令和時代のお笑い公論

心が腐る、その前に。

わだかまりを抱いて生きる人に響け「かつて天才だった俺たちへ」

「天才なんて言葉は努力しなかった人間の言い訳に過ぎない」。二十代半ばの頃、子どもの頃から他者と深い関係性を築き上げることを怠ってきた私にとって、数少ない友人と呼べる男がそんなことを口にしていた。何処かの誰かが漏らした戯言の受け売りだったのかもしれないが、この言葉は妙に私の記録回路に貼り付いて、未だに剥がれずにへばり付いている。今、その友人は、仕事の傍らエッチなイラストを描いて暮らしている。プロとしては仕事していないようだが、Twitterでは十七万人近い数のフォロワーを抱えていて、その界隈では結構な有名人らしい。正直なところ、彼の描くイラストは私の嗜好とはそれほど合わないのだが、そこまでの評価を獲得するまでの道のりを思うと、尊敬せざるを得ない。

一方の私はというと、どうだろう。コンテンツリーグというお笑い芸人を専門としたDVDレーベルが発行するフリーペーパーにおいて、五年間に渡って続けてきたコラム連載を終了し、もう一年半が経とうとしている。それで満足してしまったわけではない。だが、だからといって、何かをしようという意欲も湧き上がらない。膨張した自己顕示欲を連載期間中に培われた周囲の信頼で消化し続けるような毎日。これでいいのか。それでいいのか。別にいいのか。これでいいのか。少しずつ、しかし確実に、自らの才能に見切りをつけようとする日々。

そんな最中、Twitterのタイムライン上に、若きヒップホップグループ・Creepy Nutsの新曲が流れてきた。『かつて天才だった俺たちへ』。なんとなしに再生してみる。そこでは今までに何度も聴いたことのあるメッセージが歌われていた。あー、知ってる知ってる、この感じ。幾つになっても夢が叶うとかなんとかいうやつじゃん。私の心のシニカルな部分がそんな嘲笑の声をあげる。だが、何故だろうか、気が付けば一日に何度も何度も何度も何度も、この曲を聴き直している。

それはきっと、この曲が「夢を諦めた瞬間」から始まっているからだろう。【苦手だとか怖いとか気付かなければ 俺だってボールと友達になれた】【破り捨てた落書きや似合わないと言われた髪型 うろ覚えの下手くそな歌が 世界を変えたかも】。それらの歌詞が、いちいち私の心へ鍼灸師の針のように刺さっていく。ああ、そうだそうだ、確かにそうだ。ネットを通じて、世間を知って、自らの実力に見切りをつけて、背伸びをする努力から目を逸らしてきた。だからこそ、この導入に共感せずにいられない。おかげで、その後の言葉もずっと、刺さりまくってしょうがない。【くたばり損ねた冥土からCome back 草葉の陰からゴンフィンガー】。おかげさまで多少は立ち上がる気持ちにさせてくれたような気がする。

まったくもって音楽は有り難い。