白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

NO MUSIC,NO NAME.

以前、このブログで水曜日のカンパネラのインストアライブに行ってきた旨を記事にしていたことからも分かっていただけると思うが、私は水カンのファンである。去年あたりから聴き始めた程度ではあるが、手に入りやすいアルバムは揃えている程度にはファンである。そんな私だが、この件に関しては、正直なところ水カン側に配慮が欠けていたと言わざるを得ない。曲名のモチーフが「ヒカシュー」ではなく「ヒカシュー大将軍」であったというケンモチヒデフミ(水カンの音楽担当)の主張が事実であったとしても、彼が「ヒカシュー」を知っていたという事実を明らかにしている以上、その日本音楽史史上に燦然と輝く孤高の名称を曲名にすることで知名度に便乗してやろうという意図があった可能性は否定できない。また、そのような卑劣で狡猾な意図がなかったとしても、結果としてそういう疑念を当事者に抱かせてしまったという事実は確固としてあるのだ。加えて、『ヒカシュー』から『名無しの権兵衛』などと、まるで反省の色の見えない(むしろ挑発的とも受け取れる)名称に改めたことも批判されるべきであろう。

ただ、今から三年前にリリースして現在は入手困難な状態にあるファーストアルバムの楽曲に対し、今年六月にメジャーデビューを果たすことが決まり、テレビや雑誌などの媒体で取り上げられる機会も増えてきたというタイミングで曲名の変更を要請し、自身のブログで「すこしばかりの憤りを感じていました」と言っておきながら、続けざまに「彼らの楽曲名を見渡してみると、有名な人物名などを意図的に使用し、誤認誘導させる企てのものがほとんど」と『ヒカシュー』以外の楽曲に対する批判を展開するという態度には、私も些かの憤りを感じたが。曲名に無許可で自身のバンドの名前を使われたことに腹が立つ気持ちは分からなくもないのだが、『モスラ』だの『千利休』だの『ジャンヌダルク』だの『ドラキュラ』だのという曲名によって、何を誤認して何処へ誘導させられるのか、まったく分からない。単純に、一般的に認知されているメジャーな人たちの名前をタイトルに冠することで、曲の中で繰り広げられているパロディ・ジョークを理解しやすくしているだけではないか。そして、その作風に対して、同じ業態そしてジャンル、メディアも近接している大先輩がケチをつけるというのは、如何なものだろうか。怒っている状態なら何を言ってもいいわけじゃないだろうが。ていうか、言うならもっと早く言えよ。なんで今の微妙な時機での要請なんだよ。

まあ、これをきっかけに、ファーストアルバムが再発されるとファンとしては有難いので、話題にしてもらったこと自体はむしろ感謝すべきなのだろう。その時は、きっと私も今の不快感を無かったことにして、『名無しの権兵衛』をヘビーローテーションで聴いてしまうに違いない。

 

追記。 

後になって、やっぱりヒカシュー側の言っていることの方に違和感を覚えるというか、しっくりこないところがあったので改めて書き残す。先に書いた文と重なる部分、違っている部分があるが、一度リセットして読んでもらいたい。 

この件で、水曜日のカンパネラが批判されているのは、「他所のユニット名を許可を得ずに曲名に使用した」ことと「改変後のタイトルを名無しの権兵衛にした(=反省の色が見えない)」ことだ。で、まあ、確かに一見するとどちらも挑発的な行いに見えるが、彼らが『ヒカシュー』という曲名を「ヒカシュー大将軍」(テレビゲームのキャラクター)から取っていると証言していることを尊重するのであれば、それは単なる孫引き行為でしかない。だとすれば、果たして彼らに、ヒカシューから許可を得る必要があったのか。加えて、そのユニット名が“悲歌集(武満徹の楽曲)”をカタカナに改めただけのもので、とりたてて独創性に優れたものではないことも、今回の件に疑念を覚える理由の一つだ(それならば、浜谷と神田で「ハマカーン」の方が、よっぽど独創的でオモシロイ) 『名無しの権兵衛』については悪意を感じなくもないが、彼らが曲名を「名称」にこだわっていることを思うと、他に代替案がなかったので…という安直な理由である可能性も否定しきれない。まあ、ちょっと無理はあるが。

これら、水曜日のカンパネラによる行いを考えてみると、やはり、公式ブログでの物言いには引っ掛かるところがある。特に「iTune やOtotoyなどの検索などにも紛らわしく彼らの作品が載るようになってきた」という文章の直後に「彼らの楽曲名を見渡してみると、有名な人物名などを意図的に使用し、誤認誘導させる企てのものがほとんど」を持ってきた流れに、凄まじい悪意を感じてならない。まるで、彼らが有名な人物名を曲名に使用しているのは、検索で作品が載るように誤認誘導させるためと言わんばかりである。で、先の水カンの失態を考慮しても、こんなこと言われる筋合いはないと私は思う。はっきり言ってしまえば、とんでもない言いがかりだ。

正直、先の文章では、私が水曜日のカンパネラのファンだということを意識し過ぎて、却って邪険に扱い過ぎてしまったように思う。だが、やっぱり、私はどうしても、ヒカシューの言い分に違和感を覚えずにいられない。はっきり言ってしまえば、ムカっ腹が立つ。

以上、半年後くらいには忘れていそうな話でした。