白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

「ロープ」(1948年公開)

基本的にこのブログではお笑い芸人の話だけを書き残していく予定だったのだが、この作品はあまりにも面白かったので、ちょっと記録しておく。“サスペンスの神様”として名高いアルフレッド・ヒッチコックの作品である。自信家のブランドンが自らの優越性を立証するためだけに、小心者のフィリップと結託して二人の学生時代からの友人であるディビットを絞殺、その死体を自室のチェストの中に隠してしまう。それから二人が始めるのは、なんとパーティの準備。死体が隠されたチェストのある部屋で、地元でピアニストをするというフィリップの送別会をやろうというのである。しかも、パーティの参加者は、ディビットの両親、ディビットの婚約者、大学時代の寮監など、ディビットと関係のある人間ばかり。果たして、死体は発見されるのか。そして、二人の悪行は、白日の下に晒されるのか……?

『ロープ』の魅力はなんといってもカメラが部屋の外に出て行かないところにある。事件の発生からエンディングまで、一度たりとも部屋の外へと出て行かない。それどころか、殆どカットも入らない。カットらしいカットを感じさせることなく、物語は進行する(技術上の問題により、どうしてもカットを入れざるを得ない場面もあるのだが)。恐らく、舞台演劇を原作としているので、そのニュアンスを損なわないようにしたのだろう。同じく舞台を原作とした同監督の映画『ダイヤルMを廻せ!』も大半のシーンが同じ部屋で撮影されていた。かといって、固定カメラにしているわけではない。注目すべきアイテムや人物の行動をクローズアップして、観客の意識をそちらへと集中させるように努めている。とりわけ、凶器として使用されたロープの撮り方が素晴らしい。当初、ディビットの首にくくりつけられたままになっていたロープは、チェストからはみ出している状態になっているのをフィリップに発見され、ブランドンの手によって台所の引き出しへと移動させられる(このブランドンが引き出しにロープを入れるくだりの撮影も面白いのだ)。こうして物語の舞台から退場したかに見えたロープだが、後に思わぬカタチで再登場することになる。このシーンが素晴らしい。ブランドンの自信家たる性格を上手く表しているし、なにより底意地が悪さがたまらない。小心者のフィリップを追い込みたいだけの様に見えてくる。

以前より、三谷幸喜の映画を観ているときに感じる狭苦しさは、彼の出自が舞台演劇だからなのだろうと思っていた。しかし、本作を鑑賞して、演劇が原作で、舞台が部屋の一室であっても、これほど面白い映画が撮れるのかと目から鱗が落ちた。要は撮り方の問題なのだ。演劇が原作であろうと、ちゃんと映画的に面白さを引き出すことは出来るのだ。