白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

さらば愛しきスマホ

私の傍らでスマホが揺れている。

着信があるわけではない。人付き合いの良くない私と連絡を取ろうという奇特な人間は少ない。無論、メールが届いているわけでもない。とはいえ、スヌーズ設定にしているわけでもない。ただ延々と、ひたすらに延々と、再起動を繰り返しているのである。どうしてこのようなことになってしまったのか。

事の起こりは昨晩である。家族がインフルエンザに倒れ、自分も二の舞を演じないように早く眠って健康的に過ごさなくては……と、昼間のうちに強い意志を抱いていたにも関わらず、何故か午前一時半にベッドに潜り込んでいた私は、それでも来たる月曜日の到来に悲観していたのか、現実から目を背けるように、ベッド脇で充電中だったスマホを手に取った。その瞬間、違和感が訪れた。熱い。滅多に降らない筈の雪がそこいらの畑の土を真っ白に汚す極寒の冬を迎えていた香川県。確かに私の部屋も暖房機をガンガンブイブイいわせていたが、それにしても熱を持ち過ぎている。もし、水を浸した洗面器に放り込んでみたら、途端に蒸気で部屋をサウナにしてしまうだろう熱だ。

驚いて画面を見てみると、何も操作していないのに再起動の真最中。過去にも何度か経験した状況である。こちらの都合など知る由もなく、自由気ままに再起動してしまうスマホ。文明の機器とは思えぬ身勝手さ。ところが、どうも様子がおかしい。再起動が終わらない。再起動が終わり、トップ画面が表示されたかと思うと、そのまま即座に改めて再起動が開始される。それが終わると、また再起動。それが終わると、また再起動。それが終わると……そんなことが延々と続いているのである。どうも宜しくない。そこで私は、強制的に電源を落として、自主的に再起動を試みることにした。なんてことはない。家電にはよくある状況だ。ビデオデッキだって、パソコンだって、どんなに様子が悪くなってきたとしても、強制的に再起動するとどうにかなった。しかし、どれほど再起動しても、再起動する状況は変わらない。再起動に次ぐ再起動。延々再再起動に至り。こちらの言うことなど聞きゃしない。何がなんだか。

一年と数か月の付き合いとはいえ、日々を共に過ごしてきたスマホである。突然、言うことを聞かなくなってしまえば、こちらも不安にならずにはいられない。とはいえ、日曜の夜中である。もう数時間も経てば、憂鬱な月曜日が始まってしまう。心配していても仕方がないので、その日は穏やかに眠ることにした……のに、これがなかなか眠れない。午前四時ごろに目が覚めてしまったので、パソコンで対処法を調べてみることに。どうやら同様のケースに見舞われている人が少なからず存在するようだ。データ容量に余裕がないだとか、SIMカードの接触不良だとか、色々な原因が考えられるらしい。そこで、試しにSIMカードを引っこ抜いてみたのだが、どうも様子が変わらない。ついでにSDカードを抜いてみても梨のつぶて。どうにもこうにもならなかったので、これはもう覚悟を決めて、そのまま不貞寝した。

翌朝。仕事を終えた私は直ちに近所のケータイショップへ飛び込んだ。対応してくれたのはメガネをかけた女性だった。一見、少女のように溌剌としていたが、手や指のしわの深さが、年齢の積み重ねと経験の深さを感じさせていた。事実、彼女の対応はとても事務的で、まるで手練れのダンサーのように自然に状況を処理していた。結局のところ、私のスマホはやはりどうしようもなくて、電話帳から何から全てのデータを引き継ぐことも出来ないらしい。そのこと自体は大した哀しみではない。ただ、文明の利器たるスマートフォンの中には、あれだけ多量の情報が詰め込まれているというのに、こんなにもあっさりと失われてしまうのだろう……という空虚に見舞われてしまった。そして、それは人間も同じなのである、などと恰好つける余裕も見せながら。

現在、私の手元には二台のスマホがある。一台はケータイショップで借りた代替機。すぐさま中身を自己流に改装してしまいたい衝動に駆られるが、借り物だから返さなくてはならず、どうも躊躇してしまう。そして、もう一台は、相変わらず再起動を続けている私の愛機。どうにもこうにもエンドレス再起動。どのみち、二日後には新しいスマホが届くことになっているので、残り僅かの命である。それまでに蘇ってくれれば良いのだが、きっと無理だそうなあ。はあ、空虚。紛れもなく空虚。