(※「逢魔時の視聴覚室」にて2015年10月に公開されたものの再録記事です)
1909年に“大日本雄辯會”として設立された講談社は、その名の通り講談の速記本で人気を博した出版社だ。だが、講談社の本を愛読している人たちの中に、この事実を認識している者がどれほど居るだろうか。社名に“講談”の二文字がはっきりと記されているにも関わらず、講談と講談社の関連性について考えたことのある者がどれだけ存在しているのだろうか。……別に無頓着を責めようというわけではない。その事実を気付かせないほどに、講談は私たちの日常からかけ離れた演芸になっているということを言いたいのである。落語には日曜の夕方を代表するテレビ番組『笑点』があるが、講談には同趣向のテレビ番組が存在しないことが大きいように思う。演り手も非常に少ない。寄席演芸情報誌の『東京かわら版』が年に一度発行している「東西寄席演芸家名鑑」に掲載されている落語家の数と講談師の数を比較すると、その差は明白だ。……ここでわざわざ数えるような手間暇をかけるつもりはないので、その実態は直に確認してもらいたい。
そんな講談の世界に着目したシリーズ“新世紀講談大全”の第一弾である本作には、現在最も注目を集めている若手講談師・神田松之丞に迫ったドキュメンタリーが収録されている。松之丞がどうして今の時代に講談の世界へと身を投じようと決心したのか、彼の芸はどのように評価されているのか、これから講談の担い手として確固たる目標を抱いているのか、松之丞自身(或いは松之丞の師匠である神田松鯉)の声によって語られている。もちろん、高座もちゃんと収録されている。演じられているのは『違袖の音吉』『天保水滸伝 鹿島の棒祭り』『グレーゾーン』の三席。『音吉』『棒祭り』はいわゆる古典で、『グレーゾーン』は松之丞が自ら手掛けた新作だ。この堅苦しい演題から、時代錯誤の古臭い物語が展開するのではないかと想像した人も少なくないだろう。だが、それは間違った認識だ。確かに物語の舞台は古典的ではあるが、その内容は現代人であっても楽しめる普遍的なものである。
『違袖の音吉』は浪華三侠客の一人と称される“違袖の音吉”の幼少期を描いた演目だ。上方講談の連続物『浪花侠客傳』からの一席で、12歳の音吉が橋のド真ん中で衝突した大親分・源太源兵衛に噛みつく様子を演じている……と書くと、なんとも面倒臭そうな話に見えるかもしれないが、要するに世間から恐れられている親分に向こう見ずな子どもが啖呵を切る話である。この12歳の音吉の減らず口が非常に面白い。相手がどれだけの大物であろうが、脇差を抜こうが、真正面から勝負に持ち込まれようが、とにかく喋ることを止めようとしない。でも、理路整然としているわけではなく、しっかり慌てふためいているところが、また可笑しい。特に笑らせられたのは、大親分に脇差を抜かれて、対抗すべく自身の持ち物の中から窮地を脱するための道具を探す場面だ。大幅に脚色が施されているのだろう、それまでの流れから明らかに突出したバカバカしさだった。
続く『天保水滸伝 鹿島の棒祭り』は実在した侠客・笹川繁蔵と飯岡助五郎の争いを講談化した長編連続講談『天保水滸伝』からの抜き読みで、千葉道場の俊英だったが酒乱が故に破門となった剣客・平手造酒が笹川の用心棒となり、敵方である飯岡の用心棒と一戦を交えるまでの行程が語られている。用心棒同士が接近する様子がなんとも緊張感漂っていて、一般的に講談に持たれているイメージに近い演目だったが、これまた笑えた。しっかりと作り上げられた緊張感があるので、それが緩和される瞬間、何とも言えない面白味になるのである。飯岡の用心棒を切ろうと剣を構えた平手の目の前に謎の人物が飛び出してくる、あの絶妙な間が実にたまらない。確かな手腕に裏打ちされた冒頭の宣言も含め、非常に満足感の残る口演であった。
しかし、本作で最も多くの人たちに観てもらいたい演目は、三席目の『グレーゾーン』である。物語は二人の平凡な中学生・吉田と柿元のやりとりで幕を開ける。彼らは昼休みになると、いつも大好きなプロレスの話で盛り上がっていた。とはいえ、プロレスの話をするのは吉田ばかりで、柿元はそれを聞いて驚くだけの聞き役に徹していた。そんな二人のプロレス談義に水を差そうとする連中もいたが、彼らは……もとい吉田は理屈で言い負かした。吉田はプロレスを信じていた。そんなある日、一冊の暴露本が世に出回ることとなる。プロレスの舞台裏を明かしてしまったミスター高橋の『流血の魔術 最強の演技』である。この本の登場によって、吉田は学校から居場所を失ってしまう。そして彼は、口先だけで生きていける世界へ飛び込むことを決意する……。白とも黒とも分からない曖昧な領域、グレーゾーン。それを外から見ている私たちの勝手な願望と詮索、その中で生きている人たちの葛藤と苦悩、両方の角度から切り取った見事な一席だ。プロレス、大相撲、落語を絡めた少しマニアックな情報も、この物語に厚みを加えている。これは演者の努力ではなく制作側の話になるが、分かりにくい小ネタに解説テロップがついているのも有難い。テレビのようにスタッフの自尊心が垣間見えるような派手なテロップではなく、空気を崩さない程度の違和感無い演出に留めている配慮が素晴らしい。極論、本作はこの演目を記録するためだけに存在していると言っても、過言ではない。それほどに魅了された。熱量に飲み込まれた。後半、やや内輪ネタに偏っているが……それでも十二分に面白い。
講談は古い。そんなイメージがあるのは百も承知だ。でも、一つ思い切って、その敷居を越えてきてもらいたい。一歩、一歩踏み出すだけでいい。その一歩を踏み出す勇気があったなら、最初に本作を足掛かりにしてもらいたい。神田松之丞、1983年6月4日生まれの現代人が、現代の言葉でもって普遍的な笑いを含んだ物語を繰り広げている。これを観れば、きっと講談の世界の自由さに興味を抱くはずだ。いや、抱かなくてもいい。
本作は文字通り、必見である。
■本編【110分】
「神田松之丞インタビュー」「違袖の音吉(2014年5月10日・末廣深夜寄席)」
「神田松之丞インタビュー」
「師匠 神田松鯉インタビュー」
「天保水滸伝 鹿島の棒祭り(2015年2月14日・末廣深夜寄席)」
「神田松之丞インタビュー」
「グレーゾーン(2014年12月26日・神田連雀亭)」
「神田松之丞インタビュー」