白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

「平野ノラ「バブルは、そこまで来ているゾ!」」(2015年5月27日)

2016年1月5日視聴。

本日、仕事始め。業務に支障をきたすほどの大きな間違いを犯すこともなければ、数時間にも及ぶ重大な作業を任せられることもなく、ごくごく平凡な仕事で幕を開けることとなったが、対して、正月三が日におけるだらしない生活が祟ったのか、終業後には心身ともに疲労困憊の様相を呈していた。帰宅後、布団に突っ伏して、しばし蠢く。ああ、いよいよもって、働きたくない。衣食住を手にするために働かなくてはならないことを頭では理解しているが、それを本能が認めない。純然たる目的をもって労働に勤しんでいる自分のことを、何処かで馬鹿にしている。目先の利益のために時間を貪っている毛虫の類ではないかと囁いている。

……などということをしばらく考えていたが、なんてことはない。体力の消耗に伴い、精神的にも余裕が無くなっているだけの話である。こういう時は、栄養を十分に摂取し、お風呂で身体を温めて、ゆったりと身体を休めながら、バカバカしい作品に触れるに限る。通常ならば、ナンセンスコントのスペシャリストであるシティボーイズのライブステージや、現時点で最強のバカコントユニットとして名高いエレ片コントライブなどを鑑賞するところだが、本日は平野ノラのDVDを観ることにした。

バブルな時代を復活させるべく暗躍するバブリー芸人、平野ノラが持ちネタとしている『バブルなセリフ』を映像化した作品だ。ディスコ、タクシー、オフィス、美容室など、様々なシチュエーションに応じたドラマ(もとい小芝居)映像と共に『バブルなセリフ』が50音順で収録されている。ただ、『バブルなセリフ』だけに注目すると、本作は大して面白くない。いや、『バブルなセリフ』そのものは面白いのだ。「ウーパールーパー」「MCハマー」「ドロンします」など、21世紀を迎えて久しい現代で使用するには些か時代錯誤な単語や言い回しから滲み出る違和感が、なんだかとても可笑しい。ただ、本作では、それらのワードがクローズアップされ過ぎている。思うに、『バブルなセリフ』は、コントの中のセリフの一環として盛り込まれたり、フリートークの合間に放り込まれたりするくらいが、ちょうど面白い。わざわざ器の上に乗せられた状態で有難く頂戴するものではない。

それでも、本作を見ていると、ついつい笑ってしまうのは、『バブルなセリフ』が言い放たれた後に漂う空気、即ち余韻が面白いからだ。先にも書いたように、本作に収録されている『バブルなセリフ』は小芝居と共に披露されるのだが……この小芝居、『バブルなセリフ』が言い放たれた後も少しだけ続くのである。この時の平野ノラがたまらなく面白い。それまでの小芝居は『バブルなセリフ』を言うために必要なやり取りのため、ある程度の道筋は出来上がっている。しかし、『バブルなセリフ』を言い終わった後には、何の目的も存在しない。ただただ、純然たるアドリブ混じりの小芝居でしかない。その時、平野の芸人としての底力が、確かに垣間見えるのだ。

個人的にオススメしたいのは公園でのシーン。公園で友人の子どもと遊びながら平野が『バブルなセリフ』を口にするのだが、ひたすらバブリーで有り続ける平野に対し、まったく演技をすることなく自由奔放に振る舞う子どもの対比がとても面白いので、是非とも見ていただきたい。滑り台で遊んでいる子どもに向かって、丁寧に「掛布!からのバース!」を伝えようとする姿は必見だ。

以前、「売れた経験のある芸人は、その思い出が残っているからなかなか辞めない」という話を耳にしたことがある。その理論が正しいのだとすれば、バブル時代の好景気を知っている人たちもまた、その思い出を胸に働き続けられているということなのだろうか。そして、逆にいえば、そういった思い出のない私は……。

明日もまた仕事である。相変わらず働きたくはない。 

■本編【54分】
【BAR】~あ行編~「花金ナイトはBARで六本木心中」
【公園】~か行編~「バブリーお姉さんが教えてア・ゲ・ル」
【ディスコ】~さ行編~「踊ってんじゃないわよ…舞ってんのよ!~inお立ち台~」
【タクシー】~た行編~「タッ券、持ってるわよ!」
【夜景】~な行編~「アイツ… 今頃どうしてるかな?
【オフィス】~は行編~「24時間、戦う女」
【ドライブ】~ま行編~「アッシー、私を海に連れてって」
【美容室】~や行編~「マブい女は、やっぱソバージュでしょ!」
【自宅】~ら・わ行編~「あ~~~ しば漬け食べたい」