白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

Aマッソ「ネタやらかし」(2017年6月21日)

ネタやらかし [DVD]

ネタやらかし [DVD]

 

2017年3月17日・18日に東京・ユーロライブで開催された第四回単独ライブ「買ったらお縄!ホンチャン・ヤルデ株」の内容をDVD用に再現、漫才やコントに加えて、実際のライブでは披露されていない映像ネタなどを収録。

◆本編【74分】

「富松」

 VTR「オープニング」

「ナインセカンド

 VTR「運動会」

「マサ」

 VTR「日曜の昼下がり」

「漫才1「戯言シリーズ」」

 VTR「避暑地へGO」

「制裁」

 VTR「初産」

「進路相談」

 VTR「お見舞い」

「漫才2「最高の一日」」

Aマッソは村上愛加納愛子によって2010年に結成された。二人は幼馴染み同士で、出会った頃からお笑いに対して興味を抱いていたという。大学時代に出演していたインディーズライブをきっかけにスカウトされ、松竹芸能タレントスクール大阪校へ特待生として入学。そのまま松竹芸能へと所属するも、事務所の方針と合わず2013年に退社。同年、現在の事務所であるワタナベエンターテインメントに所属する。2015年に「爆笑ファクトリーハウス 笑けずり」(NHK BSプレミアム)へ出演、その独創的な漫才で注目を集め、今も一部のコアなお笑いファンからカルト的人気を博している。

Aマッソの魅力を突き詰めると「村上の演技力」と「加納のワードセンス」の二点が挙げられる。

まずは「村上の演技力」について。一見、いかにも平凡な見た目の村上だが、漫才やコントなどで役に入った途端、その見た目からは想像もつかないほどのウザさを発揮する。それが思想的に正しい考え方の人間であろうと、何を考えているのか分からない怪しい人物であろうと、村上が演じた途端にウザくなる。それも、例えば柳原可奈子横澤夏子が演じているような、巷に溢れるウザい人たちを再現しているというものではなく、純粋に村上愛という人間の奥底から溢れ出ているようなウザさなのである。キャラクターでは収まらない、生理的なウザさとでもいうのだろうか……その意味では唯一無二の存在だ。

そんな村上のウザさに対して、「加納のワードセンス」が発揮される。それが正しかろうと、間違っていようと、加納の脳味噌から繰り出される言葉は常にシャープに村上の無神経なウザさをバッサリと切り捨てていく。その様が実に清々しい。加納のツッコミは、単純に村上の言動を否定するのではなく、その本質を突いている。ある種、愚鈍な村上の言動を、加納が言葉巧みに批評しているといえるのかもしれない。

本作ではそんな二人の魅力が余すことなく発揮されている。

「笑けずり」では漫才を披露していたこともあって、Aマッソといえば漫才師としてのイメージが根強いのだが、本編では主にコントが披露されている。これがなかなかに興味深い。漫才師によるコントには出来不出来の差はあれども多少の“余芸”感が漂ってしまうものだが、Aマッソの場合は、むしろ漫才以上に彼女たちのディープな側面が上手く表れている。小説家と使用人のやりとりが謎のミュージカル合戦へと展開していくオープニングコント『富松』を始めとして、バスの停留所に現れるという尻の摩擦でベンチに火を点ける“尻摩擦のマサ”に遭遇してしまった女子小学生の恐怖体験を描いた『マサ』、祖母の遺言に従ってある過ちを犯した会社の同僚に制裁を加える『制裁』など、トリッキーな設定のコントを異常に研ぎ澄まされたワードセンスで乗りこなしている。とりわけ、ろくに仕事の出来ないライブスタッフが用意した僅かばかりの水を賭けて、単独ライブ中のAマッソがオリジナルゲーム“ナインセカンド”で勝負する『ナインセカンド』は、彼女たちのセンスと表現力が端的に表された良作だ。「軍事司令官」の一幕は感動的ですらあった。

一方の漫才は、村上が加納にしょーもないクイズを出題し続ける『漫才①』と、かつて仲の良かったグループと遊びに行ったエピソードを喜々として話している村上に加納が詰め寄る『漫才②』を収録。村上のねっとりとしたウザさがこの上なく発揮されている『漫才①』も面白いが、「M-1グランプリ2016」の予選でも披露されていた『漫才②』には敵わない。無邪気な顔で楽しい思い出を語る村上から漂う違和感を、冷酷に的確に指摘していく加納のシャープなツッコミがたまらない。なにせ第一声が「思い出アップデートし過ぎちゃう?」である。あの状態の村上に対して、ここまで違和感をストレートに貫いている言葉は他に有り得ないのではないだろうか。

特典映像はなし。ただし幕間映像が充実している。特にオススメなのは「初産」。産婦人科を訪れた女性と看護士のやり取りを描いたクレイメーション(と呼べるほどの出来なのかどうか)なのだが、矢継ぎ早に繰り出される不可思議なニュアンスだけの言葉の数々がとても心地良い。ひょっとしたら、本編に収録されている映像の中で、個人的に一番好きかもしれない。ああいうなんだかよく分からない会話だけを延々と聞き続けながら午睡に浸りたいものである。なにかしらかの悪夢だろうが。