令和時代のお笑い公論

心が壊死する、その前に。

「M-1グランプリ2018」(2018年12月2日)

・司会

今田耕司上戸彩

・笑神籤引き手

井上尚弥/阿部一二三/吉田沙保里

・審査員

オール巨人中川家・礼二/ナイツ・塙/立川志らく
サンドウィッチマン・富澤/松本人志上沼恵美子

【FIRST ROUND】

・見取り図

「彼女が欲しい」。結婚を前提とした彼女が欲しいという盛山に、リリーが色々とアドバイス。【彼女が欲しい】という大まかなテーマを【女の子を紹介する】【ファッション指南】【心に余裕がある男】の三パートに区分して展開、要所に【ヘンな通称で呼ぶボケを、少し流してからツッコミで処理する】【架空の名前を自然に出すというボケを、後からツッコミで回収する】構成を盛り込むことで、各パートの継ぎ目をぼやかしている。とはいえ、それぞれのパートの方向性がまるで違っているため、やや統一感に欠ける。肝となっているのは、リリーの不可解なボケに対して繰り出される、盛山のボケの真意を切り取るツッコミ。冒頭の「豚まん」に対する「豚はええわ! 勝手に包むな!」に始まり、「ジャンボ勾玉」「ししゃも」「女子中学生」と続き、最終的に「あたおか(=頭おかしい)でしたー!」へと着陸する流れが絶妙。ただ、リリーのボケをじっくりと咀嚼している時間の長さを思うと、もう少しツッコミとして強いワードが欲しいと感じられる場面も。これからの一年間、どれほどワードセンスを磨けるかが勝負どころだろう。

 

スーパーマラドーナ

「恐怖の隣人」。お隣さんと仲が良くて、先日も自宅に上がってもらってカレーを振る舞ったという田中に、武智が「もしもそのお隣さんがいい人のフリをして実は恐ろしい人間だったとしたらどうなるか」というシミュレーションを行う。彼らが得意とする「ヤバい行動を繰り広げる田中の一人芝居に、武智が第三者の視点からツッコミを入れる」スタイルではなく、武智演じる危険な隣人の行動を自由奔放に立ち回る田中が次々に打ち破っていく様を描いたストレートな漫才コント。隣人を家に招き入れた田中が、ドアを大きな音を立てて閉め、一気に複数のカギをかけていくコントの導入が素晴らしい。丁寧な描写とメリハリのきいた演技に、これから田中が危険な隣人と対峙するに相応しい不気味な活躍を見せてくれるのではないかと期待させてくれる。そして、それは少なからず実行されている。包丁でちょっと刺したり、何も面白くないギャグで煙に巻いたり、首を絞められながらも隣人を喜ばせるために苦しんでいる表情を強調してみたり。ただ、隣人が田中を移動させようとするあたりで、漫才としての表現の範疇を少し超えてしまったように感じられた。田中を移動させようにも、センターマイクから過剰に離れられないことを誰もが知っているからだ。加えて、田中がクイズを出し、シンキングタイム中の不可解なダンスで強引にコントを終わらせてしまったのは、少なからず不誠実に感じた。「人生で一番大事な舞台やぞ!」という埃にまみれたメタなツッコミを挟み込むぐらいなら(こういうワードはHi-Hiぐらいに苦汁をなめているコンビが使ってこそ映える)、きちんとコントにオチをつけるべきである。最後に余談だが、過去の演目でも描かれていた田中の得体の知れない雰囲気を対比して強調するためなのだろうとは思うのだが、強面でガタイの良い武智が好意的な隣人を装ったサイコキラーという繊細な役を演じていることに、そもそもの違和感が。そのことがネタの面白さに影響はしていなかったとは思うが、他の芸人が演じた方がより面白くなったのでは。

 

かまいたち

「ポイントカード」。もしも過去に戻って一つだけやり直せるとしたら何をしたいか?と仮定の話を切り出す濱家に、山内は「コンビニのポイントカードを作りたい」と断言。その理由を説明するのだが、濱家には「もったいない」と納得してもらえない。「ポイントカードを作りたい」というタイムマシンを使ってまで叶えるほどではない山内の願望に濱家が異議を唱え、やがて口論へと発展するしゃべくり漫才。前半は山内がボケ役となって進行。的外れとまではいかないにしても、やや非常識な論理で願望の根拠を述べていく。しかし、濱家が自身の願望を告白したあたりから、形勢は逆転。山内の反論をきっかけに、どちらが本当にもったいないのか、天秤が大きく傾き始める。それに焦りを感じたのか、とうとう濱家は無理矢理にでも山内を言い負かそうと、妙な揚げ足取りをし始めてしまう。この瞬間、ボケ役とツッコミ役の立場が逆転してしまう。この流れがとてもスリリングで気持ちいい……のだが、一方で、2005年のM-1ブラックマヨネーズが披露していた漫才を思い出してしまう。そして、ブラマヨの漫才に比べて、かまいたちの漫才は強度に欠ける。話の軸となっている部分とは無関係な、山内のギャグを随所に散りばめているためだろう。それをきっかけに笑いは起きるが、話の密度は薄くなる。また、あまりにも掛け合いに熱が入ってしまったためか、終盤のやり取りが聞き取りづらくなってしまっていたことも気になった。おかげで、いきなり山内が『スリラー』の動きをし始めた理由が分からず、ちょっと戸惑ってしまった。あそここそが、もったいない。

 

ジャルジャル

「国名分けっこ」。福徳が小学生のころにやっていた「国名分けっこ」という遊びを、実際にやりながら後藤に説明する。基本的には、一般に知られていない遊び(という体のオリジナルゲーム)を心から楽しんでいる福徳と、そのはしゃぎぶりに振り回されている後藤の掛け合いで展開している。ボケとツッコミの関係性を作り上げることで、二人がともに楽しんでいる様子を描いていた『ピンポンパンゲーム』(「M-1グランプリ2017」決勝戦で披露)よりも漫才としてより分かりやすい。改良点といえるだろう。肝となっているのは、後藤が繰り出す「(イン)ドネシア」「(アル)ゼンチン」「(アルゼン)チン」のイントネーション。由来は説明されているが、単体ではまるで意味を持たない不可思議な言葉を、後藤が独特のイントネーションを崩さずに何度も何度も口にすることで、その面白味を観客に強く根付かせる(途中、別の単語を挟み込むことで、いわゆる“天丼”の面白さも掛け合わせている)。このイントネーションの面白味は、それぞれ別々にクローズアップされていた「インドネシア」「アルゼンチン」の両方を取り入れた複合ステージで爆発する。ベタだが確実な構成だ。しかし、ここで漫才は、福徳が「レベル上げるでぇー!」と宣言し、これまで一つずつだったフリの言葉(「イン(ドネシア)」「アル(ゼンチン)」の部分)を「アル、アル、アル、アル」と後藤を徹底的に振り回す展開へと舵を切る。これまで注目されていたイントネーションの面白さを一時的に停止し、同時に進行していた二人の掛け合いの面白さを重点的に見せる。漫才としての本分をそして最後に、言葉がこびりついた結果として、福徳のしょーもないダジャレオチとして「ゼンチン」「ドネシア」が復活、白熱の漫才の幕が下りる。ジャルジャルが大切に守ってきたセンスの面白さを提示しながら、コンビとしての掛け合いを見せることで漫才としての矜持も見せつける。なんという驚異のバランス感。ジャルジャルというコンビの天才的な発想とテクニックを見せつけた傑作だ。

 

ギャロップ

「コンパの代役」。知り合いに頼まれて参加する予定だった四対四のコンパに行けなくなってしまった毛利が、林に代役を頼み込む。チビ・ハゲ・デブの中年男が一般的にどう見られているかを自覚しているからこそ申し出を受け入れようとしない林に対し、それでも徹底してコンパの代役を頼み続ける毛利の考え方の違いによって生み出される掛け合い漫才。二十代の若い男女のモデルが揃うコンパに林が放り込まれるという画が醸し出す違和感は想像に難くなく、その意図を観客も共有できている。だからこそ、序盤はしっかりとウケている。しかし、漫才が進むごとに、笑いの量は明らかに減っていく。「同じ人間なのに」「妖怪やないか」「すいません、ごちそうさまでした」などのフレーズはピンポイントでウケているが、その笑いが継続しない。思うに、それがM-1で勝負するタイプの漫才ではなかったためだろう。四分という制限時間が掲げられているにも関わらず、じっくりと間合いをとって会話を重ね、しかし話の内容が大きく展開することもなければ、独創的なボケで笑いの渦に巻き込むこともない。審査員の塙の「M-1の四分の筋肉が使い切れてなかった」というコメントに尽きる。観客のコンセンサスが取れてない設定だとか言われているが、そんな大げさな話じゃない(ただ、四分を体感している観客が、なかなか進行しない彼らの漫才を心配していた可能性はある)。また、彼らと同様に、双方の見解の差異が掛け合い漫才へと発展させていたかまいたちが先にネタを演じたことにより、無意識のうちに比較されていた側面もあるかもしれない。そして、ポイントカードという選択を頑なに信じ続ける山内と比較すると、確かにコンパを断り続ける林の姿は過剰に暗くてネガティブに感じられたかもしれない。だが、見た目のコンプレックスを明るく切り取っている芸風が多い現在、こういうペーソスに満ちた笑いがあってもいいんじゃないですかね。

 

・ゆにばーす

「遊園地ロケ」。遊園地ロケの様子を勝手に撮られて「激ヤバブスカップル発見!」とツイートされたことに憤慨した二人が、遊園地ロケのシミュレーションを始める。遊園地が舞台の漫才コントだが、ブロックで分けてみると、【子どもと戯れる】【ジェットコースターに乗る】【お化け屋敷に行きたがらない→漫才師の証明】と、遊園地要素は少なめ。これなら遊園地である必要がなかったのでは。それぞれのブロックの繋ぎ部分には、川瀬が傍から見ればカップルと間違えられかねない発言をしてしまい、それについて弁明するくだりが挟み込まれている。これが上手い。はらのボケだけではなく、偶発的に起こるボケを描くことで、笑いどころを複合的に見せている。終盤、はらがいつもの喋りを捨てて、関西の女流漫才師特有の喋り方で漫才を始めるくだりは、その違和感を笑いへと転換するつもりで挟み込まれたのだろう。正直、とても面白かったのだが、全体を通してみると、やや強引に継ぎ足されたような印象も。冒頭のツカミに成功し、もっと観客が温まっていた状況下であれば、もうちょっと笑いが起きていただろう。この辺り、まだジャルジャルの余韻が残ってしまっているのかもしれない。しかし、この漫才中漫才の仕掛けを思うと、審査員を務めているオール巨人の「あっちの喋りの方がええんちゃうのかなと思い出しました」というコメントは、辛辣だよなあ……。

 

・ミキ(敗者復活)

「ジャニーズ」。こっそり昂生の履歴書をジャニーズ事務所に送りつけていた亜生が、嫌がる昂生を説得し続ける。ブスであることを自覚している昂生に対し、そんなことなどお構いなしにジャニーズへ入れようとする亜生の認識のズレを描いた漫才。単純にブロックで分けると【履歴書】【年齢の問題】【ブスの問題】【面接→履歴書の内容】【欠員の出たグループに入る】【ちっちゃいときの夢】となるが、それぞれのブロックの繋ぎが存在せず、話がブツ切りにならない。テーマが一貫しているからこそ成し得る構成で、それはつまり、一貫したテーマで最後まで引っ張り込める圧倒的な技量があることを示している。実に恐ろしい。随所で見せる技術も凄い。テーマを焦らしたツカミに始まり、昂生が自らをブスであると説明する哀しくも面白いくだり、亜生がイケメンじゃないとジャニーズに入れないと知らなかったことが分かるくだり、中盤で再び取り上げられる履歴書、ジャニーズのグループに対する無意識の毒舌……そしてなにより、これほどまでに亜生が昂生をジャニーズに入れようとする理由が明らかになるオチ。見事である。あのオチが無ければ、亜生のボケはただただ一方的で理不尽なものにしかならなかっただろう。とはいえ、現時点ではまだ技術力に頼っている部分も少なくない。これが本意気の芸の領域に入ったら、彼らは次の時代を代表する漫才師と成り得るのではないか……とさえ思わせた。ちなみに、審査員を務めた上沼恵美子が、ギャロップの自虐を「暗い」、ミキの自虐を「明るい」と解説したのは、それぞれの相方に対する食らいつき方の差異によるものだろう。そして、それはそのまま、各コンビのボケとしての強度に直結する。ギャロップの毛利はボケとしては弱く、ミキの亜生はボケとして強かった。そこに評価の差が生じたのではないか、と思う。

 

・トム・ブラウン

「ナカジマックス」。『サザエさん』の登場人物である中島くんを五人集めて合体させて最強の中島くん“ナカジマックス”を作りたいというみちおの制作過程を、そっと見守っている布川だったが、何故か五人の中島くんの中に一人だけ中島みゆきが……。構造だけを見ると至ってシンプル。独自の設定を提示し、そのシステムを観客に認識させ、少しずつ法則性を崩していく。バカリズムの『トツギーノ』でも使われていた、定番の手法だ。だからこそ、その内容にはセンスが問われる。今回のトム・ブラウンの場合、それがナカジマックスだったわけだ。……凄いセンスである。最初は【中島の中に中島みゆき】【女性ボーカリストの中に中島みゆき】で中島みゆきの優位性を提示し、三番目で【中島みゆきの中に木村拓哉】と捻りを加え、法則性を崩す。そこから【先で合体した何かの中に有名人】が加えられる展開に。ここが凄い。合体した何かが更に合体することで、合体する四体の何かを示す単語がどんどん増殖する様は、まさしく混沌そのものだ。最終的には「超超ちょまちょま超超ちょまちょま、ちょー待―てよ!」と、もはや原形をとどめない形になってしまう。それでも、加えられていく人物が「ちょ」で繋がっているため、かろうじて意味が理解できる領域に踏みとどまっている。この塩梅が絶妙だ。そして、この混沌が極致に達したとき、あの女が現れる。なんとドラマチックな演出だろう。画して、ようやくナカジマックスは完成するのだが、だからといって何が残るわけでもない。実に素晴らしい。この芸風を漫才の本流といわれると流石に拒否したくなるが、何かしらかの究極に近いカタチのネタだったように思う。うっかり来年のM-1でも決勝進出して、ひょっこり最終決戦に進出してほしい。良からぬ願望。

 

霜降り明星

「豪華客船」。お金持ちになったら豪華客船に乗って世界一周をしたいというせいやが、豪華客船の情景を全身で表現し、そこに粗品がツッコミを入れていく。開始直後は、ボケるせいや粗品がツッコミを入れる、ベーシックな漫才が演じられている。しかし、自然とせいやが掛け合いから離脱、粗品のツッコミが入っても素に戻ることなく、そのまま別のシチュエーションを演じるようになっていく。かつて、漫才師で大学の非常勤講師も務めているサンキュータツオ氏が、サンドウィッチマンとナイツの漫才を“手数論”の見地から評価したことがあったが(奇しくも今回の決勝に二組は審査員として参加している)、今回の霜降り明星の漫才はそのどちらのコンビの漫才の良さを取り入れている。即ち、サンドウィッチマンの「役に入ったら素の状態に戻らない」スタイル、ナイツの「片方がボケ続けて片方が短い言葉でツッコミを入れる」スタイルが、ともに彼らの漫才に反映されている。更に、そこへ粗品大喜利職人としての圧倒的なポテンシャルが加わるのだから、つまらないわけがない。せいやの動きに合わせたシンプルなツッコミで笑いの下地を作ったところで、繰り出される「ダンス界のケンタウロス!」「キッズダンサーの笑顔!」のキラーワードぶりたるや。完全に獲りに来た漫才だった。最後に余談だが、舞台狭しと動き回るせいやと、センターマイクの前から動かずにツッコミを入れ続ける粗品の画に、「M-1グランプリ2002」のテツandトモを思い出したのは私だけだろうか。だけだろうな。

 

・和牛

「ゾンビ」。もしも俺がゾンビに噛まれたら他人に迷惑をかける前に殺してくれないかと川西に頼み込む水田だったが、いざ殺してくれることが分かると、川西がどのタイミングで殺すのかが気になり始めて……。前半は二人が「ゾンビになるちょっと手前の線引き」について議論を重ねるパート。「喋れなくなったら」という水田の主張と、「身体の色がねずみ色になったら」という川西の主張がぶつかり合う。かまいたちギャロップ、ミキと同様の構図である。ただ、この和牛の漫才は、先の三組よりもずっと純度が高い。なにせ、テーマは一貫して「ゾンビになるちょっと手前の線引き」のままだし、お互いの主張も「喋れなくなったら」か「身体の色がねずみ色になったら」のまま平行しているからだ。おかげで会話に雑味がない。それなのに、水田の主張の違和感や、川西のちょっとした受け答えなどに笑いどころを散りばめているため、観客を飽きさせない。なんときめ細やかな構成だろう。その会話の流れのまま、後半のゾンビコントパートへと移行する展開も恐ろしい。徹底的に無駄がない。そして前半パートでの丁寧な議論をフリにした、見事なオチ。今回のファイナリストが披露した漫才の中でも、最高の完成度といえるだろう。……ただ、どうもタイムオーバーだったらしいという話を小耳に挟んでいるので、なんだか絶賛しづらい。どうなんだろうな。

 

FIRST ROUNDの結果は以下の通り。

1位:霜降り明星(662点)
2位:和牛(656点)
3位:ジャルジャル(648点)
4位:ミキ(638点)
5位:かまいたち(636点)
6位:トム・ブラウン(633点)
7位:スーパーマラドーナ(617点)
8位:ギャロップ(614点)
9位:見取り図(606点)
10位:ゆにばーす(594点)

霜降り明星、和牛、ジャルジャルの三組が最終決戦進出。

 

【FINAL ROUND】

ジャルジャル

ジャルジャルのキメポーズ」。漫才を始めるときに、何の宣告もなく“ジャルジャルのキメポーズ”をやり始めた福徳に、後藤が「ジャルジャルのキメポーズなのにお前だけやっているのはおかしい」と文句をつける。前半は不当な扱いを受ける後藤パート。文句を受け止めながらも、自らがより目立とうとし続ける福徳に振り回される様を描いている。シンプルなボケだが、目立つように指をさしてもらえなかったり、股間を指さされたり、機敏な動きを笑いに転換。そうして振り回された後藤だが、後半のガソリンスタンドのパートでは立場が逆転。コント中もキメポーズをしつこくやり続ける福徳にやり返すように、より激しく、積極的にキメポーズをやり始める。もはや流れもへったくれもなく引き出された「一回足しまーす」には笑った。しかし終盤、後藤が福徳の指を反り返し、自分のキメポーズ数を稼ぐという正気の沙汰ではない行動に走ることで、再びボケとツッコミの関係性は元通り。ジャルジャル特有の不条理さという点においては一本目に劣るが、舞台をはける瞬間まで徹底的に動き続ける楽しい漫才だ。

 

・和牛

オレオレ詐欺」。実の息子を偽って掛かってくるオレオレ詐欺の電話に母親が引っ掛かってしまうのではないかと心配して、実の息子である水田がオレオレ詐欺を装って母親に電話を掛ける……という、通常とは逆転した設定を取り入れた漫才コント。設定そのものは比較的ベーシックなものだが、それ一本だけで漫才を掘り進めているところに、漫才師としての胆力を感じさせられる。基本的には、あくまで母親を心配して詐欺を装った電話をかけている水田に対し、とはいえ結局のところは理不尽に振り回されている母親(を演じる川西)の認識の歪みが笑いに転換されている。こちらも漫才の関係性としてはとてもシンプルだが、ちょっとした演技の細やかさ、台詞回しや間合いの取り方がしっかりとしていて、見入ってしまう。初めて水田によるオレオレ詐欺に引っかかった母親(川西)が放つ「これは何?」のタイミングの見事さ。そして始まる母と子の非情な騙し合い。お互いがお互いの隙を狙い合うサスペンス映画の様相を呈したところで、あの睨み合うオチ。よく出来ている。一本目よりもベタではあるものの、より細部にまで神経を注ぎ込んだ秀作だ。

 

霜降り明星

「ちっちゃい頃って懐かしい」。赤ちゃんの頃から小学生時代の思い出までをせいやの動きと粗品のツッコミでプレイバック。基本的には一本目の漫才と同じシステムだが、パートごとに挟み込まれるちょっとした掛け合いは、より漫才としてのアイデンティティを保った公正に感じさせられる。また、純粋にネタの精度が上がっており、「バブやろ!」のように少しだけ考える間を求められるものがあれば、「ポエム!」のように直球で笑いに転換されるものまで、いちいちクオリティが高い。とりわけ「お前、人殺したんか!!!」「負けてもプロ!!!」「しょうもない人生!!!」はスゴかった。この短さで確かなインパクト。ワードセンスと、それを笑いに変える技術。改めて感心させられた。

 

結果は以下の通り。

ジャルジャル:0票
和牛:3票(上沼恵美子松本人志富澤たけし
霜降り明星:4票(立川志らく塙宣之中川礼二オール巨人

霜降り明星の優勝が決定。

【総評、のようなもの】

どうも菅家です。

M-1グランプリ2018」決勝戦が終わり、十二日が経過しました。「いつまで感想を書いてんだヨ」という話ではあるのですが、如何せん、今回の大会はいつにもまして面白い漫才が揃っていたように思えて、ついつい、じっくりと時間をかけてしまいました。時間をかけた分だけ、皆さんに納得していただけるような感想文を書けたのではないかと思います。まあ、別に納得してもらう必要なんて、微塵もないんですけどね。私が自己満足でやっていることですから。そんなもんでも良かったらってんで、世の中に出しております。「分かるわー」と思っていただければ幸いですし、「分からんわー」と思われたのでしたらそれもまた仕方のない話です。各々で楽しんでください。

しかし、残念なのは、M-1終了後に起きてしまった例の一件であります。わざわざ触れるほどの内容でもないのですが、無視するわけにもいかないというぐらいには世間に影響を及ぼしているので、いっちょ噛みしておきますが……正直なところ、私も上沼さんの審査員としてのコメントには少なからず苛立ちが募っていて、というのは、芸人として確かな地位を築き上げていらっしゃる筈の審査員であるにも関わらず、若手芸人の今後について助言してしかるべき立場であるところを、あまりにも投げやりといいますか、まるでご自身が場を取り仕切っているバラエティ番組での若手イジリのような立ち回りをなさっていて、それをM-1という場で見せるのは少し違うのではないかと感じた次第であります。ただ、採点そのものに関しては、何も文句はありません。新しいスタイルを評価する志らく師匠に対し、上沼さんのベーシックで大衆的な漫才を是とする考え方もまた、漫才を審査するうえで必要な視点であります(近年、その考え方が強くなりすぎて、結成十五年以内の若手漫才師が競う大会で過剰に大衆の視線に耐えうる技術力を求められていた感は否定できませんが)。しかし、だからこそ、あの場で私情を挟んでいるのではないかと疑いをかけられるようなコメントをしたことは、彼らの無防備でみっともない行為とはまた別に、考慮されるべきだと思います。とりあえず、たけしやとんねるずの番組にスーパーマラドーナが呼ばれることを祈ってます(いつぞやの東京03みたいに)。

と、ゴシップの話題で随分と行数を稼いでしまいましたが、これ以上、特に言うことはありません。霜降り明星、面白かった。和牛は凄味が増した。ジャルジャルは一つの完成形に辿り着いた。ギャロップ、冗談の失敗をコンセンサスが取れてないとかなんとか小難しく言われていたけれど、コンプレックスを抱えている者たちの哀愁をこれからも笑いに変えてみせてほしい。ミキ、かまいたち、見取り図、ゆにばーす、来年以降の飛躍に期待しております。トム・ブラウン、M-1に出る必要がないぐらい売れますように。スーパーマラドーナ、しっかりしろ! 漫才師としては今からが本当のスタートだぞ!!!

こちらからは以上。また新元号の年に。