさんの振る舞いがベースとなっている。おじさんがおじさんであることに自覚的であるが故に、ズレた思考を巡らせる様がたまらなく面白い。「昆虫とか食べれる人?」から始まる遠回しな自虐展開もたまらないが、“間接キス”という言葉を、恥じらいからか直接的に表現できないために、身体の動きでどうにか分からせようとするコミカルな姿が素晴らしかった。あのヒジとヒザをくっつける動きのバカバカしさ。終盤、「その三倍もったいないって思ってる!」という本音が飛び出してからの、オチも良い。ある意味、同僚に対する好意を露わにしてしまった後の、あのオチは捉えようによってはエモいかもしれない。全体的によく出来ているように思うのだが、シチュエーションの説明に力を入れ過ぎていて、エンジンがかかるまでに少し時間が掛かってしまっていたようにも感じられた。そこはコント芸人としての矜持があったのだろう、とは思うけれども。

 

・ななまがり森下
「コント「乳首かくせない男」」。乳首を隠したいのに何故か隠せない男が、ひたすら乳首を隠そうと奮闘する。「乳首かくしたい」というフリに対して「乳首かくせない」というオチが多種多様な手法で延々と繰り返されるパフォーマンス。同じ失敗が繰り返されることでベタな笑いが構築されているが、一方で、貝殻のブラやマグネットシールの使い方を見ると大喜利的な面白さも含まれている。虫眼鏡を取り出すくだりは、それまでの流れに対する裏切りの意味もあって、たまらなく面白かった。更に、乳首を隠すための所作や、オチの度に繰り出される「キャー!」という悲鳴から滲み出る、森下直人という人間の肉体的表現力の笑い。これらの要素が複合的に絡み合って、ななまがり森下にしか作り得ない小さな世界が出来上がっていく。だからこそ、笑わせる対象は狭く、響く層にしか届かないという難点はあるのだが。

 

パーパーほしのディスコ

かくしごと」。彼女のかくしごとを追求したら浮気していたことを告白されたのだが、追及していたかくしごとはまったくの別件で……。男性が女性に振り回される、パーパーのコントではお馴染みの構成をそのまま取り入れた一人コント。浮気された被害者という立場でありながら、彼女のことを何の償いも禊ぎもなく奥歯を噛み締めながら許してしまう姿はまさしくパーパーのコントそのものだ。ただ、如何せん、状況も彼女の態度もほしのが説明しなくてはならないため、パーパーのコントの時よりも台詞や展開にキレがない。女性に振り回される側でありながらも、絶妙な台詞回しの面白さで悲観的に思わせないところに、ほしのディスコの真骨頂があると思うのだが、今回の一人コントではその要素があまりにも不足している。加えて、そんなほしのを振り回す立場である、相方のあいなぷぅの不在がやはり痛い。あの何を考えているのか知れないあいなぷぅが居てこそ、ほしのの振り回されている姿がたまらなく可笑しくなるからだ。あいなぷぅが居れば、終盤の「あなたは何故ウソをつかない……?」のくだりも、もっとウケたのではないだろうか。

 

すゑひろがりず南條
「今昔またぎ」。舞台中央に備え付けられた「今/昔」と書かれた看板を横切るたびに、喋り方や動きが昔風のものへと変化する。今の喋り方と昔風の喋り方のギャップを軸としたパフォーマンスである。徹底的に分かりやすさを追求したのか、『サザエさん』『グリコ』『ドレミの歌』などのような陳腐で新鮮味に欠けるテーマが主。また、ネタの構成にしても、基本形から崩し方、用いられる台詞の選別、組み合わせに至るまで、まるで見本のように的確でつまらない。しかし、それらを凌駕するほどに、南條の「昔風の喋り」の持つ表現力で笑わせられてしまう。コンビとしての活動によるところも大きいのだろうが、生来の声質の良さが多分に有利に働いているのだろう。とりわけ『ドレミの歌』の中盤のくだりはたまらなかった。『ドレミの歌』という楽しい楽曲の中で繰り広げられる合戦の風景という最高のギャップ。センスや玄人ウケを完全に捨てた、キャラ芸人としてのプライドを感じさせられる一幕であった。無論、それでも、通常のすゑひろがりずの漫才の方が、間違いなく面白いのだが。

 

審査の結果、すゑひろがりず南條がファイナルステージに進出。