白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

トイレについて一考察。

イオンに映画を観に来ている。過去形ではない。現在進行形だ。この文章を書いている私は、まさに今、今年買い換えたばかりのスマートフォンを駆使して、ここに連なる文字の一つ一つをイオンのトイレの中で打ち込んでいる。そう。私は今、トイレの中にいる。そこで腹の中に居座っている大便を排出せんと力んでいる真っ最中だ。額からは汗が噴き出し、両足は激しい緊張で硬直している。恐らく、トイレの外では、ごくごく日常的な風景が広がっているのであろう。本来ならば、私もその風景を彩る、一片のモデルに成る筈だった。だが、今の私はというと、実にみすぼらしく、惨めに、一畳ほどの密室の中で精神的に足掻いている。これまで、聖人君子とまではいかないにしても、真面目に慎ましい暮らしを全うしてきた私が、どうしてこのような目に遭わなくてはならないのか。……否、原因は判明っている。昨夜、週末だからと気が大きくなって、アルコール度数の強い缶チューハイを何本も飲んでしまったからだ。あと、遅すぎる昼食として、つけ麺の特盛(750グラム)を食べてしまったからだ。なんと愚かなことをしてしまったのか。

……と、ここまで書いたところで、トイレの外へ出た。便器の中に残された大便と呼ばれる悪しき存在は、私が想定していたよりも、小さくて惨めだった。このような矮小な代物が自分を苦しめていたのかと思うと、なんとも浮かばれない。男性用トイレから出ると、女性とすれ違った。男性用トイレを通過したところに女性用トイレがあるからだ。彼女は私を見て、少しだけ気まずいような表情を浮かべていた。仕方のないことである。これから個室で下半身を剥き出しにして体内の悪意を解き放とうとしていることを、身分の知れぬ男性に知られてしまったのだ。恐らく、男性よりも女性の方が、より強く気まずさを覚えることが多いだろう。男性の場合、女性とは違い、トイレにおいて下半身の全てを露出しない可能性があるからだ。決して第三者には知られたくない密室での秘め事を行わない可能性が。だが、だからこそ、男性は大便との戦争に対して、些かナイーヴ過ぎる感情を抱いている。下半身を剥き出しにすることに対して、並々ならぬ気持ちで挑んでいる。画して、学校の男性用大便トイレは、しばしば利用者と非利用者の紛争の舞台となってしまう。彼らは皆、大便器での行いを恐れ、恐怖し、不可侵の存在として崇拝している。その禁を冒したものは、もはや同胞ではない。それは裏切り者のユダであり、神をも恐れぬ鬼畜である。

……と、ここまで書いたところで、文章を考えることに飽きたので、この辺でネタを下げさせていただきます。ちなみに、観に来た映画は『レッドタートル』である。当初の上映時刻は午後五時半だったのだが、劇場側の諸事情により、午後七時半からの上映になってしまったので、上映時刻までもうしばらく時間がある。さーて、どうしたものか……。