十二月上旬。
大阪に行かねばならぬ、という衝動に駆られる。具体的な理由などは存在しない。ただ、この退屈極まりない日常から逃げ出したい気持ちが、限界を超えてしまったのである。
とはいえ、十二月といえば、年越しという一年の中でも重大なイベントを控えている時期だ。この季節になると、やれ年賀状の準備だ、やれ御節料理の用意だ、やれ今年一年の垢を落とす大掃除だ、人間が勝手に決めた一年の区切りを超えるだけなのに、普段は見向きもしないようなことで追い立てられることになる。理不尽極まりない。子どもの頃は、クリスマスからのお正月と立て続けに敢行されるスペシャルなイベントに心が躍っていたが、三十路も半ばという年齢になると、心が微塵も揺れない。楽しみなのはボーナスと連休だけである。その連休も、大晦日から正月に掛けて行われる準備と実行で明け暮れて、まさに疾走、あっという間に過ぎ去ってしまう。
そんなファッキンな十二月に、一人で大阪に何の理由もなく出かけるなどということは、実家でイチ扶養家族をキメている身の上では、なかなか出来るものではない。……というわけで、家族には学生時代の友人たちと忘年会をやるから広島(※母校がある)に行くと嘘をついて、大阪に行こうと決めたのであった。この家族に対する背信行為は、いずれ自らの身を滅ぼすかもしれない。だが、それほどまでに、私の中で大阪に対する欲求は高まっていたのである。
画して、この恐るべき犯行計画は、速やかに実行された。まずは日程を決める。忘年会と称して大阪へ行くからには、それなりに押し迫った時期を選ばなくてはならない。前後のスケジュールも考慮して、十二月二十三日・二十四日に行くことに決めた。前日の夜に用事があるため、一泊二日の短い旅行になってしまうが、致し方ない。続けて、家族に「広島で忘年会がある」と伝える。まるで疑う素振りを見せない。過去に何度か実際に広島での忘年会に参加している経験が生きている。後は、高速バスと宿泊用ホテルを予約するだけだ。これらもまた同様に、これといったトラブルに見舞われることなく、滞りなく済ませることが出来た。何も問題はない。
これらの必要最低限な準備を進行させている最中、大阪へ出かける目的を決めた。忘年会である。結局は忘年会である。とはいえ、ただの忘年会ではない。お笑い濃度の極めて高い忘年会である。近年、私は東京や大阪でオフ会を敢行するたびに、ブロガーとして築き上げてきた地位に胡坐をかいて、これといった実りのない排泄物のようなトークを意気揚々を繰り広げていた。無論、それはそれで、無邪気で楽しい場だった。だが、ふと思ったのである。「これは、私にとっても、オフ会に参加している人たちにとっても、あまり良くないのではあるまいか」と。これは一方的な妄想でしかないが、私が開催しているオフ会にわざわざ足を運んでくれている皆さんが求めているのは、お笑い芸人のDVDコレクターとしての矜持から発露する含蓄ある意見だろう。それなのに、オフ会で私が口にすることといえば、黒いストッキングの女はエロいだの、黒縁眼鏡の女はエロいだの、俺はひょっとしたら尻フェチなのかもしれないだの、碌な話をしていない。オフ会参加者に私にとって最適なアダルトビデオを探してもらおうとしているとしか思えない。こんなことでは駄目なのである。そこで今回、ちゃんとお笑いの賞レースなどの話をして、きちんと芸人好きとしての自らを律するため、そういう話の出来るメンツを揃えて、忘年会をやろうと思い立ったのである。
早速、そういう話に付き合ってくれそうな、ゴハさん、イシダドウロさん、資本主義さんといった馴染みの顔ぶれ(イシダさんは“鳥貴族会”と呼んでいる)に連絡を取る。資本主義さんにはスケジュールの都合で断られるも、残りの二人からは了承を貰える。こうして三人が揃うわけだが、しかし、このままではただの定例飲み会である。ここに新たなる風として、カフカというコンビで活動している小保内さんを呼びつける。Twitterでは以前から相互フォローの関係にあったのだが、先日、ちょっとリプライでやり取りをしたときに「大阪に来たときには誘ってください!」と向こうからのこのことコメントしてくれたので、まんまと中年たちの飲み会に引きずり込むことにした。会場は鳥貴族をチョイス。重要なのは場ではなく中身である。
また、この話を提案したときに、ゴハさんから「ちょうど来られる日にこんな大会があるんですけど、どうですか?」と、大喜利天下一武道会というイベントへの誘いを受けた。大喜利天下一武道会とは、大阪・東京で予選を行い、それぞれの勝者が横浜本戦で競い合うという全国規模の大喜利イベントである。このようなハイレベルな大会に、かつてネット大喜利をやっていたとはいえ、今ではお笑いに一過言ある一般人でしかない私が参加していいものなのか。しばらく考えるも、「これもまた何かのウンメーではあるまいか」と開き直り、厚顔無恥な面構えで参戦することにしたのであった。
そして数日が過ぎ、十二月二十三日がやってきた。
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