白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

「伊丹十三記念館」のスバラシさにコーフンする。

昨日、「伊丹十三記念館」を訪問した。

 

そもそもの目的は、大街道シネマサンシャインで上映されている『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』を観ることだったのだが、上映時刻までに余裕があったので、ついでに立ち寄ったのである。ところが、これが思わぬ誤算であった。正直、私は「伊丹十三記念館」という場所を、一般的な博物館のように生前の氏の足跡を一方的に見せつけてくるだけのところだと思っていたのだが、ここはまったく違っていたのである。

 

まず、駐車場で車から降りると、すぐさま最初の展示物が目にとまる。生前、氏が運転していたベントレー・コンチネンタルが収められたガレージである。この時点で、既にこの博物館がタダモノではないことが分かる。生前、当人が運転していた愛車であれば、保存状態の維持という観点から館内に展示すべきなのである。だが、それをやらない。車は車があるべき場所にあるべきであるという考えが、そこにあるように伺える(無論、実際のところ、どうなのかは分からないが)。

 

自動ドアを抜けて館内に入ると、そこはロビーになっている。右手には入館者へ対応するためのカウンターがあり、左手にはお土産ものが売られている。ひとまずカウンターで入館料を支払うと、チケットと一緒に、一枚のペーパーを渡された。そして、展示物を見る際には、このペーパーで概要を確認してもらいたいとの説明を受けた。なるほど。確かに、博物館において、展示物の脇に書かれている解説文というのは、なかなか面倒臭いモノである。なにせ、それらは往々にして、薄暗い空間を演出している癖に小さな文字で書かれているものだから、読みにくくて鬱陶しい。だが、手元の紙と展示物を分けていれば、その詳細と展示物を交互に確認するだけで成立する。正しい配慮である。ロビーの向こうには中庭、そこを越えたところにはカフェがある。なんとも洒落た空間だ。

 

いざ、展示スペースに突入すると、まず左手にモニターが見える。そこには、これまで氏が監督してきた映画作品たちの予告映像が流れている。私が偶然目にしたのは、『マルタイの女』の予告映像であった。運転しているワゴンに火炎瓶が投げ込まれ、火だるまになって転げ出す氏の姿に、大衆へと売り込む監督としての覚悟をしみじみと感じさせられた。右手が順路である。「音楽愛好家」「テレビマン」「俳優」「映画監督」などなど、伊丹十三という人間を十三のカテゴリーに分けて、それぞれの面を表している作品や写真が展示されている。面白かったのは、その展示方法だ。例えば、ある展示物は、通常の展示スペースの下側にこっそりと配置されている引き出しの中に収められている。引き出しを手前に引き出せば、それらがゴソッと出てくる塩梅だ。また、氏のイラストが描かれた長大な巻物というのもある。それの横には取っ手がついており、これを回すたびに巻物もクルクルと回転、それぞれ違ったイラストが次々に姿を表すこととなる。こういった創意工夫というか、遊び心がなんとも嬉しい。また、こちらがただ受動的に展示物と接するのではなく、能動的に展示物を受け止めに行くという方式になっているところも、実に楽しい。

 

これらの常設展示を抜けると、今度は企画展である。この日、催されていたのは、「ビックリ人間 伊丹十三の吸収力」。生前、氏が読んだ本、観た映像ソフト、訊いた人との音声資料などが展示されていた。どの展示物も非常に興味深かったのだが、とりわけ氏のホラー映画に対する見解が書かれた文章がとても気に入った。ただ……その文章が、氏のなんという文章から抜粋されたものなのか、そこで紹介されていなかったことが残念であった。これと、もう一つ「伊丹万作の人と仕事」という企画展も。こちらでは氏の父親である伊丹万作氏の作品が展示されていたのだが、生前に万作が自身の死を感じながら氏に託した詩がとても真摯で、ちょっと目頭が熱くなってしまった。

 

ここを抜けると、先程の中庭に出る。この記事のようなざっくりとした説明だけだと、博物館としては些かこじんまりとしすぎているように感じられるかもしれないが、ちゃんと満足感が得られる密度の高いつくりになっているから問題はない。一つ一つのユーモアに満ちた展示物をぎゅっと噛み締めてもらいたい。また、カフェの中にも氏の絵が展示されているので、そこも欠かさずにチェックしてもらいたい。

 

全てを見終えたら、あとはお土産物をチェックするだけだ。氏のエッセイ本や監督作品を収録したブルーレイは勿論のこと、Tシャツ、缶バッジ、手ぬぐいなどの市井の博物館にありがちな品物も売られている。最終的に、私が購入したのは「伊丹十三記念館ガイドブック」「映画『お葬式』シナリオつき絵コンテノート」「十三饅頭」の三点。いずれも、ここでしか手に入らない代物だそうだ。ガイドブックと絵コンテノートはどちらも文庫サイズで、だけどとんでもない分厚さで、とてもここだけで売られているモノとは思えないクオリティであった。とことん、揺るぎない。

 

伊丹十三監督の作品を好ましく思っている人に限らず、様々な“表現”に対して興味を抱いている人ならば、一度は行ってみるといい場所かもしれない。そうすれば、きっと、どの表現にも伊丹十三という人の存在が残されていることに、驚嘆させられることになるだろう。

 

ちなみに、『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』はイマイチだった。