白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

無題。

ちょっとムカッときたので記録。

2014年に、どぶろっくのネタについて、

「どぶろっくがこんなに老若男女に大人気なのは、痴漢などの性犯罪に関する知識が日本の世の中に浸透していないことの表れ」

「どぶろっくを笑う世界」には、痴漢などの性暴力は存在しないことが前提になっている。同じ世の中にそういった被害は実際にあるのに、その被害とどぶろっくは別々のものと認識されていて、観ている人たちの中で、まったくつながっていない。

「社会全体が「女性に対しての侮辱」に対して徹底的に鈍感なことが、どぶろっく流行を力強く支えている」

と書いていた漫画家の田房永子氏が、今年になって、

「どぶろっくは痴漢の『膜』の中のストーリーを分かりやすくユーモラスに歌い上げている。すごいな、と思った」

と表現を柔らかくした上で、この2014年のテキストに対して向けられた批判について、

「私は、どぶろっくのネタは観客が“ヤバい男の妄想”を聞いて「んなわけねーだろ笑」「バカじゃないの笑」という呆れ笑いがこみ上げる芸だと思っていたけど、どぶろっくが歌っているのは「あるあるネタ」だとドメンズは言う。だから、そのあるあるネタを痴漢の心理だと言うことは、「一般男性はみんな痴漢と同じ」と言っていることになるというのである」

と振り返っていて、この人は信用できないなと再認識させられた。アクセス数に貢献したくないのでリンクは貼らないので、気になる方はテキトーに調べてみてください。

当時、田房氏のテキストが批判されていたのは、どぶろっくの『もしかしてだけど』の歌詞の世界と痴漢をする人間が作り出している自分の世界が似通っていると比較するだけでなく、前者が「空想」*1で後者が「妄想」*2であるにも関わらず、単なる空想の域を出ていないどぶろっくのネタが評価される世間そのものを批判したためだ。

それ故に、他者に害を与える可能性のある「妄想」ではなく、あくまでも頭の中だけで色々なことを想像する「空想」を是とする人たちに批判されていたのに、そのことを全く理解しようとしない。だから「一般男性(俺)を痴漢と一緒にするな!」と言われているのに、「どぶろっくが歌っているのは「あるあるネタ」だとドメンズは言う」を認識を歪めている。この“怒男(ドメンズ)”という揶揄もみっともない。率直に言って不誠実ではないか。

ちなみに、どぶろっくのネタ(※『もしかしてだけど』のこと)は、日常の風景における女性たちの姿を描写(フリ)して、観客が思いもよらない理由を提示して自分に対して思いを寄せているのではないか?と歌い上げる(オチ)ことによって生じる、意外性の笑いである。系統としては、まったく別々の言葉の予想外な接点を提示する掛け言葉、堺すすむの『なんでかフラメンコ』、オリエンタルラジオの『武勇伝』に近い。ヤバい男の妄想ネタという意味では、むしろ天津木村の『エロ詩吟』の方を例に挙げるべきだろう。

あと、芸人が想像した意外性のある行動を実際に取っている人間がいて、それについて「想像が足りない」「現実を分かっていない」という批判があったとすれば、それは逆だからな。意外性のある行動を実際に取っている人間の方がヤバいんだからな。なんでヤバいやつに合わせて芸人側が表現を控えなくちゃならないんだ。むしろ、芸人がそういうヤツを演じて、観客が笑っている時点で、そいつの方がアウトローだって世間が認めてるってことなんだからな。よろしく頼むよ。

以上、終わり!

*1:現実にはあり得ないような事柄を想像すること(デジタル大辞泉

*2:根拠のないありえない内容であるにもかかわらず確信をもち、事実や論理によって訂正することができない主観的な信念(デジタル大辞泉