白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

思春期の爆発は「ワンマンショウ」を開幕せざるを得ないのだ

恥ずかしながら、と申し上げるほど恥ずかしさを覚えてはいないのだが、今や自分の伸びしろの広さもなんとなく分かってしまっているアラサーでありながらも、文章を書く仕事をちまちまとやらせていただいているような私にも、小説家を志していた時代があった。そのために何をやったか、と、ここで敢えて書けるようなことは何もしていない。テキストサイトで自己満足を具現化しただけのような駄文を書き殴っては、それを発表している自分に泥酔していただけである。夢と呼ぶにはあまりにも烏滸がましい態度だった。仕方がない。十代の頃の話である。それでも、そこで文章を書く快感を覚えたのか、未だに文章を書き続けている。当時と変わらず、自己満足のような駄文である。それでもたまに第三者から反応を頂けるので、幾らかはマシになっているのかもしれない。

その頃の自分と今の自分は間違いなく直結している。だから否定するつもりはない。自分の振り返りたくない恥じた歴史のことを「黒歴史」と自虐的に語る風潮があるが、その当時の自分も今の自分も同じ自分だろうに、何を達観したかのような顔で語っているのか。無論、今よりもずっと稚拙でみっともない文章を書いていたのは確かで、それを赤の他人に掘り返されて、今の自分のことしか知らないような方々に広められるのは大変に恥ずかしいことである。だが、その時代の自分がなければ、どう考えても今の自分は存在しなかった。変わったところはあるだろうが、完全に消えることなど有り得ない。あれはあれで良かったと、自分だけは認めなくてはならないのだ。

LITTLEの「ワンマンショウ」を聴くたびに、当時の自分を思い出す。

平凡な日常生活を歩んでいる人が、心の中で抱いている晴れ舞台への渇望と苦悶を語り上げている『ワンマンショウ』は、その頃の私を見事に表している。平凡な日々、変化のない日常、それでも確実に過ぎていく時間。世に出ていく人たちの輝かしいエピソードに憧れと苛立ちを覚え、そこに辿り着けない自分自身にも腹が立ち、色んなことにウンザリしていたあの頃。この頃の感情は今ではすっかり鳴りを潜めている。だが、いなくなったわけではないだろう。先述の通り、当時の私と今の私は直結している。まだまだ、まだまだだ。

2021年10月の入荷予定

27「HANACONTE +

もうすぐ10月です。つまり、今年も残すところ、あと三ヶ月ということになります。しかし、この事実に違和感を覚えてしまうのは、私だけでしょうか。精神的には、まだ半年ぐらい残っているような気がしています。心を初夏に置きっぱなしにしたまま、秋を迎えるのです。こうして心と現実の時差が広がっていくことで、人はいつまでも自分が若いままだと勘違いしてしまうのかもしれません。年相応に生きたいものです。

そんな10月のラインナップは些か寂しいものとなっております。コロナ禍の影響もあるのでしょうが、この状況下で都市部でのライブイベントが配信されるシステムが出来上がったことも大きいような気がします。ソフト化が見込めないライブでも気軽に視聴できる時代。地方民には有難いですが、コレクター的には寂しいものがありますね。

リリースされるのは、ハナコYouTubeチャンネル「ハナチャン」で公開されているコントが100本を超えたことを記念してリリースされるベスト盤。これまた今の時代ならでは作品ですねえ。かつて、ネタ番組の中で演じられた漫才・コントのベスト盤、既存のネタを再演したライブの模様を収録したベスト盤はありましたが、YouTube映像のベスト盤というのは初めての試みなのでは。特典映像や副音声コメンタリーもあるようです。YouTube主流の時代における新たなリリース形態と成り得るのか、注目です。

東京で生きることの自由と凋落を描く「君は東京」

生まれてから高校を卒業するまでずっと実家に住んでいて、通っていた大学も広島県の中心地から少し離れたところにあって、大学卒業後は実家にとんぼ返りするというような人生を歩んできたため、いわゆる都会暮らしを経験していない。だからなのか、東京あるいは大阪に漂う、都会の雰囲気に強い憧れを抱いている。アラサーからアラフォーと呼ばれる年齢になっても、その憧れはさほど薄れていないから驚きだ。とっくの昔に地元で生きる覚悟を決めたつもりだったのだが、心の底では都会での暮らしを求めている。困ったものだ。

田舎と都会の最大の違いは選択肢の多さにある。気になる料理、気になる音楽、気になるファッション……それらを身近で手に入れることの出来る環境そのものに価値がある。選択肢が多いということは、それだけ多様な表現を理解してもらえる環境であるともいえる。田舎であれば「出る杭」として白い目で見られるようなことも、多種多様な人間が暮らしている都会の街並みはすべて飲み込んでしまう。だが、だからこそ、田舎での生活に馴染んでいる一部の人間は、都会に対して強い苦手意識を抱いている。親族の繋がりが脈々と受け継がれ、近所の人間から「〇〇さんのところの子」というように認識され、余程のことがない限りは村八分にされることもない田舎の環境に対し、都会は徹底的に個人主義だからだ。田舎だからこそ得られる赦しが都会にはない。

ゆずの『君は東京』は、そんな都会の姿を軽やかに歌う名曲だ。

序盤では高校卒業後に一人暮らしを始めた女の子の同級生の軽やかな生きざまを歌っているが、曲が進むごとに不穏な空気が立ち込めるようになり、最終的には“訳の分からないクスリにはまって病院を行ったり来たりしてる”ことが明らかになる。作詞を担当している北川悠仁が神奈川県出身であることをそのまま飲み込んでしまうならば、この曲で歌われている彼女も神奈川から東京に出てきた人間なのだろう。そんな彼女のことを北川は“東京の人”と歌っている。この歌詞が事実であれ虚構であれ、彼女は北川にとっての東京を体現した存在なのである。

この曲の構成にショックを受けて、私は今でも田舎で暮らしている……と、断言するのは些か大袈裟だが、自分が田舎を捨てて東京ないし大阪へと出ていきたいとする気持ちを抑え込む要因の一つにはなっていると思う。都会は恐い。おそろしい。

ファーストサマーウイカが感銘を受けたコント。

2021年9月6日放送の『ファーストサマーウイカオールナイトニッポン0』に、3時のヒロイン・福田麻貴がゲストとして出演していました。

以前、3時のヒロインとして『霜降り明星オールナイトニッポン0』にゲスト出演した際には、お互いにやりたいことが上手く嚙み合っていなかったからなのか、あまり良い結果を残すことが出来なかった福田さん。この時の記憶があったため、今回のゲスト出演にも微かに不安を感じていましたが、いざ蓋を開けてみると、これがまったくの杞憂に終わりました。

同じ大阪府大阪市出身で同世代の二人による掛け合いは、まるで十年来のコンビであるかのように軽妙洒脱。時にはかなり明け透けな内容になりながらも、厭らしさがまったく後に残らない、実に爽快感溢れるトークを繰り広げていました。相手を立てながら、しれっと懐に入り込むウイカさんのトーク術によるところも大きいのかもしれません。トリオのリーダーとして笑いに厳しい態度を見せる普段の福田さんとは違った、とてもリラックスした表情を引き出していました。ちなみに、福田さんの自慢は空手で鍛え上げたウエストと、ウイカさん曰く「チャクラを感じる」お尻とのこと。ご査収ください。

そんな二人のトークの中で、ちょっと意外な事実が発覚したので、記録しておきます。

きっかけとなったのはリスナーから福田さんへと寄せられた質問メール。「多忙の中、いつネタを作っているのか知りたいです」。実は「やらな作らんな」という理由から、月に一度のペースで単独ライブを開催している3時のヒロイン。そうやって自分で自分の首を絞めながらネタを書き続けているのだそうです。この流れから、話は「ウイカはネタ作らんの?」という流れへ。当初は「芸人ちゃうわ」と冗談半分の返しをしていたウイカさんですが、「作られへんねん。産めない」「自分の曲でさえも作れない」「自分がオモロいって思ったことをさ、「これオモロくないですか?」って言って見せるわけやろ?めちゃめちゃコワいやん、それ!」と、徹底してプレイヤー志向であることを語っていたのは些か興味深かったです。少なくとも、今は自分で表現したいことが何もないということなのでしょうか。

そして、以下のやり取りへ。

福田「もし、誰か芸人と、なんかコンビ組んで、テレビでなんか、ネタやりますーってなったら、誰としたい?」
イカ「えーっ……ギース?」
福田「えーっ、ザ・ギースさん?に、入るってこと?」
イカ「分からへんけど、なんか、テンポ(で名前が浮かんできた)?」
福田「意外やなあ。関西人ちゃうねんな、そこは」
イカ「いや私、なんか一番……なんか好きやったネタが、ザ・ギースさんで。触った物の名前全部言うてしまう……「机」「カバン」とかって言うてまうみたいな。それに感銘を受けてん。「なんでこんなネタ浮かぶん!?意味分からん!」て思って。そういうものに惹かれる。だから「自分がやったらオモロい!」は多分そっちじゃないねんけど」
福田「自分の中に無かったものに、感銘を受けた」
イカ「そうそう、感銘を受けただけ」

バリバリの関西人同士によるやり取りが繰り広げられている最中、突如としてゴリゴリに関東芸人のザ・ギースの名前が飛び出して、何も考えずに聴いていた私はビックリしたのでした。否、確かに、人間は自分の中にないものに対して、ある種の憧れを抱くものです。関西人で喋りが達者なウイカさんにとって、関東色の強いナンセンスなコントを得意とするザ・ギースはまさに対極の存在。その初見での衝撃は想像に難くありません。

ちなみに、ここでウイカさんが「感銘を受けた」と説明していたネタは、ザ・ギースの最初期のコント『手は口ほどに物を』です。コンビ結成10周年を記念してリリースされたベスト盤『ザ・ギース コントセレクション「ニューオールド」』に収録されています。企画の打ち合わせの場に現れた人物が、手で触れるものの名前を全て口に出してしまうクセがあるために、打ち合わせがまったく進まない……という設定のコントです。

今回の発言を受けて、久しぶりにDVDを再生してみたのですが、やっぱり面白かったですね。「手で触れたものの名前を全て口に出してしまう」というコントの肝はかなり序盤で明らかになるのですが、この設定を踏まえた上であちこちにバラ撒かれたボケのバリエーションが豊富で(シンプルなボケから言葉遊びまで実に多様)、最後までまったく飽きさせません。特に「ふとももは、胸板ですから!」のくだりは、なんか面白いですよねえ。突出して面白いことを言っているわけでもないんですけどねえ。なんなんですかねえ。

今回の放送でのファーストサマーウイカさんの発言をきっかけに、ザ・ギースのコントに興味を持ってくれる人が増えると嬉しいですね。もっとも、今のザ・ギースのコントは、この当時に比べて若干方向性が違ってきてますけれどね。そこも踏まえて楽しんでもらえると有難いです。

「キングオブコント2021」決勝進出者決定!

【三】うるとらブギーズ(昨年10位)
【初】蛙亭
【三】空気階段(昨年3位)
【初】ザ・マミィ
【初】ジェラードン
【初】そいつどいつ
【初】男性ブランコ
【二】ニッポンの社長(昨年同着5位)
【二】ニューヨーク(昨年2位)
【二】マヂカルラブリー

アルコ&ピース、おいでやすこが、霜降り明星、チョコンヌ(チョコレートプラネット×シソンヌ)などなど、個性豊かな面々が出場したことで話題になっていた今年のキングオブコントですが、フタを開けてみると、とても渋いメンバーになりましたね。良くも悪くも例年通りで手堅いラインナップといったところでしょうか。初登場が五組、ファイナリスト経験者が五組というバランスも良いですね。新しい時代のうねりのようなものを感じさせます。そんな中、鈍い光を放っているのは、昨年のM-1王者・マヂカルラブリーM-1とR-1を制覇した野田クリスタルは果たしてKOCの栄光もその手中に収めてしまうのでしょうか。……可能性がゼロじゃないってところがたまりませんね。

優勝候補はやはり昨年2位のニューヨークと昨年3位の空気階段でしょうか。昨年大会では、どちらもキングオブコントで勝ち上がるための方程式を明確につかんだかのように「評価されるためのコント」を作り込んでいましたが、今年はどのような戦い方を見せてくれるのでしょうか。ただ、どちらも既に手の内を明かしているという意味では、まだまだ底知れないニッポンの社長の方が可能性を秘めているといえるのかもしれませんね。記録よりも記憶に残るコントを見せていた彼ら。今年は記録を残したいところ。昨年大会は10位、一昨年の大会は2位と評価の上がり下がりが激しいうるとらブギーズは、今年こそその真価を見せつけなければ、一昨年の評価がまぐれ当たりだといわれそうな雰囲気。実力者としての手腕を如何無く見せてもらいたいですね。

初の決勝進出者はいずれも名だたる実力派ばかり。アヴァンギャルドなコントが多くのお笑いファンに衝撃を与えた蛙亭ハナコゾフィーかが屋に続く最後のコント村村民ザ・マミィ、シンプルでバカバカしいキャラクターコントは一度見たら忘れられないジェラードン、松本竹馬のキャラクターが妙に先行しているがコント職人としての腕に間違いはないそいつどいつ霜降り明星コロコロチキチキペッパーズ・ZAZYといった天才型芸人たちを同期に持つ静かなるコント職人・男性ブランコ。特に男性ブランコラーメンズに影響を受けているコンビらしいので、個人的にはとても期待しております。あまりネタを見たことがないので、そこだけで期待しております。今はもうラーメンズが好きっていうコンビを見るだけでちょっと目頭が熱くなってしまう状態なので……(察しろ)。

以上の十組による激戦、今から楽しみですねえ。

リハビリコント雑談:イッセー尾形『生物教師』

お盆休みの連休中、酒浸りになっていた後遺症なのか、心の様子がどうも宜しくない。具体的にいうと、何もやる気が起きない。ふと、「ブログを更新しよう」と思い立ったとしても、なかなか重い腰を上げることが出来ず、気付けば何もしないままに真夜中が訪れる。そんな日が何日も続いている。

このままでは心身ともに腐ってしまいかねないので、今日はなんとかかんとか心と体を動かして、ブログを更新してみようと思う。毎度お馴染みのリハビリテーション更新である。出来不出来に関わらず、とにかく更新するのである。しかし、ブログを更新しようと心に決めたところで、肝心の本文に何を綴るかが決まっていなければ、どうにもこうにも仕様がない。そこで、最近ふっと思い出したイッセー尾形の一人芝居『生物教師』を久しぶりに視聴して、思ったことをアトランダムに書いてみることにした。

イッセー尾形の『生物教師』は2004年に上演、翌年3月にリリースされた『イッセー尾形 ベストコレクション2004』に収録されている。当時、イッセーの舞台は定期的にソフト化されていて、レンタルビデオでも氏の公演を収めたVHSをよく見かけたものである。今現在もイッセーは一人芝居を続けているが、それらの舞台はソフト化されていない。この世の何処かにいそうな人の姿を描写する芸は、アーカイブを残してこそ、その希少性を感じさせられるものだと思うので、とても惜しい。

『生物教師』では、生徒たちに真に迫った生物の授業をするために、ノラネコを解剖したことが教育委員会にバレてしまい、大問題になってしまった生物教師による最後の授業の様子が描かれている。冒頭から、ノラネコを解剖したことに対する生徒たちに対する謝罪で始まるのだが、そこに反省の念は感じられない。ただ、やらかしてしまったことへの後悔と、これからどうなるか分からないが故の自暴自棄が繰り返されている。『生物教師』は、教師が思い描いている理想の授業と、それを間違っていると認められない現実の狭間で、ゆらゆらと揺れ動いている様が面白おかしく描かれている。

笑いの構成としては、序盤でフリとなる言動を提示して(ネコを解剖した手を眺めて「この手がなぁ~!」と後悔する、などのような)、その言動に繋がる展開を随所に散りばめたものが主。手の話になるたびに「この手がなぁ~!」と後悔の念に駆られるところで、大きな笑いが生まれている。いわゆる天丼と呼ばれるオーソドックスな手法だが、心の底では反省していない生物教師のキャラクターとの相性があまりにも良い。自分の立場を忘れて、生徒たちの前で持論をあけっぴろげに展開しているところで、急に現実へと引き戻される姿がたまらなく面白い。

この生物教師の考え方が正しいかどうかは分からない。教育のためであっても、誰にも飼われていないノラネコだとしても、殺すべきではないという人間もいるだろう。だからこそ劇中でも教育委員会から問題視されている。だが、それならば、金魚ならばいいのか、という話にもなる。生命の重さとはなんなのか。……そこまで重たいテーマを背負っているわけではないだろうが、そういった不明確な論理が見ている側にも備わっているからこそ、この教師の無反省と後悔の狭間を揺れるような振る舞いが、笑えるのだろう。どちらの意見もよく分かる。もっとも、世の中には「ネコはいたほうがいい」「ホームレスはいないほうがいい」と主張する人もいるようなので、そういった人には笑えない演目なのかもしれないが。

(まったくの余談だが、インターネット上における形骸化した「猫絶対主義」みたいな思想は個人的に好きではない。一昔前のテレビは「子どもと動物と健康ばっかり」と批判されていたが、それと同じ道をインターネットも辿っているようである)

ちなみに、この『生物教師』がどのような処分を受けたのかは、明らかにされていない。この授業の後、教育委員会と話をして、対処が決定する……というところで幕を下ろすからだ。ただ、教師はもはや分校に飛ばされることを覚悟しているようで、「分校行って、何から解剖してやろうかな!」と生徒たちに見栄を張りながら教室を出ていく。とことん人間臭い、だからこそ愛おしい。

2021年9月の入荷予定

01「NON STYLE LIVE 2020 新ネタ5本とトークでもやりましょか
08「情熱大陸×和牛
22「best bout of hiccorohee」(ヒコロヒー)

どうも、すが家です。お盆休み中にはしゃぎすぎた影響なのか、八月の更新は色々と滞ってしまって、申し訳ありませんでした。九月はきちんと“コント地獄”の更新を再開できるようにしたいと思います。……別に、当ブログのメインコンテンツってわけでもないんですけどね、アレ。でも、ああいう記事の定期更新を止めたら、もう何もやらなくなってしまいそうな不安があるんですよね。なんとかかんとかやっていきます。そんな九月のラインナップは以上となります。説明する気力がないので、詳細は各自でお調べください。……何気に松竹は女性ピン芸人のDVDを頻繁にリリースしますね。有難いことです。では、また。

こんな夜にお前に乗れないなんて

雨上がり決死隊が解散した。

正直、それほど思い入れのあるコンビではない。コンビとして注目を集めるきっかけとなった『めちゃイケ』や、ガレッジセール・DonDokoDon小池栄子とともにしのぎを削った『ワンナイ』の放送はたまにチェックしていたが、注目するほどの魅力を彼らに感じなかったからだ。雨上がり決死隊にとって初の冠番組である『アメトーーク』についても、その興味の対象となったのはあくまで毎回のテーマやトークゲストに限り、進行役である二人に対してはこれといって深い感情を抱いてはいなかった。

そのため、コンビが解散するというニュースを目にしたときも、特に感情を揺さぶられることはなかった。闇営業問題の発覚からおよそ二年、宮迫と同じイベントに参加していた他の芸人たちが次々に活動復帰を果たしている最中、コンビとしての話をまったく聞かなかったことも(たまに会って話をしている、と蛍原が話しているところを目にしたことはあったが)、心を動かされなかった理由なのかもしれない。

しかし、『アメトーーク』の形式で解散報告会を行い、その模様をネット上で配信するという攻めた企画には惹かれた。お笑いコンビの関係性は人生のパートナーという意味において夫婦に似ていて、だからこそコンビ間に起こった問題はセンシティブで、第三者には触れづらいものになりやすい。それをテレビのフォーマットを使って大々的にお披露目するのである。雨上がり決死隊と『アメトーーク』の信頼関係があってこそのことといえば聞こえはいいが、はっきり言ってイカレている。根っからの野次馬気質である私に、これを見ない手はなかった。

午後八時、『アメトーーク 特別編 雨上がり決死隊解散報告会』配信開始。

配信はおよそ二時間に渡って行われた。序盤の十分ほどは雨上がり決死隊の二人だけでトーク、それから番組に関わりの深いゲストたちを招いてのトークコーナーへ。ゲストとして登場したのは、東野幸治出川哲朗ケンドーコバヤシ狩野英孝FUJIWARA原西孝幸藤本敏史)。進行役はテレビ朝日松尾由美子アナウンサーが務めていた。基本的には、今回の解散を受けて、それぞれが感じたことや疑問に思ったことなどを、二人に対してぶつける時間になっていたように記憶している。

興味深いのは、解散を切り出したのは蛍原の方だったという話である。当初、蛍原はコンビとしての活動を再開させようと考えていたようだが、宮迫がYouTubeをやり始めたあたりから「価値観、方向性のズレが大きくなっていったような」気がしてきたという。特に大きかったのは、YouTubeを始めた時期。亮が芸能活動を再開させることを公表したロンブーの記者会見の前に始めたことが、とにかく引っ掛かっているのだという。そもそもYouTubeを始めることも事後報告で、その話を聞いたときにはもはや後戻りのできる状況ではなかったそうだ。

これに対し、宮迫は「消えてしまった方がいいのかな」と思い詰めていたところに「YouTubeっていうのはどうだろう?」と提案され、復帰の記者会見をすることは聞いていたので、チャンネル開設は絶対にそれ以降にしようと考えていたのだが、YouTubeをやらせてもらっている立場やコラボ相手との兼ね合いもあって、ずらせなくなってしまった結果、良くない時期での開設になってしまった……とのことらしい。よく分からない。記者会見の時期を知っていたのであれば、その時期以降にチャンネル開設するようにスケジュールを組めばいいだけの話ではないのだろうか。もっとも、そこまで頭が回る状況ではなかったのかもしれないが。解説に至るまでの流れだけを聞いていると、心身ともに弱っている人をターゲットにするカルトの勧誘のように見えなくもないが……現状、動画が評価されているのなら、それはそれでいいのかもしれない。当人にとっては。

ただ、イマイチよく分からなかったのが、コンビ解散が決定した今でも宮迫が蛍原の隣を目標としていると話していた点である。これに関してはまったく意味が分からない。どうしてコンビを解散することになってしまったのか、どうしてコンビ解散という重大な事件を『アメトーーク』が地上波放送ではなくネット配信で世に出したのか、この状況が指し示していることを理解していないのではないか。「ひな壇からやり直す」という話をしていたように記憶しているが、そのひな壇とやらは誰が何処に用意してくれるのだろう。万が一にも、ひな壇が用意されたとして、その司会を蛍原が務めるなどということは有り得るのだろうか。可能性はゼロではないだろうが、些か楽観的過ぎやしないだろうか。

配信終了後、据わりの悪い何かが引っ掛かっているような感覚を覚えながら風呂に入り、三十分ほどで出てから、午後十一時から松竹芸能ピン芸人・みなみかわが定期的に配信している『踏み台TV』を見た。ゲストにあぁ~しらきが登場し、とてもテレビでは出来ないであろう危なっかしいトークを展開していた。二人で笑っていた。